見出し画像

追い求めて20年。花總まりのエリザベートを見届けて


花總まり、という稀代の娘役がいる。


私が彼女を知ったのは2002年の秋。今から20年前のことだ。ふとしたキッカケで母の友人から渡された「エリザベート(1998年宙組ver.)」のVHSが始まりである。その作品でエリザベートを演じていたのが、当時、宙組の娘役トップスターを務めていた花總まりだった。

作品の中で、彼女は16歳の初々しい少女時代から、悲しみと孤独を背負いながら亡くなる60歳のその時までを演じていた。歳を重ねるつれて変わる演技や歌唱。宝塚らしい豪華絢爛な衣装。当時13歳だった私はエリザベートも当時のヨーロッパ情勢も知らなかった。そんな中で、彼女と彼女が紡ぐ物語を「面白い」と感じ、魅入られていった。

暇さえあれば何度もVHSを見ていた私の様子を母が友人に伝えたようで、「おもしろかったのなら」と他の作品のVHSも貸してくれた。その何本目かで出会ったのが「鳳凰伝〜カラフとトゥーランドット〜」という作品で、まさにこの作品で私は花總まり、通称「お花様」におちた。



トゥーランドットに魅せられて


その名の通り「鳳凰伝」はプッチーニのオペラ「トゥーランドット」を題材にした宝塚歌劇団のミュージカル作品だ。

トゥーランドットは「中国皇帝の一人娘である王女トゥーランドットが、その美貌を武器に『異国の王子たちよ。自分と結婚したければ、自分が出す謎を解け。解けなければ首を刎ねるぞ』と御触れを出し、謎を解けなかった王子たちの首を次々と刎ね、その国を攻め滅ぼす」という、なんとも激しい作品である(すみれコードギリギリすぎる)。



他国の王子が首を刎ねられるのを目の当たりにしながらもトゥーランドットに魅了され「お前は私のものだ!」と果敢に謎に挑む王子・カラフ。そのカラフに「お前の首は私のものだ!」と高らかに宣言する王女・トゥーランドットを演じていたのが、当時娘役トップスターだったお花様だった。

宝塚の娘役スターといえば、一般的に「男役に寄り添う」存在として役を作られることが多い。宝塚歌劇団は男役トップスターを頂点とした組織(通称:スター制度)なので、純愛にせよ、悲恋にせよ、コメディにせよ、「主役は男役トップ」の構図が取られる。そんな中で娘役トップが男役トップと真正面から拮抗し圧倒的な存在感を示す「鳳凰伝」は非常に珍しい作品だった。


このトゥーランドットが凄かった。


美しい。とにかく美しかった。長い黒髪に中国風のメイクをしたお花様は思わず平伏したくなるほどの圧倒的な美しさだった。作品の冒頭、トゥーランドットが銀橋を渡りながら娘役らしかぬ低い声で、過去に祖国が受けた陵辱を歌い語り出すシーン。あまりにも多くの王子を殺しすぎていると実の父である中国皇帝に咎められた時、「私は自分が何をしているかわかってます」と淡々と答える姿。カラフに謎を出すシーンで勝利を確信したトゥーランドットが高らかに笑う場面。有無を言わさぬ存在感、演技力、氷のような美貌、溢れ出す狂気性に鳥肌が立った。

トップスターと激しく切り結ぶ芝居に、私はすっかりお花様にハマってしまったのである。



タブーだった「最長在任期間」と「100年に一人の娘役」


ここで簡単にお花様の略歴を紹介したい。

花總(はなふさ)まり
1989年 宝塚音楽学校入学
1991年 宝塚歌劇団入団
1994年 宝塚歌劇団雪組・娘役トップスター就任
1998年 宝塚歌劇団宙組・娘役トップスター就任
2006年 宝塚歌劇団退団

お気づきだろうか。彼女が娘役トップスターを務めた期間は通算12年3ヶ月にものぼる。トップスターの平均在任年数が3年(約5作)と言われている中で、これは驚異的な長さだ。実際に、戦後最長の記録とされており(戦前の宝塚では13年間トップを務めた娘役さんがおられたが、当時は今のようにトップコンビが固定されていなかったため、主演娘役を演じ続けた期間としては歴代最長となる)、いまだに破られていないし、これからも破られるとはまずないだろう。

