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プレイリスト

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いつからか特別な存在になっていた 耳の奥に、頭の中に、在る音について
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適切に保存したい最後の初恋

むかしよく音楽雑誌をよんでた。 カナブーンとかシシャモとかシャンペインとかのライブレポートやインタビューを、隅から隅までよんでた。泥臭いとか、観客を沸かせたとか、なんかそういう、綺麗にまとめてある文章を読んで、こんなふうに、自分の言葉で伝えられるのっていいなと思ってた。 でも最近はもう、泥臭さという言葉とか、綺麗に整理された語りを素直に受けとれない。だからこそ、知らない誰かの物語の一部として語られるYouTubeのコメントとかって味があっていいなと思う。自意識過剰すぎて書け

キャンディを溶かしては固めるような行為

からからの耳とお腹を満たして、代わりに喉をからからに枯らした。 それから友だちは恵比寿の奥に消えていき、わたしは世田谷へ帰った。夜の世田谷線は昼間の穏やかな明るさに反比例して闇深さが際立って、ノラ・ジョーンズの、キャンディを舌で転がすみたいな純粋な甘さと貴い切なさの混じり合う声が弾む。 貴い気持ち、という言葉を口にしたりした。それが何にもならなくても、貴いという理由だけで噛みしめたくなる感情がある。それは自分の内から湧きでる純粋性にこそ裏づけられている。そんなことを思う。

また来年

夏がきた。 海はずっとそこに波打っている、大きく、大きく、畝りをとらえていたら、 春のうたが聴こえた。 いつもと違う光景におどろいたり、眩しさに目をほそめたりしながら、生きててよかったなあとおもった。生きるというのはつまり、朝起きて、その日やるべきことをやって、夜になって、眠って、また起きて、という繰り返しのことで、そういうことを、いろんな感情とともに続けてきてよかった。 風が吹いて、ひかりに照らされて、音が吹かれて、声が輝いて、 つぎのこういう日のためにまた一日一日

0414 ビューティフルスランバー

にちようび、西新井駅前に出店しているお友だちのコーヒートラックへ寄る。 ブルータスのドーナツ特集を眺めたり、最近のことについておしゃべりをしたりしているうちに陽はビルの陰に姿を隠し、時刻は17時になろうとしている。 あれ?もうぎりぎりだ、大変大変、 じゃあねと手をふって電車に乗りこむ。 四月の夕陽にでれでれと照らされてつくばへ向かいます。 つくばエクスプレスからぼうっと眺める西の空。 この頃の夕焼けは綺麗でなんだか誇らしい。 淡いオレンジに染まる空の下には連なる家、その

映画と海

あらゆるものを、さしおいて、いちばんにくるもの。 さいごのさいごを、むかえるときに、えらぶであろうもの。 それを目の前にすると、さいごのさいごをむかえるならこれとともにありたい、どうせならいま此処でもよい、と、うっすら思う。 そういう存在のこと。 心の波が呼応する。血液の心臓から押し出されるリズムが呼応する。そのうちに心臓をぎゅっと掴まれている。 それが心地よかったのに、その空間をひとたび出てしまうと全部泡のなかに消えてしまうみたいでいつも寂しい。 そういう時間のこ

1017 潜水日記

まだ波打っている。海の見える街に寄せては返す波が、頭の中で、心の中で。 波を鎮めようとするのだけれど、波がうつくしくて心地よいものだから、また潜りたくなってしまう。 どうしてわざわざこんな仕打ちを自分に与えてしまったのだろうと思う。深く潜らなければ、海を漕ぎつづけてさえいれば、手足を掻いて上がってくる必要も生じなかった。 それでも、潜りたくなるときがあるのだ。 逃げるのとも違う、ただ、自分の乗っている安全な船からよいこらせと降りてしまって、この目と耳にふれてみたくなる

すべての若者たちへ。

すべての若者たちへ。 大学在籍中にメジャーデビューし、アルバム「若者たち」を24歳でリリースしたバンドである。彼らがわたしと同じ歳だったときにはすでに、世間からの認知を得て、いくらかの定まった見方をされていたことだろう。 だからわたしは、「若者」と言うにはやや歳をとりすぎたかもしれない。 しかし、そうだとしても。 「すべての若者たちへ。」という一言の添えられたこの作品から、わたしたちが受け取るべきメッセージというのは、なんだろう? バンドとは。ロックとは。ライブとは。

