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日本にいると・・・

久しぶりの投稿になります。日本にいる間、本当に忙しすぎて全然書けませんでした。その間にめちゃくちゃ変化がありました。

まず、ダブリンから日本に帰国してから、

・私のことをかなり心配してくれていたので、実家に帰りました。
・旦那の実家に帰国のあいさつに行きました(関西)。
・会いたかった日本の友達らに会いまくりました。
・ダブリンの元クラスメート(ブラジル人)の弟が日本に住んでいるというので会って日本文化(寺・巻き寿司作り・温泉)を堪能してもらいました。
・TMネットワークとクラシックのコンサートに行きました。
・東京ドームに野球観戦に行きました。
コロンビアとペルーに(3週間半)行ってきました。
・ひょんなことから千葉に担々麺屋さんを新規オープンさせました。
・その後、ダブリンに戻り、2度目の留学がスタートしました。

ということで、3か月半でこなせるとは思えないような濃くて、激動の毎日を分刻みで過ごしました。

東京、千葉、埼玉、横浜、鎌倉、名古屋、大阪、兵庫を行ったり来たり。そしてコロンビアとペルーも。飛行機だったり、新幹線だったり、車で高速をぶっ飛ばしていたり・・・。それはまるでリアル桃太郎電鉄🍑のようでした。朝に目が覚めて、天井をみて「あ、今日は〇〇にいるんだ」そんな感じです。

新幹線……日本の運賃は高いよ😢
にゃごやと言えば、味噌カツとエビふりゃーとドテ煮だがね
久しぶりのソフトボールの試合に出たり….。意外にできた。
ブラジル人の友達と巻き寿司作ったり….。
某田舎に行ったり….。
阪神巨人戦を観たり….。拍手だけで声出して応援できなかったのが残念。
TMネットワークのコンサート!アラフィフ世代~!
アメリカ人の友達が行きたいというから行ってみた。アラフィフにはよくわからなかった
そして南米にも行っている💦
忙しかった一番の要因はこれ!担々麺屋さんを新規オープンさせました。詳細はまたそのうち投稿します。

こんなかんじでクソ忙しい中、ダブリンの友達(日本人)から「私、引っ越すので私の部屋に住みませんか?」と連絡が来ました。
ダブリンは住宅難で家賃がとにかく高い。高くてもOKならいいのですが、そうでないと、なかなかいい家に出会うとことができません。
私も何度か賃貸物件に問い合わせたものの、いい物件とは巡り合えず、友達経由で住むところが決まるだけでもラッキーなのです。マルタでは比較的簡単にみんな家をみつけてましたが、ダブリンは本当に困っている人ばかりでした。だからこれは逃してはいけない神様からのお知らせだと思い、ダブリンに戻ることを決めました。

もう一度留学しようと思った理由

それは英語が大して上達していないからです。私のワッツアップには100人以上の友達が登録されています。これはすべて外国人でマルタとダブリンで会った友達になります。これだけ友達ができて、その友達とコミュニケーションがとれているにも関わらず、リーディングもスピーキングもリスニングもグラマーもめちゃくちゃのままなのです。たしかに成長はしたと思うけど、足首くらいの高さだったスキルがひざ下くらいまで伸びたくらいでまだまだ全然初心者なのです。

これは年齢のせいにしていいのか、単に私がアホすぎるのかわかりません。なのでまだまだ英語しゃべれますと言えない私は、もっともっと英語の勉強をしなければいけないのです。なんのために???と言われるとよくわからないけど、外国人としゃべって一緒に大爆笑するという夢はまだ完全にかなったとは言えないのです。

それは永遠にたどり着かないゴールなのかもしれません。でもアラフィフの初心者の私が1年留学したくらいではぺらぺらになれなかったという現実を受け入れるしかなかったのです。

ということで、おかんの留学は2年目に突入をします。

日本に帰国して思ったこと

日本のいいところは、トイレがきれい、しかもちゃんと流れる、湯舟の文化はサイコー、居酒屋たのしい。そして何より、言語がわかる!ということです。
今まで英語の世界にいたときは、書いていることがわからなかったり、わかったとしても、私の翻訳が正しいかどうかいまいちわかりませんでした。
「おそらくこう書いてあるんだろうな」という常にMaybe…という状態。それが日本に戻るとすべて言っていること、書いてあることが理解できるのです。言語がわかるってなんてラクチンなんだろう。。。