長い。とにかく長かった。この長さゆえに、彼女はタカラジェンヌとしてのあり方を問われ、批判される対象ともなっていた。


宝塚歌劇団には5つの組があり、それぞれに男役と娘役のトップスターがいる。在団者はおよそ400名。トップになれるのはたった10名。トップスターがトップスターを辞めるのは彼らが退団(卒業)する時だけ。辞めなければその席は絶対に空かない。その状況で12年間一人の娘役がトップであり続けたということは、その間トップ娘役の席は一つ減っていたことになる。

私がお花様のファンになった2002年、すでに彼女の在任期間は8年になっていた。当時も今も十分に「長い」と言える長さだった。それもあってか「芝居が同じ」「飽きた」「他のキャストで見たい」と評されることも少なからずあった。むしろ任期が長い分、他の娘役よりも多かったように思う。

私はお花様の他に、好きな娘役が2人いた。どちらも同じ宙組に配属され、どちらもトップ娘役候補だった。トップ娘役の旬は男役に比べたら短い。どれほど素養があっても、その時にトップの座が空いていなければ就任できない。トップであるかどうかは在団中だけでなく退団後のキャリアを大きく左右する。好きな娘役だからこそトップになってほしい。でもお花様が辞めない限り彼女たちはトップにはなれないかもしれない。そんなジレンマを抱えながら、私は彼女たちを応援していた。


トップ娘役時代の作品は、ショーを除いたミュージカル作品だけで30以上ある(wikipediaで数えてみたが途中からよくわからなくなった)。そのうち、私は14作品を見てきた。1996年の「あかねさす紫の花」から2006年の「NEVER SAY GOODBYE」まで。「あかねさす〜」や「仮面のロマネスク」「エリザベート」「激情」「鳳凰伝」「BOXMAN」のように評価が高いものがあった一方で、「なぜ彼女がこの役を?」と感じるものもあった。


「オペラ座の怪人」を下敷きにした「ファントム」。お花様が演じたのは歌姫・クリスティーヌ。確かにうまい。うまかった。でも、もっと歌が上手いキャストがいた。正直に言えば当時のお花様は歌の人ではなかった。歌だけで感情や情感を表現するのが得意な人ではなかった。

「白昼の稲妻」もそうだった。ヒロインのヴィヴィアンヌは未婚の伯爵令嬢で、「若々しい」「初々しい令嬢」を演じるには、当時の彼女はややキャリアを積みすぎていた。(当初この作品のヒロインは「未亡人」だったが、なぜか途中で「未婚の伯爵令嬢」になったそうだ。できれば未亡人のまま、同じ柴田先生の「仮面のロマネスク」のような大人の恋愛劇を観たかったと思うのは私だけではないだろう。おそらく大人の事情で変更になのだろうと、色々推察できる部分はある)


私はお花様が好きだったが、当時はなにせ中学生。おいそれと劇場に通える身分でもなく、親にVHSをねだれる関係性でもなかった。唯一の情報源はインターネットで、日課のように絶えず情報を探していた。
情報源は歌劇団のサイトや取材記事、そしてブログや掲示板での感想。情報は玉石混合だったが、選べるほどの余裕もなかった。匿名掲示板では最初から悪意のある書き込みもあったが、中にはお花様が好きで、純粋に宝塚が好きで、だからこそ素直な感想を書く人も多かった。そしていつも最後には「彼女はいつまで続けるのだろうか」という、なんとも言葉にしづらい感情が漂っていた。


