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美しい人

普段ホラーなんて絶対書かないようなひとたちのホラー書きとしての一面も見てみたい。

サトウ・レンさんのお誘いに応じ、初めてのホラー小説を書いてみました。(ゾンビ小説は書いたことがあるけれど、あれは「ホラー」じゃなくて「胡乱」なのでノーカウント)

ホラー小説を書くのは初めてですが、怖い映画は好きで20代の頃に好んで観ていました。怪異が好きというよりは極限状態に陥った人間を見るのが好き。怖い映画の好きなジャンルはゾンビや韓国のサスペンスです。

さて、そんな私が書くホラー小説とは。
ちゃんと怖くなってるかな。


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その美しい人は店に来るたび別の人を連れてくる。圧倒的大多数が「みんなと同じ」なこの街で、その人は格段に美しく、連れは一目でわかる奇妙さを持っていた。

奇妙さ、というのは、まぁあれだ。同質が当たり前のこの街だからこそ奇妙なだけであって、多様性が浸透した街であれば、奇妙だなんて発言しようものならばボコボコに棒で叩かれる程度の差異だ。国籍とか、性別とか、身長が飛び抜けて高いとか低いとか、指が一本多いとか少ないとか「違う」と言っても環境や時代を変えれば「普通」に反転するような類のものである。お客もまばらな薄暗いパブの隅っこ、定位置のテーブルで、美しい人はいつも「奇妙」とヒソヒソ話をする。

三週間前に美しい人が連れてきたのはどこか遠い異国の民族衣装を着た老人、二週間前に連れてきたのは虹色に発光する派手な義足を両太腿から生やした少年、一週間前は顔中の皮膚を埋め尽くすほどにピアスをたくさんつけた妙齢の女。このパブに入り浸るようになって半年になる私より、おそらくずっと前から美しい人は連れを伴いここに通いつづけている。

今日。美しい人は、ひとりでパブにやってきた。
扉をくぐって一直線に店の奥へと歩みを進め、バーカウンター前で止まると同時にスタウトビールを注文し、軽く後ろに引いた右足に体重をかけてカウンターの向こうを眺め、バーテンダーから差し出される黒い液体が注がれたビアグラスをしなやかな手つきで受け取ると、肩越しに振り返り美しい人はこちらを見た。しまったうっかり目を奪われたと狼狽えて、視線を外し見ていないふりをするもむなしく美しい人はテーブルにやってきて、私の左手90度の位置に立った。
「いつもここに座っていらっしゃいますよね、ご一緒してもいいですか。」
蚊の鳴くような声で応じる私に微笑んで、美しい人はするりと音もなく椅子に座った。


話しすぎることもなく、黙りすぎることもなく、美しい人と私は心地よい会話を楽しんだ。ビール好きの美しい人とウィスキー好きの私とでひとしきりアイルランドの酒談義をして、おすすめの酒を交互に注文するなどしているうちにふたりの間の空気が柔らかくなっていった。

「そういえば今日は珍しいですね。一人で来られるだなんて。」
美しい人の表情がわずかに強張ったのを見て、失敗したと思う。距離が縮まったことに浮かれて触れまいとしていた話題に言い及んでしまった。

「えぇ、えぇ。いつもは友人と来ています。私たちのこと、見ていらっしゃったのですね。」
「いえ、いや、はい。いえ、あなたは目立つので。」
「えぇ、私たちはこの街ではとても目立つのです。」
美しい人と私との間に初めて沈黙が訪れた。美しい人の長いまつげが下を向く。

あの、と、言葉を発しようとした瞬間に、鳥の羽のような軽やかさで長いまつげが上がり、美しい人はにこりと微笑んだ。
「私も、友人たちも、この街では普通に生活するだけで、嫌がらせをされたり悪口を言われたり、いわゆる差別的な扱いを受けることが多いです。」
美しい人は私の目を覗きこみじっと動かない。私を待っているのだろう、意を決して口を開く。

「あの、あの、たしかにこの街ではあなたとご友人さんは異質に見えます。でも、あの、いま、見えます、と言いましたが、ほんとうにそれは見えるというだけで、それは、あの、見た目が違うだけということです。」
美しい人は上下のまぶたを合わせ、ゆっくりとまばたきをする。
「あなたとお話しして、あの、お話ししたのは今日が初めてですがとても楽しいですし、きっとご友人さんも素敵な方々なんだと思います。なんといってもあなたのご友人だし。それに、いや、あの、えっと。」
言いよどむ私に美しい人は首を小さく縦に振り、続けてください、と促した。

「あ、あの、これは私のポリシーなんですが、本能を飼い慣らして理性的でいようとしているんです。というのは、見た目も行動も、何にでも言えることですが、違いを恐れる、というのは動物の基本仕様だと思うんですね。原始の時代ならば、別の種族は自分のテリトリーを奪う存在として認知しないと自分や仲間がすぐにやられてしまいますし、病気や怪我で見た目に違和があるものを追放しなくては集団を危険に晒すことになります。だから、違うもの、を恐れたり嫌ったりするのは本能に組み込まれているわけで。人間も所詮は動物なので。」

