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女医の育休復帰。ライバルは、夫の車だった。


2020年が終わろうとしている。

育休復帰から8ヶ月。フルタイムかつ月一の休日勤務を続けている。毎朝8時前に出勤し、5時すぎに退勤。子どもを保育園に迎えに行き、晩ご飯、お風呂、寝かしつけと怒涛の日々。実家はやや遠方で、ワンオペ率は高い。子どもが熱発した時は夫婦で対応している。

はっきり言って余裕はない。それでもなんとか続けられるのは、週に一回、夫が定時退勤をして息子を迎えに行ってくれるからだし、月に一回、休みを取って息子を見ていてくれているからだ。


育児のために定時帰宅する、あるいは休みを取る。


残念なことだが、実際にそんな働き方をしている医師は少ない。少なくとも私の職場にはいない。夫の職場でも、育児のために週に1回でも定時で帰っているのは夫だけだ。私の部署でも、乳幼児を育てている男性医師はたくさんいるが、誰も「子どものお迎えがあるので定時で帰ります」と言い出す医師はいない。


妻が働くために、夫が仕事を調整する。


たったこれだけ。たったこれだけのことが出来るか出来ないかが、妻の働き方によくも悪くも大きく作用する。



収入を得るためには、週1回のアルバイトと月1回の休日勤務が必要


大学病院の勤務医というのは、極めて歪な給与体系をしている。

大学からの給与は非常に少なく、日給1万円程度だ。手取り20万円程度、日雇いの非常勤職員として扱われ、手当も退職金もほとんどない。(大学によっては給与がゼロというところもある)

それでは生活できないため、大学の勤務医は「アルバイト」をしている。関連病院に非常勤医師として月に何日か勤務することで、大学の日給より遥かにまともな給与を得る。それを合わせて、なんとか人並みの生活ができる。


生活するためにはバイトが必要。


育休復帰後、私ももれなく、収入のためにアルバイトをしたいと申し出た。そこで上司から提示された条件は「フルタイム勤務」と「月1回の休日勤務」だった。それができなければ、バイトはなし。週4日ないし5日、朝から夕方まで働いて、手取りは月15万円程度。時短勤務を選べば、さらに少ない。


是が非でもアルバイトをしたかった。だが、私は当初、この条件を受け入れることができなかった。否、とても受け入れられない、実現不可能だと考えっていた。

引っかかったのは、月に1回の休日勤務。

土曜日ないし日曜日、朝9時から19時まで病院で緊急手術に備えて待機する。いわば休日当番、日直と呼ばれているものだ。医師である以上、緊急手術というものは必ず存在する。誰かがそれに対応しなければならないというのは分かっていた。だが正直なところ、自分に勤まるとは思えなかった。

なぜなら、夫もまた、休日出勤があるからだ。

子どもがいない間はよかった。夫婦両方が休日出勤をして、一日顔を合わせなかった、ただそれだけだった。だが、子どもがいると話は変わる。誰かが子どもの面倒を見なければならない。食事を与え、オムツを変え、お風呂に入れて寝かしつけをしなければならない。

私が出勤する。夫も出勤する。ではその時、子どもはどうしたらいいのだろうか。

シッターさんに丸一日預ける金銭的な余裕はなかった。そんなことをすれば、その日の手当がまるまる飛んでしまう。かと言って、遠方に住む初老の親を呼び寄せ、丸一日、息子の面倒を見させるのも躊躇われた。


この時やっと、私は目の前に立ちはだかる障壁に気づいた。


夫が休めなければ、私は働けない。

夫は休めないから、私は働けない。


月1回の休日出勤などとてもできない。役目を果たせない。諦めて月給10万円の道を進むしかないと、考えていた。



産後の女医は仕事をセーブする、という刷り込み


出産当初、私たちはなぜか、妻である私が育児を全面的に担うものだと思い込んでいた。妻が時短で復帰し、送り迎えをし、熱発時の対応をする。女医が家事育児を主に担い、男医はこれまでと変わらず仕事に邁進する。実家が近くにあったり、よほど恵まれた環境でなければ、妻がフルタイムで休日も含めて働くことは難しいと。


事実、夫は忙しかった。

外科医である夫には、入院中の担当患者が何人もいる。患者さんを診察し、薬を処方し、検査をし、時に家族を交えて病状説明を行い、緊急対応をする。

相手が人間である限り、想定外の出来事というのは常に付きまとう。今日は定時に帰れるだろうと思っていても、”なにか”があれば帰宅はできない。患者を受け持っている以上、その"なにか"から逃れることはできない。「今日は何時に帰れそう?」と尋ねても、大抵は「わからない」と返ってくる。