「歴代最長の娘役トップスター」「100年に一人の娘役」

宝塚を退団して15年以上経った今、お花様と言えば必ずこれらの言葉が出る。けれど宝塚時代、彼女がその言葉で紹介されることはほとんどなかった。

花總まりは、最後の最後まで「男役に寄り添う娘役」であり続けることを望んでいた人だった。「歴代最長」も「100年に一人の娘役」も、彼女はおそらく望んでいなかった。どこまでも宝塚の娘役らしく、初々しく、夢夢しくあることにこだわっていた。
しかし、彼女が娘役として積み重ねてきたキャリアやポテンシャルは、男役を引き立て、男役に寄り添う娘役に留めてくれなかった。不幸なことに「本人がやりたいこと」と「強みが発揮できること」と「ファンが望む姿」、それらすべてがチグハグだった。

花總まりという娘役を、実際のところファンも劇団もどう扱って良いかわからなかったのだろう。特にファンは、長く娘役を続けていることの”意義”を受け止めあぐねていた。花總まりは確かに特殊で、けれど素晴らしい娘役だった。だから月影瞳さんのようにバウホールで主演を演じてもよかったし、大劇場で主演をやってもよかった。だが、そういった「100年に一人の娘役」らしいイベントはほとんどなく、退団公演のサヨナラショーでさえ出番は控えめで、ただ漫然と、ごく普通の娘役トップスターとしての時間が流れていた。


そんな中、2006年7月2日、彼女は宝塚歌劇団を退団した。退団の理由を問われて「春に始まる公演で退団したかった」(退団公演は3月から7月にかけて上演された)のようなことを語っていたが、たぶんそれは本当の理由ではない。12年間務めたトップスターの座を降りる理由としてはあまりに説得力がなさすぎる。

退団公演の千秋楽、高校3年生だった私は結局一度も生の舞台を見ることがないままその日を迎えた。塾で英語の授業を受けながら「今頃は退団挨拶か」と気持ちを窓の外へやっていた。

退団後、彼女は女優業を休業。

ファンクラブにも入っていなかった私には、本当に情報が入ってこなかった。コンビを組んでいた男役トップさんのマネージャーをしているとか、その男役さんのファンクラブの集まりにいたとか、その人の主演舞台に出るとか、そういう断片的な情報しか入ってこなかった。彼女が「花總まり」として、一人の独立した女優として活動する日はもう来ないと諦めていた。ダビングしてもらったVHSを繰り返し見たり、MDに録音して聞き続けたり、「過去の残像」をスルメのように噛み締める日々だった。


そんな中、知り合いの宝塚ファンの先輩からふと「お花様、そろそろ復帰するかもしれない」という噂を教えてもらった。2011年のことだった。



初めての「花總シシィ」。エリザベート・ガラコンサート


2012年7月、お花様がブログを開設した。最初の投稿で、同年11月から開催されるエリザベート・ガラコンサートに出演すると書かれていた。

舞台はなまもので、それを演じる役者さんも当然、生きた人間だ。だから一つの作品に出たからといって、二つ目三つ目とはならないかもしれない。「また次の舞台を観よう」と思っていても、その「次」は二度と来ないかもしれない。これから本当にミュージカル女優としてやっていくのかもしれない。けれどもしかしたら、これが最後の舞台になるかもしれない。

卒業試験を終えた2012年12月、医学部6年の私は1回だけ取ったチケットを握りしめて公演を観に行った。梅田芸術劇場、2階のA席。意外にも舞台が近く見える席だった。

舞台の幕が開いて「我ら息絶えし者ども」が聞こえた瞬間、訳もなく号泣していた。トート役の姿月あさとさんの「最後のダンス」が素晴らしくて、ショーストップせんばかりの拍手を送った。そしてお花様演じるエリザベートは紛れもなくエリザベートだった。「私だけに」のファルセットも、鏡の間で青いライトに照らされた神々しい姿も、ルドルフを失った時の絶望も、コートダジュールの孤独も、すべてが私が追い求めていたエリザベートだった。現役時代には存在しなかった「私が踊る時」を元・宙組トップコンビ(ずんはな)で聴いた時は鳥肌が立った。

お花様が現役時代、一度も生で見られなかった。けれど今、私はここで花總まりのエリザベートを観ている。それだけ十分だった。花總まりという稀代の娘役に戸惑ったことも、純粋に花總まりが好きだと言えなかったことも、この公演ですべて昇華された。

