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【対岸にいたあなたと同じ「好き」を見る】

ショパンを弾くのをやめてバッハの楽譜を開く。

十数年ぶりに向き合ったピアノは、十数年前と同じ「ピアノ」とは思えない鈍重なメロディを奏でる。仕方がないといえば仕方がない。成人して以降、ろくにピアノを弾いていなかったのだから。

なまったピアノの腕でショパンのワルツを鮮やかに弾こうなど思い上がりもはなはだしい。それでも全盛期の記憶をたぐりよせようと、無駄にあがいてはみた。結果は惨めなものだった。


『バッハ 小品集』のページを開き、すがるように一曲目を弾いてみて、長いブランクを経てなお滑らかに動く指に安堵する。よかった、小学校低学年で弾いたこの曲まで弾けなくなっていたら、ちいさく縮んだ自尊心を抱きしめてブランケットにくるまりふて寝するほかない。

どんなにちいさなことであろうと「できた」は私を強くする。一曲を淀みなく弾ききることができて、ふと、少し欲を出してもいいんじゃないかと思った。

「遅くなっても早くなってもだめよ、楽譜どおりに」

単調なリズムに嫌気がさしてバッハをアレンジしたがる私に、先生が口を酸っぱくして言い聞かせたフレーズ。子どものころ、どうやっても私がクリアできなかった課題。「できなかった」ではない、「したがらなかった」課題。なぜなら私は、「指示通りに」弾くことが不得意だったから。

いま一度「楽譜の指示通り」を意識して弾いてみる。


ピアノのレッスンが行われる先生の自宅。リビングのソファに腰掛けて私のレッスンが終わるのをじっと待つ女の子に、先生は声をかけた。

「Kちゃん。発表会の、あなたの課題曲を弾いてちょうだい」
眼鏡に細い三つ編みおさげ、真面目そうな風貌のKちゃんは表情を崩さずに「はい」と答え、ソファから立ち上がった。私はピアノ椅子をKちゃんに譲り、入れ違いでソファに座った。


Kちゃんの、十本の指が鍵盤に置かれる。すっと息が吸われる音がして、直後、ピアノがメロディを奏で出す。端正に、等間隔に刻まれる鍵盤。どの曲だったか記憶が曖昧なのだけど、それは「超絶技巧」で知られ「ピアノの魔術師」と呼ばれた音楽家、リストの楽曲だった。

楽譜を見つめるKちゃんの、上半身の動きに無駄はない。カカカカ、トトトト、と打ちつけられる指は、まるでグランドピアノの内部でピアノの弦を打つハンマーが表に出てきたようだった。

指が機械仕掛けであるかのように、どんなに複雑な箇所でもKちゃんは淡々と鍵盤を捉えていく。バッハさえも忠実に弾きこなせない自分には、とても真似できないと圧倒された。
それと同時にこう思った。なんて色の無い音なんだろう。なんて無表情なんだろう。工場の生産ラインで仕事をこなす、産業用ロボットみたい。


翌週レッスンをはじめるやいなや先生は言った。
「Kちゃんのピアノ、すごかったでしょう、機械みたいに正確で。あなたもがんばりなさいよ、あなたはすぐに楽譜を無視するから」

むくれ気味の私をみて、先生は笑いながら付け足した。
「あなたはでも、ショパンが乗り移ったかのように弾くわね。Kちゃんのバッハは完璧なのだけど、リストを弾くにはちょっと情熱が足りないのよ」
足りないところを補いあえたらふたりともパーフェクトだわ、と先生は励ますように断言し、その話をおしまいにした。

次のレッスンが始まる45分後、先生は目線を逆にした同じ話をKちゃんにしたのだろう。


数週間後に行われた発表会で。一音踏み外しながらも聴く人の身体を揺らす情熱的なショパンと、表情は乏しくも聴く人を唸らせる技巧的なリストが、先生宅のリビングに響きわたった。

「正解」に縛られず、表情豊かに演じる競技が私は得意だった。「正解」の中で、どれだけ精度を高められるかがKちゃんの得意競技だった。

ステレオタイプな分類をするならば「アーティスト」と「職人」とでも呼ぶのかもしれない。あのときの私は、Kちゃんを対岸の存在として冷ややかな目線で眺めていた。

今ならわかる、私たちは対立するものじゃなくて、ゆるやかに溶け合う存在であること。

30代半ば、大人になった私は「楽譜通りに」ピアノを弾いてみて発見したのだ。型に押し込めてもなお、零れ落ちるきらめきがあることを。「正解」の精度を高めながら、「正解」にとらわれない表現ができることを。さらに、型にはめること自体が、心踊る時間になりうることを。


ねえKちゃん。あのとき私はあなたの視線の先に何があるのか分からなかった。Kちゃんと180度違う自分が、対岸に立つあなたの目線を共有できるだなんて思ってもみなかった。

表現力のショパン、超絶技巧のリスト、19世紀の天才音楽家。

私たちが与えられた課題曲のふたりは、一歳差で、良きライバル、良き友人だったらしい。お互いの才能に強烈な羨望と嫉妬を抱き、惹かれあった正反対のふたり。

残念なことに、ショパンは39歳で亡くなってしまう。ショパンの死後、リストはがらりと作風を変え、ライバルの面影を追い求めるかのように表現力を重視したという。鏡の向こうの魂に触れたくて、リストは対岸の景色を見に行った。ショパンのほぼ倍、74年の生涯をかけて。

ピアノから離れて十数年、気づくのは遅かったけど。大人になってようやく、得意分野の「表現力」さえあればいいと思っていた私は「技巧」が生み出す昂ぶりを知った。ライバルの早逝をきっかけに知るだなんて悲しい文脈じゃなかったことは、喜ばしいことかもしれない。

対岸に冷たい目線を送っていた自分は、なんて小さかったんだろうと思う。あのころの私は、向こう側の輝きを否定することでしか自尊心を保てなかったのだ。

あなたがあのとき見据えていた輝きを、今なら、まっすぐ見つめられる気がするよ。

2020.08.06  まりな


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#書き手のための変奏曲 です。

「十数年ぶりにピアノを弾いたら、得意だったショパンが全然弾けなくなっていてバッハばかり弾いている。」
この日常の一コマをあのnoterさんだったらどういう角度で切り取って、どういう筆致で描くだろう、を書いてみるチャレンジ『 #noter文体模写 』の第3弾でした。

記事のフォントを個別に明朝体に設定できないことを今回ほど歯がゆく思ったことはありません。文体オリジナルはこの方です。

みくりや佐代子(ちゃこ)さん。彼女もピアノ経験者なのでテーマ的には何も違和感なく書けました。テーマ的に馴染みすぎて、ちゃこさんの体験談だと勘違いする人出てくるんちゃうか。私の体験談です。

テーマとしては馴染みやすかったのですが、ちゃこさんのお家芸「過去の出来事に関する感情を思い起こしてエッセイにする」というのが私とても不得意でして。苦労したポイントです。

ちゃこさんの文章には自分の文章と相反する要素が多いように思うので、模写をしなければ(というかもうこれ文体の模写じゃなくてnoterを憑依させて目線をコピーするイタコ芸だ、降霊術だ)分からない視界を体験することができて新鮮でした。すんごい面白かったです。

今回のエッセイじゃないけど、ちゃこさんは私と違うタイプの書き手で、それで余計に魅力を感じるんだろうなぁ。ちゃこさん、大好きだよ!


#noter文体模写 過去作品はこちら

vol.1:『Daylight Walz』
vol.2:『バッハの真実を知っているか』

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