育休中、美容室に行きたい時があった。ネットを見ていると、ちょうど土曜日に予約が取れそうだった。土曜日でも夫は出勤する。いつもなら諦めていたが、久々に髪を切りたかった私は夫に尋ねた。土曜日の夕方に美容室に行きたいのだけど帰ってこれる?、と。

返答は「何もなければ昼過ぎには帰れると思うど、確約はできない」だった。

結局、美容室は予約しなかった。確約できないと言われている状態で、もしキャンセルすることになったらお店に申し訳ないと思い、できなかった。


半年ぶりの美容室ですら行けない。夫は仕事を調整できない。休めない。

その状態に慣れきっていた私は「夫に月1回休んでもらって働く」という選択肢は浮かばなかった。夫は絶えず仕事に拘束され、仕事を休めないものだと信じきっていた。



きっかけは車の点検だった


その認識が変わったのは、産後半年を過ぎたころだった。

夫婦で共有しているカレンダーを見たとき、「車の点検」いう言葉を見つけた。それは夫が入力した予定で、土曜日の午後、夫は車の点検のために仕事帰りにディーラーに寄るとのことだった。


これを見た時、私は愕然とした。

妻が半年ぶりに美容室に行きたいと伝えても「何時に帰れるか分からない」と言う夫は、愛車ために予約を取れる。間に合うように仕事を終わらせる努力をし、万が一行けないとなった場合はディーラーに電話をして「すいません、仕事の都合がつかなかったので」と謝罪する意思がある。

夫は、休日に予定を立てることができるのだ。


その瞬間、私は猛烈に夫の車に嫉妬した。


よもや自分の人生において無機物に嫉妬する瞬間が訪れるなど、かけらも思っていなかった。

私は夫の車に嫉妬した。負けたと思った。私のために夫は予定を調整することはしない。私は夫が休日出勤をしても、なにも言わずに息子の面倒を見ていた。夫のために時間を捻出することはあっても、してもらうことはなかった。それは仕方がないことで、当然だと思っていた。

だが夫は、自分の車のために予定を調整した。

自分が車より格下に扱われているような気がした。大人気なくも、我慢できなかった。それと同時に、これまで鉄壁だった「夫は仕事は休めない」という概念に、大きなヒビが入った瞬間だった。

この日を境に、私は猛然と夫に仕事の調整を求めた。私が復帰後、月に1回、仕事を休んで子どもの世話をしてほしいと訴えた。そうすれば私はアルバイトに行ける。専門職として贅沢はできないものの生活できるだけの収入を得られる。予定は前々から伝える。そちらの都合も考慮する。一ヶ月に一日でいいから、妻の出勤のために仕事を休むと職場に伝えてほしい、と。

交渉は何ヶ月かに渡った。一歩進んで半歩下がるようなやりとりが繰り返された。それでも、私は一歩も引かなかった。一歩でも引けば自分は車よりも格下なのだと証明するようで、絶対に譲れなかった。


夫は仕事を休めるのだ。これまでは休めなかったわけではなく、休むための調整や努力をしていなかっただけなのだ。




休めない仕事など、この世にあるのだろうか


絶対に代わりのいない仕事なんてものが、果たしてこの世に存在するのだろうか。

国家元首ですら代替わりをするこの時代に、一介の勤務医がいなくなって回らなくなるような仕事は、果たしてどれだけあるのだろうか。


仕事を休むか休めないかは覚悟の差に過ぎないと、聞いたことがある。


事実、私の夫は仕事を休んでいる。一ヶ月以上前から「この日は妻の勤務があるので」と職場に伝えて、頭を下げて、仕事を休んでいる。

休めるのだ。休めると気づいて、ちゃんと調整をすれば。


夫は仕事を休める。それに気づいたことが、私の育休中の大きな成果だった。これに気づかなければ、私は今も時短勤務で、息子に関することを一人で背負い、引き受けていたかもしれない。訴訟リスクを伴う専門的な仕事をしながら、保育園代にしかならない給与明細を見つめて、仕方のないことだと自分に言い聞かせて、天を仰いだかもしれない。



育休復帰前に、夫婦の共通認識として「育児は夫婦の両方で行うもの」「そのために互いの職場にお願いをして、仕事を調整するもの」と考えることができたのは、とても運が良かったように思う。周囲にそんなモデルケースがいない中、その時の自分たちが選ぶことのできる、最前の選択肢だった。

かつては嫉妬していた夫の車も、今ではチャイルドシートを乗せて息子を送迎してくれる、心強い仲間だ。





育休復帰前の女医が、夫の車に猛烈に嫉妬した。

そんな、ささやかな話。

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