この観劇、私はものすごく運が良かった。たまたまトート役の姿月さんの楽日で、カーテンコールで姿月さんとお花様がマイクを持って話される、というすごい機会に遭遇してしまった。あの時の姿月さんの「今日は楽だから、花ちゃんと『一緒に昇天しようなあ』と言ってました」という優しい表情と、それを受けてお花様が下級生時代のようにニコニコと姿月さんを見つめていたのが、言葉にできないくらい幸せで暖かかった。



女優復帰、でも、エリザベートは無理かもしれない


エリザベート・ガラコンサートを皮切りにお花様は東宝ミュージカルに出演する。2013年の「モンテ・クリスト伯」、2014年の「レディ・ベス」「モーツァルト!」。ちょうど関東で就職していた私は、「モンテ・クリスト伯」と「レディ・ベス」を観劇したが、その時の素直な感想は「これはちょっとキツイかもしれない」だった。

先述したが、花總まりは決して「歌の人」ではなかった。娘役として稀有な演技力と表現力を持ってはいたが、歌だけの表現は苦手だった。もとの声量が小さく、音程も外すとまではいかないが、終始安定しているとも言い難かった。花總まりが活躍するとしたらそれは「ミュージカル」しかない。けれど「ミュージカル女優」として活躍するには越えなければならないハードルが多かった。

宝塚と違い「外の」舞台では男性もたくさんいる。そして「歌」を武器に生き残ってきた人たちが至る所にいる。その世界で存在感を残し爪痕を残していくには歌は必須だった。生まれ持った気品と、美しい立ち居振る舞いと、「憑依するような」演技力だけでは残っていけない。

「モンテ・クリスト伯」でメルセデスを演じたとき、主人公のエドモン・ダンテス(モンテ・クリスト伯)を演じたのは石丸幹二さんで、二人の声量・歌唱力の差は明らかだった。外してはいない。歌えてもいる。けれど負けていた。主演を演じた「レディ・ベス」では歌唱力が上がっていると感じたものの、歌だけを見るなら「若き日の王女が恋を知り女王になる」伸びやかさと勢いはダブルキャストの平野綾さんのほうがより感じられた。


ファンというのは我儘なもので「これでいい」と口先ではいうものの、心の底では「もっともっと」と望んでしまう。花總まりの本格女優復帰の報道に「いつか彼女は東宝エリザベートをやるかもしれない、やってほしい」と考えたことが何度もあり、そのたびに「それは本当に実現可能なのだろうか」と思い直す日々。

エリザベートは花總まりの代表作だ。1996年、ウィーンで上演されていたエリザベートを世界で初めて国外で上演したのが宝塚歌劇団であり、その時エリザベートを演じたのが花總まりだった。日本初演のエリザベート。この時の成功が、その後の彼女の宝塚人生に大きな影響を与えたのは紛れもない事実だ。



しかし東宝版は宝塚版と異なり、男性キャストが参加し、より多くの楽曲、より高い歌唱力を求められる。日本初演時、ウィーン版の脚本と楽曲に大幅に手を加えられた。それは主演をエリザベートからトートにするためでもあり、エリザベートという日本人に馴染みがない女性をよりわかりやすく表現するためでもあり、同時に、当時入団6年目の花總まりが「1分以上の歌を歌ったことがなかった(決して歌が上手い娘役ではなかった)」ためでもあった。

お花様のエリザベートは見たい。喉から出が出るほど見たい。だが果たして今の彼女が、東宝版エリザベートを誰もが納得のいく形で演じられるのか。望みと不安が同時に募っていった。



そんな空想をしていた2015年、東宝版エリザベートがキャスト・演出を一新し、花總まりがダブルキャストでエリザベートを演じることが報道された。

ついに来た、と思った。

お花様のエリザベートを観られるのは嬉しかった。それと同時に、少し怖かった。共演者は誰もが折り紙つきのミュージカルスターばかりだった。絶対に歌は外さない人ばかりだった。そんな中で主演を演じる。きっとお花様のことだからちゃんと仕上げてくるに違いない。それでも、その仕上がりをもってしても他のキャストとの間に「差」が見えてしまったら、と。

