流産しました @備忘録(1/7)

2020年4月。生理開始予定日の次の日から謎の少量出血があり、1週間様子を見て妊娠検査薬を使ったら陽性。
やった!ついに妊娠した!と意気揚々とその日のうちに掛かりつけの婦人科に行ったら妊娠5週、だけど切迫流産、と言われた。
翌週には流産だと診断されて、自然排出待ちとなったが、翌々週になっても排出されなかったので結局流産手術を受けた。翌週には流産だと診断されて、自然排出待ちとなったけれど、翌々週になっても排出されなかったので結局流産手術を受けた。

まさか自分にこんな不幸が降りかかるなんて思いもしなかった。
でも、どの病院でも、ネットで調べても、決まって言われたのは「妊娠初期の流産は妊婦の15%に起きる」ということ。
つまり、6人に1人は流産を経験しているらしい。

こんなこと、今まで誰か教えてくれた?
学校の性教育で、こんな話あった?
自然排出ってなに?流産手術ってなに?
そもそも切迫流産と流産の違いってなんなの???
結婚するとすぐに外野は子供子供ってうるさいけど、妊娠出産のリスクなんてみんな丸無視だったんだな?

と、いろんなことに腹が立ったので、noteに記録してみることにしました。
以下、備忘録です。


◆体の変化
①不正出血
生理予定日の翌日から、少量の出血があった。
おりものシート1枚で十分なほどの少量出血(鮮血ではなく茶色)だったので、生理前の不正出血だろうと思っていたら、そのまま1週間がたった。
この時すでに確信があった。妊娠してるかも。
でも、妊娠検査薬を使えるのは生理予定日から1週間後、それにフライングで検査しても病院で時期が早すぎると帰されることもあるとネットで仕入れた知識があったので、とりあえずその「生理予定日から1週間後」まで待つことにした。

②胸の張り
出血以外にも体に変化があった。胸が張って、痛くてしょうがなかった。
通常の生理前でも1カップくらい大きくなったような体感があったが、この時すでに2カップくらい大きくなったような気がするくらい、とにかく急激に胸が大きくなった。
歩くだけで痛い。うつ伏せも仰向けも横向きに寝るのも痛い。胸が痛くて夜中に何度も目が覚めた。

③下腹部痛
数ヶ月前から下腹部痛で婦人科に通院していて、下腹部が痛いことが何も珍しいことではなくなっていたのだが、これがまずかったと今では思う。
下腹部痛の原因は排卵出血で、排卵が起こるときに出た血液が腹部に溜まり内臓を圧迫している、と診断されていた。(ひどい場合は入院が必要だが、私の場合は特に何の指示もなかった)
妊娠がわかる前の排卵日にも排卵痛とともに下腹部が痛くなっていたので、痛みを押してタイミングを取ったのだが、結果としてこれがヒットしたらしい。この時もう少し自分の体を労わっていればと少し後悔している。この排卵出血による下腹部痛と切迫流産による腹痛の区別がつかなかった。

④体温の乱高下
不正出血が始まったあたりから、急に血の気が引いたように寒気がして37.2℃まで熱が上がり、寒気がなくなると36.5℃まで下がる(体感は暑い)、というのを1日のうちに何度も数時間単位で繰り返した。季節の変わり目だったとはいえ、4月の頭に湯たんぽがないと寒くて眠れないのには異常を感じていたが、妊娠の可能性も考え「とりあえず生理予定日の1週間後」まで我慢していた。

◆妊娠発覚(5W)
体の変化もあって、ほぼ確定だと思いながら妊娠検査薬を使い陽性反応。
速攻で午前の予約を取って浮かれたまま自転車で病院まで向かった(妊娠中の自転車の運転は病院やお腹の大きさによって禁止になる時期が違うが、切迫流産の場合は厳禁らしいと後から知った)。
予約していったのに1時間程待たされて診察、内診。
エコーで6㎜の胎嚢を確認。妊娠してる!
最後の生理から計算すると5w2d(妊娠5週と2日)と言われる。
この時、医者がトーン低めにゴニョゴニョ言っていて不安になったが、元々聞き取りにくい話し方をする上にカーテン越しなので聞き取れず。
心拍や胎芽が確認できなかったので「もしや」と悪い結果が頭によぎる。
カーテン越しに「切迫流産っぽい」と言われ、一気に感情が無になった。
診察室に戻ると「飲み薬を出すので安静にして1週間後にまた診せて」と言われる。
「絶対にコロナに罹らんように」と冗談ぽく言われた。笑えない。

診察室を出るときに呼び止められて「分娩でいいの?」と言われて「???」となった。
「出産希望」と言うことだと気がつき「はい」と答えると、とりあえず今のところだけどと出産予定日を教えてもらう。2020年12月5日。
母子手帳(検診チケット)は早くもらってもしょうがないから、と妊娠証明書は次回、と言われる。(回数制限があるので早くもらうと最後の方が実費になってしまうらしい)
待合室での会計待ちの間、一度もおめでとうと言われなかったことがこの時一番ショックだった。ドラマや漫画みたいに「おめでとうございます、妊娠されてますよ」って言ってもらえるもんだと思った。祝ってもらえないような状況なんだろうか。でも出産日を教えてもらえたということは、大丈夫なんだろうか。母子手帳も来週にはもらえる見込みがあるのか。とにかく混乱した。
診察代は実費(つまり保険適用外)だった。