くじらの泳ぐ海は優しい

「失われた時を求めて」 灰色ロジックが「知らない街」を始めたとき、頭に浮かんだのはそんな言葉だった。 それはもちろん、ライブへ行く途中に読んでいた「羊をめぐる冒険」のなかで、主人公がプルーストの「失われた時を求めて」を持っていながら半分も読んでいない、というような内容が出てきたことに関係しているのだろうし、わたしはその本を1ページも読んだことがないのだけれど、とにかく、それをもってしても、灰色ロジックの音楽はある種の「失われた時を求めて」いる趣があると思う。 それは例え

星降る夜に

バスに揺られながら夢のなか あなたとおしゃべりしていた 目を開けるとオレンジ色の大きな月が目に飛びこんできてバスを降りる オレンジの月を背にピンクの壁をめざし歩く 壁の向こうから漏れる音に胸が高鳴る つくばにて 自虐的で挑発的で でもきっとまっすぐなひとの放った言葉、 灰色ロジックを聴くと風景が思い浮かぶんだって わたしもそうおもう、 わたしもそうだ 歌詞に自分を重ねるわけでもなく、ただ、風景をながめるように音に耳をすませて 目の前の風景や記憶の中にある風景

くじらとチョコレート

はじめて弾き語りのライブにいった ちいさなライブハウスはまるでチョコレート色の水槽だった 水族館の大きな水槽のように深く暗い地下室はしずかな熱でみちている 水槽に赤ワインを数滴垂らしたみたいな色あいで 灯りが照らすのはくじら、 チョコレート色の水槽の中を泳いでいた 深海魚のかたちをしてくじらをみていた くじらはあまりに大きいので 眼の前にあらわれると太陽も星も月も隠れてしまう 光は閉ざされて真っ暗だ くじらの澄んだ瞳に映る光をたよりに泳ぐ うつくしいものだけ

下北沢シェルター0912

心がどうなっちゃうのか、どこに飛ばされちゃうのか、こわくなるくらいすきな音楽がある。 音楽活動にかかわりのない生活をしているわたしにとって、ライブハウスというのはすごく遠い存在であって、いつも会社をでてライブハウスに向かう日は、別に行かなくてもいいかなあ、とかんがえる自分がいる。 そこにいこうといくまいと、明日も会社に来ることには変わりないのだし、あんまり心がうごかされてしまうと会社に行きたくなくなってしまう、それくらい、ライブハウスと会社というのは次元のちがう世界である

いちばんの、その音を

きょうみたバンドの曲をさがして聴いている。気分のいいじかん。 とてもいい夜だった、 頭を悩ませながら働いたほどほどの充実感をたずさえて、雨に降られながら新宿へ、ひさしぶりにたくさんのバンドをみれた気がする。 音のシャワーを浴びたみたいな感覚が脳みそを丸洗いして きょうはじめてみたバンドはどれも本当にすきだった いかにも幸せな夜で ほわほわと会場を行き来して、 それで最後が灰色ロジックだったのだけれど ほんとに、なんでだろうね、ぜんぶぜんぶぜんぶ、ぜんぶ、塗りかえ

人生賛歌を抱きしめて夢をみている

立っていられないくらい眠たくて眠りにつく 泥のように眠って夢をみる、夢をみている 昼間の星は絵に描いたみたいなぽっくりとした雲に見え隠れして 今はまだ手が届きそうにもない 星までのぼっていかなくちゃいけない、そこでしかみられない景色がある なのに星があまりにも多くて 迷子になって雲から宙ぶらりんだ、ゆらゆら揺れてちぎれそうだ 空ばかりみて足下の花を見すごしていないかたしかめる、小さく揺れる花もぜんぶ摘んでから星を掴みたいから 夜になったら月をみる 友だちをもとめて

目玉焼きが笑ってら

胸の前で目玉焼きがわらってる 目玉焼きをのせたトーストとホットコーヒーの描かれたモーニングTシャツ。するりと風にゆれて、朝の雨も風も心地よくかんじる。 7月3日。きのうは人生を目の当たりにしたみたいなライブをみた夜だった。 そそくさと会社をでる、会社はまったく嫌いじゃないけれどそれでも逃げるように階段を駆け下りる18時3分。毎日あの瞬間が気持ちよくて、 遅れて到着した下北沢近松、フロアーはうしろまでひとが入っていたけれどうしろからでもステージはよくみえた。 みたバン