期待と不安が半々というのは、まさにこの時のことを言うのだろう。これまた一枚きりのチケットを握りしめて、新生エリザベートを観に行った。



血が滲むような日々を超えて


結論から言うとエリザベートは素晴らしかった。少しでも不安に思った自分を恥じるほど素晴らしかった。心配していた歌唱を彼女は想像以上のレベルで仕上げてきた。歌で豊かに物語を語れる人になっていた。


エリザベートが開幕する少し前の2015年6月9日、彼女は「徹子の部屋」に出演した。途中でボイストレーニングの話になり、黒柳徹子さんの「血の滲むような努力をされて」という言葉に、お花様が「ええ」と小さく頷いたのを印象深く覚えている。

花總まりは宝塚時代から非常にストイックな人だった。先輩が「台本と一緒に寝ているんじゃないかと思うほど」真面目に役作りを行い、多種多様なヒロインを演じ続け、さらにトップ娘役の12年間シングルキャストで一度も舞台を休演しなかった。それほどまでに役と舞台に誠実に向き合っていた人だった。

その一方で、役作りについてはほとんど語らない人だった。記者会見ではいつも「初々しく演じたい」と述べていたし、ファンクラブのお茶会などでは「ここが大変で」とエピソードを披露することはあっても、身の努力を表に出すことはしなかった。その彼女が「血の滲むような努力」を肯定したことに驚くと同時に、本当に血の滲むような日々だったのだろうと思ったのだ。12年間トップを張り続けた人が、おそらくそれ以上に自分を追い込まなければ辿り着けなかったのが、新生エリザベートだった。



歌を歌う時、人は楽器になる。その人の体つき、筋肉や生体に状態によって、発せられる声は異なる。そして楽器と同じように、人の体も月日を重ねるごとに衰えていく。特に歳をとると高い声が出にくくなると聞く。どんなに優れたアスリートでも10代、20代のパフォーマンスを40代、50代になって保てる人は少ない。

宝塚でエリザベートを演じたとき、彼女は20代だった。その20代の歌唱力を超えた2015年、彼女は42歳だった。

「マイクさんのおかげなんです」と宝塚時代の彼女は言っていた。自分の声の細さ、小ささを音響さんがカバーしてくれているのだと。自身が歌が得意でないことも理解していただろうし、脚本家や演出家に「自分の歌を削って、相手役さんの歌を増やしてください」と伝えたこともあったと聞く。その彼女が血の滲むような努力と表現するほどの努力をし、掴み取り、作り上げたのが2015年のエリザベートだった。


徹子の部屋ではもう一つ、興味深い場面があった。司会の黒柳さんが「(宝塚の娘役トップを)ずいぶんと長くされて」と話した時、お花様自身が「そうですね。12年とちょっと」と自ら口にしたのだ。

先ほども書いたが「12年間トップ娘役を務めた」ことは、在団中、タブーに近かった。劇団からことさら強調されたものでもなく(余談だが劇団はしばしばファンにとっても生徒にとっても歯がゆいことをする)、またネット上では批判の対象でもあった。ファンはその長さと重みを感じつつも、同時に持て余していた。その12年が、お花様自身により語られた。

もしかしたら、それ以前にも彼女が自身の在任期間に触れたことがあったかもしれない。ファンクラブや内輪の会では話していたのかもしれない。けれど当時、そういった内々の情報に縁遠かった私には、公共の電波に乗って語られた「12年」は相当な衝撃だった。と同時に「やっと語ることができるようになったんだ」と安堵した。

宝塚を退団してから9年が経とうとしていた。



コロナ禍で止まった時間


2015年のエリザベートは大ヒットでライブ版CDも発売された。翌2016年にも再演され、この時は前年以上の凄まじい人気で一般チケットがまったく取れなかった。これではいかんとファン歴15年目にして初めてお花様のファンクラブに加入した。

