とんちゃん

東 公成。合同会社 東 公成事務所代表社員。キャリアコンサルタント、アンガーマネジメン…

とんちゃん

東 公成。合同会社 東 公成事務所代表社員。キャリアコンサルタント、アンガーマネジメントトレーナー。Nシニアアドボケーター。30年間外資系電子部品メーカーの社内情報システム部門に勤務後、リストラを経て、2019年6月に合同会社設立。 https://www.k-azuma.jp

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私がヨロイを着て守りたかったもの(2)

会社に入ってから普通の学生よりもずーーいぶん遅くに内定をもらい、日本のコンピューターの会社の大阪支店に入りました。やっぱり二部の私には就職のハードルは高かった(と当時は思ったわけです。) 配属はプログラマー。適性ないのに。 会社でも大学の話はしないどこうって決めてました。 半年ほどして東京本社で人手不足ってことで転勤が決まりました。 東京での仕事を始めたある日、同期のT君が「東君って大学どこなの?」う、逃げられない。ヨロイを固めて答えました。「大阪外大。」だ、ダメだ。

    • 私がヨロイを着て守りたかったもの(1)

      前回はヨロイのイントロでした。いよいよ、私の中での本論に入ろうと思います。 今まで私のヨロイの内側に隠していた弱い自分って一体何だったのか?ってことです。 それは学歴ってやつ1980年の春、18歳の私は大阪府箕面市にあった大阪外国語大学の図書館5階のLL学習室から春の光が眩しい中庭に集う楽しそうな学生たちをコンプレックスいっぱいの気持ちで見下ろしていました。 大阪外国語大学って、国立大学の統廃合で現在大阪大学に吸収され、単科大学としては存在しません。しかし当時は東の東京

      • ヨロイなんか脱いで生きていこう

        先日、ある私以外全員女性というZOOM会議で「もういい歳なんで、ヨロイを脱ごうかと思う。」と切り出して、私のヨロイの歴史をちょっと語ったら、思いがけず共感されて、その共感っぷりに驚きました。 私は今年58歳のおじさんです。一昨年サラリーマンを中退して昨年起業してそこそこやってきたんですけど、今年の3月以降コロナのおかげでビジネスにかなりダメージを受けつつも、なんとかやっています。 さて、ヨロイの話に戻りますと。。。 自己肯定感が低いせいか、振り返ってみると「ああ、すりゃ

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