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夫が最高な話 ―趣味の時間はとれていますか

夫はすごい。私よりも主婦の気持ちを分かっている。

先日、幼稚園のクラスのランチ会(会社でいう部署の飲み会に相当するもの。飲み会よりもお安い会費1000円。)が開かれ私も参加してきた。出席者はママたち総勢13名。そのランチ会の自己紹介タイムで、私は少しばかりカルチャーショックを受けた。過半数が「趣味はドラマ鑑賞」と発言したのだ。

そんなにみんなプロトタイプ専業主婦みたいな趣味を嗜んでいるの?ほんとうに?

たまたまドラマ鑑賞が好きな人が集まっていたのかもしれないが、いままで関わってきた周りの人、少なくとも私の高校大学の友人や会社の同僚に、ドラマ鑑賞を第一の趣味とする人はほとんどいなかった。
見るテレビはEテレだけ、録画機器を持たない私は盛り上がるドラマ談義に耳を傾けるのみであった。


夜遅く帰宅した夫が夕飯を食べる横で、私は昼間の衝撃について語った。ひとこと断っておくが、ドラマ鑑賞を馬鹿にするつもりはない。吉沢亮さんがカッコいい、といった話題に積極的に混ざれなかった無念さと、ドラマ鑑賞以外の趣味の話も聞きたかったなぁという消化不良な気持ちを聞いてもらおうと思ったのだ。

夫は言った。
「ドラマ鑑賞って、そんなんライフラインやん。みんなやりたい趣味やれてないんちゃう。旦那さん、時間作ってあげてへんのちゃうかな。」

その発想はなかった。なんだそのピッタリ主婦に寄り添ったコメントは。
(反面、本当にドラマが好きな人の存在を無視したコメントである。吉沢亮さんについてアツく語っていた彼女はおそらく真のドラマ好きだ。)

ライフラインとしてのドラマ鑑賞。

産後すぐ、養育者(現状主に母親)は主体的に行動する権利を奪われる。正確にいうと、養育者本人の欲望を実現する権利が奪われる。食欲、睡眠欲、性欲の三大欲求から排泄欲まで。気晴らしのための欲望など、もってのほかだ。その逆に、子のためには休まず主体的に行動し続けなければならない。養育者のコンディションは不問である。

その状態に慣れると、養育者本人が自分のために何かをするという発想がなくなる。ブラック企業に搾取され続けた労働者が余暇を楽しむ余裕を失うのに似た状態だ。そのとき、気分転換にできることといえば、主体的になる必要がないものだ。育児中はフラッと外出するのが難しい。家の中でできるものが条件だ。つまり、テレビ鑑賞である。私の場合はスマホゲームだった。
育児マシーンではなく、人間としての自分を保つために気分転換は必須だ。

子は育つ。遊びや食事など、少しずつ子ひとりでできるようになり、徐々に手がかからなくなる(行動面の話で、精神面はますます手がかかるようになるが)。養育者の心と体に徐々に余裕が出来始める。そのタイミングで産前に趣味に強くこだわりを持っていた人は、趣味を取り戻すべく動きはじめ、とくにこだわりのない人は現状を維持する。ライフラインとしてのテレビ鑑賞がそのまま趣味へとスライドするのだ。
私も、次男の地獄の夜泣き(夜間2時間おきに大号泣)が1歳過ぎて突然終わったとともにスマホゲームに急に興味がなくなった。より主体的にできる趣味を求めはじめたのだ。次男1歳半、私の精神力が回復したと同時に始めた趣味がnote投稿だ。

夫が実際に言ったコメントは前述の「」内のみである。「ライフライン」の単語に反応して、ここまで思考が飛んでしまう自分にやや呆れ気味だが、乳幼児育児中の多くの人に当てはまる現象ではないだろうか。

先の幼稚園ランチ会ママには転勤族が多く(私も現住地には夫の転勤で越してきた。転勤族の妻は専業主婦が多い。)、夫が家事育児に協力的でないという嘆きを聞いた。
専業主婦は稼いでいないのだから土日も休まず働くべきという考えを未だに持っている人が多いが、会社にたとえると、直接稼ぎのない総務部や経理部は休みを取るべきではない、と言っているのと同じだ。労基に訴えるぞ。家庭という会社を支えるのは、稼ぎを得ている直接部門だけではない。


夫は続けてこう言った。「マリナさんは趣味の時間、取れてる?」

この土日、夫は一人で子どもたちの遊び相手となり、私は今一番アツイ趣味、noteへの投稿を存分に楽しんだ。
note執筆が終わったらもちろん交代しましたよ。子どもたちと遊ぶのも実に楽しい。我が家の子どもたちは独創的な遊びを発明していつも驚かせてくれる。夫は昼寝をしました。

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