安静にと言われたので、とりあえず3日分くらいの食料を買って帰った。
夫は料理ができないので、レトルトや簡易調理のセットを買う。
家に帰って昼食を食べる。処方された薬、ダクチル錠を飲むときにネットで検索。切迫流産の改善に用いられる薬らしい。ここで下腹部痛と不正出血(茶おり=茶色いおりもの)が切迫流産の症状だと知る。

日付が変わる頃になって連日残業続きの夫が帰宅。
妊娠したことを告げたが、連日終電まで勤務していたので疲れて何を言われているのかわからなかったらしい。夕飯を食べてしばらくしてから実感がわいたのか少し喜んだような様子だった。
数日前に夫の同僚が切迫流産で休職、その後流産した話を聞いたばかりだったので、手放しで喜べない気持ちも十分わかった。でも、予想よりずっと喜んでもらえなかったことに気落ちした。

それから1週間、ほぼベッド上生活になる。
薬を飲んでから、それまでずっと痛かった下腹部が、動いた時だけ痛いという状態になった。寝返りを打った時、トイレに立つ時にズキッと痛み、下腹部というよりはっきりと子宮が痛いとわかるようになった。洗濯や料理は最小限にしたが、毎日3食分の用意は必要なのでレトルトや生協の商品に頼った。温めるだけ、といった商品も良く使ったが、それでも数分キッチンに立っただけで子宮の痛みが起こった。
一番困ったのが食事中だった。食事をしていると、座る体勢がいけないのか、胃が膨らんで子宮を圧迫するのか痛みが強く出た。結果食べる量を減らしたり、休憩しながら少しづつ食べる必要があった。
夜中に寝汗をかくほど熱くなったり、胸の張りが痛くて何度も目が覚めるので、日中もずっとウトウトしていた。
茶おりは量が減ったがなくなりはしなかった。


◆流産(6W)
1週間後の再診。
雨が降っていたので、バスで病院まで向かった。
バス待ちの5分、子宮の痛みで立っているのがつらい。
バスは空いていたので席に座ることができたが、これが満席だったらたぶん倒れていたと思う。マタニティーマークを持たない私は、きっと席を譲ってはもらえない。バスに乗っていると、たった数分なのに酷い乗り物酔いで吐きそうになった。いつもと違う気持ち悪さに、つわりだと気がついた。
つわりが始まったのだから、きっとお腹の子も大丈夫だろう。そう楽観的に考え、病院の待合室での長い待ち時間、痛みを紛らわせるために母子手帳の交付に必要な書類や窓口へのアクセスなどを調べて待った。

診察の順番が来ると、すぐにエコー。
胎嚢はあるものの心拍も胎芽も見えなかった。
6w2dに当たる日だったが、この時期に何も見えないのは成長が遅い、流産だろうとまたしてもカーテン越しに言われる。少しでも(胎嚢の中身が)映れば成長を促す薬を試したりもできるけど、これだと意味が…と言われる。

診察室に移ると妊娠初期の流産はよくあることで、約15%が経験することだと言われた。
そのうち出血が始まって自然に排出されるから、出てきたらジップロックに入れて持ってきてと言われる。なんて遠回しな表現をするんだろうと思った。
そして医師は両眉をこれでもかと下げて「こんなことを言って、失礼やとか思ったら怒ってくれてもいいんやけど」と言ってPC画面を見せた。
画面には婦人科学会の声明文章が映し出されていて、「コロナに罹ると妊娠中は治療が出来へんし、不妊治療はやめとこなって話になってんねん」と言った後、泣きそうな、申し訳なさそうな口調で「気休めかもしれんけど、妊娠初期でもしコロナに罹ってしまったら重症化すると言われているから、だから今回は……な?」と言った。
文章のことはTwitterですでに知っていて、妊娠が判明する前だったので今後しばらく妊活はやめておこうと夫とも話をしていた。
そう医師に言うと、「自然のものやからやめなさいとは言われへんけどな」
じゃあどないせいっちゅうねん、とムカッとした。

泣きそうな顔しやがって、泣きたいのはこっちだ。

そう思ったら突然涙が出てきた。
再び自然排出が起こった時の話を聞いて診察室を出た。
採血の間、雨がすごいですねぇと看護師さんに話しかけられるまで、外が大雨になっているのに気がつかなかった。
会計までの長い待ち時間、ずっと涙が止まらなくてポロポロ落ちる涙でマスクがびしょ濡れになった。待合には5人くらい患者さんがいて、私の次に入った患者さんの笑い声が待合にまで聞こえてきた。ここで泣いてるのが他の患者さんにバレるのは気を遣わせそうだなと思って、黙って泣いた。会計は保険適用になっていた。

気がつけばあれだけつらかった吐き気がなくなっていて、大雨の中、バスには乗らずに歩いて帰ることにした。歩きながら我慢していたものが抑えられなくなって嗚咽が漏れた。人通りの多い交差点でも、傘を打つ雨の音が大きすぎて、すれ違う人には聞こえないようだった。なんで私が、なんで私一人がこんな、と、悲しいのとムカつくのとで訳が分からない感情のまま歩いて帰った。




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