「でも、現代に生きる私たちが本能だけに従うってのは文化的に生きるのを放棄しているんじゃないかと思うんです。違う、に対して、怖い、嫌い、で済ませていいのかと。だって、一緒に見える人たちだって中身は全然違うんだから、見た目が一緒ってだけで安心するのも何かおかしくないですか。見た目の違いだけ恐れて中身の違いを恐れないのもアンバランスだ。見た目も中身もひとりひとり違う、を前提に、じゃあ違う人を無闇に嫌わないために自分は何をしたらいいか。
「違う、ってことに敏感なのはいいと思うんです。違いを最初から怖がらないのはつまりは生存本能が薄いってことで、動物的にはアウトでしょう。といっても私たちは文明人だから、怖い、嫌い、の先に思考を進める余裕があるはずなんですよ。違い、がすぐ死に直結するわけじゃないですから。本能的に感じる恐怖を、思考で乗り越えるべきなんです。」

あぁ馬鹿、主義主張を語り始めると止まらなくなるのは私の悪い癖だ。だからモテないんだよ、と嘲った昔のクラスメイトの顔が頭をよぎる。

「心の声に正直に、ってよく言いますけど、あれは極端な話、理性を放棄している状態ですよね。耳障りのいい言葉に飲み込まれて陰謀論にはまるような人なんてまさにそうじゃないですか、自分の理解がおよばない範囲のことを本能的に恐れて遠ざけている。知らないことを知ろうとしない。自分の心に素直になるのは、前向きな感情においてはいいと思いますよ、そのまま素直に従えば。あ、いや、ネガティブな感情も否定するわけじゃないんです、否定じゃなくて。説明するのが難しいな、いや、難しくないか。えっと、ネガティブな感情が存在するのは直視したうえで、そう、直視しないとできませんから、直視したうえで、その感情をどう処理するのか考えて行動するのが文明をもつ人間がすべきことだと思うんです。
「この街にいると、あまりにもみんながみんな同じでいようとするので、それに抵抗したくて、私は外の世界を積極的に知ろうとしていますし、違うものを理解しようとつとめています。あなたとご友人さんがこの街でちょっと変わった存在だろうが私は差別的な態度を取りたくない。そう、本能を飼い慣らし理性的でありたいんです。」

すみません演説がすぎました、と目を泳がせる私に顔を近づけ美しい人は目を輝かせた。
「あは、すごい早口。でも思ったとおりでした。あなた熱い人だ。」

一度胸襟を開いてしまえばぐんと心が近くなるのは世の常である。美しい人と私はそのまま人間の心理や世の中の不条理や政治など一歩踏み込んだ話で盛り上がり、どちらからともなく発した、このまま帰るのは惜しい気がしますね、という言葉に乗っかってタクシーを呼びつけて美しい人が住むアパートメントに向かった。いつもはこんな初めて話す人の家に行くなんてことしないんですが、とタクシーの車内で言い訳がましく弁解する私に、美しい人は、あなたは理性的でありたい人ですもんね、と笑いかけた。


冷蔵庫から取り出した一缶のスタウトビールを一口ずつ交互に飲み、美しい人が毎夜就寝するシングルベッドの端に並んで腰掛けて、話し込んでいるうちに一時間が経っていた。

私の左に座る美しい人が、ふいに小指でそっと私の手の甲をなぞる。驚いて顔を見ると、美しい人は挑発的な表情をしている。その瞳は理性的でありたいと語った私をからかうかのようだ。真面目な顔も、いたずらっぽい顔も、美しい。

「あ、あの、美醜で人を判断するのも非常に本能的な行為だと思うので、ちょっと、私としては恥ずかしいのですが。でも、美しいものを素直に美しいと言いたい気持ちもあって。」
美しい人の目尻が下がる。美しい人は私の左頬に右手を添えると、顔を近づけ私の口角をぺろりと舐めた。湖面のような瞳に反射する光が、すぐ目の前で艶やかに踊る。

とろん、とした目にも色気があって、ほんとうに美しい人はずるいと思う。とろん、とろん、と垂れる目尻。美しい人はこんなに垂れ目だっただろうか。気のせいか、いや気のせいではない。瞳に映る光が角度を変えた。

きし、きし、と皮膚を引きつらせながら目尻が下がる。目尻が下がっているだけではなく、目頭も上がっていく。眼球の表面を覆う涙液を掻き分けて顔の中央に向かい遡上した瞳が、目頭を押し上げるようにふるふると震えている。美しい人の目が、目頭のほんの少しの色を残して真っ白になる。美しい人の目の周りの皮膚はぬるりとよじれて、もう目の角度は45度を超えて傾いて、私の肺は、ひっひっと乾いた空気を押し出していた。

目が90度傾いたところで回転がおさまった。目頭にめりこんでいた瞳が夏祭りの水風船のように落下して、びよんびよんと上下に往復する。美しい人は左手を伸ばし私の顔を両側から包み込むと、左右のまぶたを合わせ、ゆっくりとまばたきをした。

「あは、目をそらさずにいてくれたのはあなたが初めて。今まで知り合った人は、どんなに変わった人でも、中身はみんな同じだったんです。」
あなたはやっぱり理性が強いのかな、でも、本能に身を委ねてもいいんだよ、と言うと美しい人は向かい合わせの三日月のような両目で私を見つめ、半開きになった暗い口内から舌をのぞかせた。理性にも本能にも逃げられない、だらしなく笑い小刻みに震える私を、美しい人はきゅうと抱きしめ、耳に湿った口づけをした。

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