2016年に上演された「1789〜バスティーユの恋人たち〜」で演じたマリー・アントワネット。個人的には、彼女が芸能生活でもっとも高い歌唱力を発揮したのは、この時に歌った「すべてを賭けて」だったのではないかと思う。



アップテンポかつ音の高低が目まぐるしく変わる難易度の高い曲で、途中で芝居やセリフが入るとはいえ3分以上も歌い続けた上に、ラストのハイトーンを声量たっぷり、かつ「マリーアントワネットらしさ」を込めて歌いきる。宝塚時代では考えられない歌唱だった。帰りの電車の中で「いいものを聴かせてもらった」とそればかりを考えていた。

その後も「レディ・ベス」の再演や「ROMALE」「マリー・アントッワネット」「プレミアムシンフォニックコンサート」と、私は日々の合間を縫ってお花様の舞台をコンスタントに観続けていた。すべての公演をコンプリートはできなかったが、女優業を休業していた頃に比べたら充実のファン生活を送っていた。
2019年は出産があったためその年のエリザベートは見送ったものの、翌年に予定されていた2020年のエリザベートは当然のように観劇する予定だった。

2020円のエリザベートは「特別な」ものだった。「東宝エリザベート20周記念公演」と銘打たれ、トートがトリプルキャストとなり、メインキャストがさらに若返る中、花總まりは記者会見で「集大成を見せたい」と語っていた。その数年前に井上芳雄さんが「モーツァルト!」を卒業していたこともあり、私は「お花様はこの公演を最後にエリザベートを卒業するのだろう」と考えていた。

何がなんでも観たい。一度でいいから観たい。

その気持ちだけで、チケットを取った。その前年の2019年、育休中だったは私は人生の壁という壁にぶち当たっていた。初めての妊娠、終わらない悪阻、産後クライシス。鬱々とした日々を過ごしていたからこそ、このエリザベートは必ず見届けたかった。確保できたチケットは1枚。2020年5月16日の公演。梅田芸術劇場のS席だった。


しかし、待ち望んでいた舞台の幕は上がらなかった。2020年4月8日、新型コロナウイルス感染症に対する非常事態宣言を受けて、全国ツアーも含む全公演中止が発表された。チケット発送されることなく払い戻しとなった。



知らせを受けた時、実はそれほどショックではなかった。すでに公演中止が発表された舞台が数多くあったし、全国の学校が休校になっていた。多くのお店が閉店し、私は「エッセンシャルワーカー」として職場である病院に復帰することが決まっていた。時間や気持ちに余裕があれば嘆き悲しみもしたのだろうが、そこまで気が回らなかった。いま思えば、もう少し存分に、わがままに悲しんでおいたほうが良かったのかもしれない。



なぜか舞台が観られなくなった


コロナ禍であまりに多くの舞台が休演や中止を余儀なくされた。それでも少しずつ、少しずつ、舞台は再開された。エリザベートは中止になってしまったけれどお花様は舞台に立ち続けた。けれどなぜか、私は舞台から遠ざかってしまった。

2020年4月から2022年6月までに、お花様は6つの作品に出演している。その中で私が観に行ったのは一つだけ。2022年4月の「銀河鉄道999」だ。コンサートも含めても、2020年8月「帝劇ミュージカルコンサート(配信)」だけ。2つしかない。

オタク界隈ではよく「推しは推せるときに推せ」「いつまでもあると思うな推しと金」という標語がある。推しが人であれ作品であれ2Dであれ3Dであれ、すべてものには必ず終わりがあり、いつか「推せなくなる」日が来る。だから推しがいる間に悔いなく推し活することが非常に大切なのだ。特にお花様は数年間の空白の期間があるので、なおさら一回一回の舞台を大切にしたいと常々そう思ってファン生活を送っていた。

にも関わらず、コロナ禍が始まってからの数年間、あれほど望んでいた舞台を以前のように欲さない自分がいた。育休復帰後の生活が大変だったのもあったかもしれない。仕事に育児に夫婦関係にと、考えることが多すぎたからかもしれない。けれど、それを差し引いても、お花様への関心が下がってしまっていた。隙間時間にお花様のインスタやブログを見ることすらしなくなっていた。