日本語がわかるデメリット

ですが日本にいると、日本語がわかりすぎてしまい逆に自分を忙しくさせているような気がしました。
「日本にいるうちにこれをしておこう」「この人に会っておこう」「これをするなら、ついにでこれもしておこう」「ここにいくならついでにこの人にも連絡をしよう」「それならこれを買っておこう」・・・など、いろいろできてしまうが故に自分を忙しくさせてしまいます。(せっかちとも言う)

ダブリンやマルタにいるときは、自分のキャパシティが本当に狭いです。例えば「今日はシャンプーと単三電池、洗濯洗剤を買おう!」こんな小さなことが私の中で大冒険になるのです。
まずはお店でシャンプー売り場を探すところが始まります。初めての店内をぐるぐると歩き回ります。シャンプー売り場についたら、今度はシャンプーの前で必死に説明文を読んで、どれがいいのか、ひたすら悩みぬくのです。シャンプー売り場で立ちすくすこと10数分。やっと決まって、レジです。スムーズにレジの定員さんと話せるかな?とドキドキしながら。シャンプーごときでこの調子です。これがドライヤーとかパソコンのアダプターともなると、本当に難しくて、それだけで半日を使ったりします(私だけかも?)。

海外では、こういった小さな冒険を日々クリアしながら生きているわけです。英語の上手な友達には「Amazonで買えばいいじゃん!」と簡単に言われますが、Amazonで買うことも、デリバリーを受け取ることも私にとっては冒険になるので、結局せっせとお店まで足を運ぶのです。それに行きたいと思っているお店にたどり着くことも一つの難関です。ほしいものが売ってなかったら、別の店を探して、いっぱい歩き、バスに乗ったり、バスを乗り継いだり。これも冒険です。

日本にいるときに比べると、できることは本当に本当に小さなことです。それを一生懸命こなしています。
日本にいれば、こういうことがいとも簡単にこなせます。しかも効率よく、無駄なく。それが逆にできてしまうからこその忙しさに繋がっていたような気がします。

ダブリンにいるときは1日1つか2つくらいしかできなかったのに、日本にいると一気に10個くらいできてしまうのです。もしかして私はキャリアウーマン?スーパーウーマン?って思ってしまうくらい何でもできるんだと感じました。
だから日本にいるときは忙しいかったし、何もできないダブリンではスローライフだったんだろうなと思います。
ダブリンでは学校の授業と使い慣れないキッチンでご飯を作るくらいで、すごく充実した気がします。スーパーでよくわからない食材を挑戦するだけで、すごい達成感を味わいます。やっていることは大したことないのに。

英語がわからないメリット

そして日本語がわかる最大のデメリットは「(言ってはいないけど)こういう意味を秘めているんだろうな」という嫌味を察知してしまうことです。
一番言われた言葉は「留学から帰ってきたのね。優雅でいいわね。理解のあるご主人で本当うらやましいわ」という言葉です。「旦那さんのお金で行ってるの?」「自分のお金なんだよね。留学するためにお金貯めてたの?」「おかんの旦那はほんと偉いわ」….などなどです。

すべて旦那のおかげか!って感じ….。なんかむかつく。

そりゃ、そうなのかもしれないけど、「じゃあ、旦那は旦那の力だけでこの生活ができたとでも言うの?」

妻の私がいなかったら家事や食事はどうなっていた?子供の世話は?受験は?部活や少年野球のサポートは旦那だけでできたとでもいうの?
妻がやってくれたからこそ、これらすべてができて、旦那は安心して仕事に専念できたんじゃないの???と強く思ってしまいます。かわいくねー!かわいくないかもしれないけど、でもこれはぶっちゃけ本音。

でも世間は「奥さんの夢を理解して、旦那は送り出している」という風にしか見てくれません。これが現実。それだけ主婦の仕事というのは全く評価されないものなんだろうな、それよりそれらの主婦の業務を終えた私が次の道に進むことは理解のある旦那のおかげということになってしまうのかと思うとがっくりです。

この悪気のない嫌味を言われるたびに私はモヤモヤが心に溜まっていくのです。そしてそれは日本語がわかる、日本の考えがわかるからこそのデメリットなのかもと。

そのたびに心でチッと舌打ちして、この本音を言うのもそのうち面倒くさくなって、「そーなのよ、理解のある旦那でラッキーだったわ」と言っちゃうのです。

これを、もし英語で言われたとしたら、おそらく私は言っている意味がわからず、キョトンとした顔して、「Yes!I'm happy♡」と言って終わっていると思います。だから必要のないストレスを抱えない。おそらく、マルタやダブリンで聞いていた英語は、常に自分に都合のいい言葉だけ翻訳していたんだろうなと思います。だから本当にノーストレスでした。

わからないことはわからないままでいい!……のかもしれない。

知らんけど(笑)


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