私がヨロイを着て守りたかったもの(2)
会社に入ってから
普通の学生よりもずーーいぶん遅くに内定をもらい、日本のコンピューターの会社の大阪支店に入りました。やっぱり二部の私には就職のハードルは高かった(と当時は思ったわけです。)
配属はプログラマー。適性ないのに。
会社でも大学の話はしないどこうって決めてました。
半年ほどして東京本社で人手不足ってことで転勤が決まりました。
東京での仕事を始めたある日、同期のT君が「東君って大学どこなの?」う、逃げられない。ヨロイを固めて答えました。「大阪外大。」だ、ダメだ。ちゃんと二部って言わなきゃ。でもその言葉をいう勇気が出ない。言わないと学歴詐称になる。。。って悶々と葛藤していると、T君は「でも2部なんだよね。」って言ってさっさと向こうに行ってしまいました。
何で知ってるんだ?
後で分かったのですが、当時はコンピューターの中にあった社員名簿はちょっとした操作で誰でも閲覧できる状態で学歴から現住所から調べようと思えば簡単に知ることができたんです。
どこの大学?って聞かれたら、大阪外大って答えた。これは嘘じゃない。でもなぜか2部って言わないと正しく答えていない気がして、そこらへん気持ちが整理できていないままでした。
大阪外大と答えれば間違いではないが、自分を等身大以上に見せてしまう。大阪外大二部と答えればそれが私を等身大で表しているけど、「なんや夜間かいな?」事件で負った古傷が疼いて答えられない。
そこらへん整理できなかったし、きちんと向き合うことをしないまま、私はヨロイを補強することしました。
M先輩との出会いという転機
その会社で色々とうまくいかないことが多かった。ただ、Mさんという先輩との出会いはちょっとした転機になります。Mさんは、私のことをお見通しでした。
「東、お前は馬鹿だな〜。」ってよく笑って私を叱ってくれました。「お前、馬鹿なクセにカッコつけるから、馬鹿なんだよ。」とよく叱られました。
カッコつける=ヨロイをまとう なんですね。今思えば。
Mさんは、本当によく馬鹿な私の面倒を見てくれました。「馬鹿だな〜」って笑いながらもなぜか優しさを感じました。
今思えば、Mさん以外にも、私の相手をしてくださった先輩たちがいました。Mさんに面倒を見てもらって私のヨロイは重量級のものから軽量級のものに変わったのかもしれません。人事のI課長、同じ部のU課長も相手をしてくださいました。
同期とはうまくいかなかった私ですが、先輩たちの中には私の相手をしてくれいろいろなことを教えてくださった人たちがいました。
重量級のヨロイと軽量級のヨロイ
年が近い人たちと一緒にいると、重量級のヨロイで対峙した私でしたが、年上の先輩たちは私の「イロイロ」をすでに見透かしており、私は知らぬ間に軽量級のヨロイに着替えていました。
同期の人たちとうまくいかず、また1年後輩ともうまくいかず、そして何よりも国内の仕事には夢も希望も感じていなかった私は、たまたまMさん経由できた外資系電子部品メーカーからの誘いに渡りに船と転職することにしました。
転職って一旦自分をリセットできる。
そんな気持ちもありました。
さて、転職先ではどうだったのか?また振り返りつつ話を続けます。
読んでいただきありがとうございました。
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