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強いのは弱点を言えること


これが、どれだけすごいことか。

私は人に弱いところなんて見せたくはない。だからこそ思うのかもしれないが、もはやありのままの自分とは何だろう。

断じて、嘘つきであるわけではない。強い自分を演じているなんて大それたものではなく、いたって自然に、自分が言いたくない事を口に出さないだけだ。

友人に弱音を吐ければどれだけ楽になるだろうかと思うことはある。特にお酒の席なんかでは。仲がいいのであれば相談すればいいじゃない?受け止めてくれるんじゃない?それって本当に友達?といった具合で思うかもしれないが、彼女たちは私にとって紛れもなく友人である。

ではなぜ、弱いところをさらけ出せないか。それは恥ずかしいからでも引かれるからでも心配されるからでもない。(そんな感情が全くないわけではない)

単に、受け止めてくれた友人に依存してしまう自分が怖いからだ。こんな私を好いてくれる友人は、間違いなくどんな私も受け止めくれるだろう。だからこそ、甘えてしまうのが怖いのだ。

そしてきっとそういう感情は誰しもあるんじゃないかと思っているから。扱いづらく処理のしにくい感情と折り合いをつけて、一時の癒しを受け取っている。それで良き関係が維持できてさらにメンタル安定に一役買っているのであればそれでいいじゃないかと。

人間関係というのは、子供のころによく遊んだ、公園にあるシーソーのようなものだ。この感情を説明しようと思ったが私の文章能力では説明しきれないことを察したため控えておく。要はバランスが大事だと言いたい。ちなみに私は物の例えが下手くそなことで定評がある。


友達だから、恋人だから、その人のすべてを知っていなければいけないわけではない。青春漫画風に言えば、弱さをさらけ出して初めて本物が芽生えるのかもしれないしそれは否定しない。しかしすでに青春を謳歌し終えた私はいいとこ取りでもいいと思っているのだ。

弱いところを聞き出して共感するのではなく、お互いいろいろあるよね、とアバウトに感情を共有する。このバランスが心地よくて満足する。


・・・と書きながら、もしかしてこれが大人(私)の悪いところなのでは?なんて思った。きっと大人って人に傷つけられるのが怖くて、なんてことない顔して自分を傷つけてるんだろうね。


やっぱり青春漫画的シチュエーションは羨ましいと思うし、正直かっこいい。他人の弱さを受け止められる心の広さや感情をコントロールする力、恐怖心と向き合うとか。大切なことはたくさんあるけれど、きっと私が求めているのは、自分の弱さをさらけ出せる場所であり人であり、強さなんだろうな。


トップの写真は5年前の熊本城天守閣から撮影。そしてせっかくだから下から撮った熊本城も。

熊本


Hasta mañana~!

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