なんとなく息を吹き返したのは、2022年1月8日、NHK「朝イチ」でお花様が井上芳雄さんとエリザベートの楽曲「私が踊るとき」を歌ったときだった。この時期に、このキャストで、公共放送でエリザベートを歌う。さらに井上さんの「花總さんが望めば、いつでも!(再演します!)」という積極的な匂わせもあり、にわかに「これは再演の発表が来るんじゃないか」とtwitterがざわついていた。

大方の予想通り、2022年1月27日、エリザベートの再演と全国公演が発表された。メインキャストは、全員が同じとはいかなかったが、2020年に予定されていたキャストが多く揃っていた。

さらに2022年2月7日、お花様が急遽「銀河鉄道999」のメーテルの代役を務めることが発表された。ファンクラブで急遽チケットの取り扱いが始まり、数日悩んだものの、思い立ってチケットを申し込んだ。コロナ禍が始まって以来、初めて新幹線に乗って東京に行った。

2年ぶりに生の舞台の上で見たお花様はやはりお花様だった。彼女がどんな思いでこの役を引き受けたのだろうかと考えた。宝塚時代の彼女なら。この代役は引き受けられなかったかもしれない。引き受けても記者会見で自分の言葉で思いを語ることはできなかったのかもしれない。



変化できる人は強い。
そして、人の心に深く深く染み込んでいく。



憧れの人でさえ、途方に暮れていた


2022年のエリザベートの再演が発表され、私は「きっと最後だから」とチケットを申し込んだ。「日本一チケットが取れないミュージカル」という前評判もあったが、ありがたいことに東京・名古屋・大阪で複数回のチケットがとれた。ファンクラブさまさまである。

しかし不思議なことに、待ち望んだチケットが確保できても、舞台に対する冷めた気持ちはそのままだった。また舞台が見られるのは嬉しい。エリザベートを見れるなんて夢のようだと思う一方で、2020年の公演を前にした「おっしゃチケットとったぞ行くぞおらああぁぁぁ!!」という高揚感はなく、そんな自分を「チケットのありがたみも感じられない薄情なやつだ」と感じていた。

日常が忙しすぎて観劇へのハードルや負担が増えていたのもあるかもしれない。日程を調整し、子どもの預け先を考え、身支度を整え、電車の時間を調べ、舞台を観に行く。確かに疲れる。だが、その疲れが気にならないほど待ち望んだものが待っているのだ。にもかかわらず、なぜか観劇に対して消極的な自分を打ち消せないでいた。


その気持ちが変わったのは、エリザベート開幕の1ヶ月ほど前。どこかで読んだお花様のコメントだった。詳細は忘れてしまったし、そもそも正確ではないかもしれないが、そこでは「(コロナ禍が始まり舞台が次々と中止され)これからどうなっていくんだろう、という気持ちだった」と記されていた。

出典を探したのだが見つからなかったため、私の覚え間違いかもしれない。ただ、それを読んだときに私は「トップスターを12年間もつとめた人でさえ、途方にくれることがあるのか」と驚いたのだ。


花總まりは自身を精密にコントロールできる人だ。12年間のトップ娘役時代、彼女は一度も休演しなかった。それは気持ちの強さや生まれ持った体だけでは達成できないものだった。日々のたゆまぬ努力を、宝塚時代の12年間、そして本格的に女優復帰を果たしてからの10年間つづけてきたからこそ成し遂げられたことだった。そんな人でさえ、公演中止が決定した時どうしたらいいのか分からなくなったのだ。

それを読んだ瞬間、私は「見届けなければ」と思った。2年前の全公演中止からの、今回の再演。なんとしても見届けなければと。

CLASSYの取材で彼女はこう語っている。

中止になった’20年から経過した2年間という歳月はとても大きくて、自分の気持ちや身体に変化をもたらしました。ですから、喜びと同時にエリザベートを演じられるのか?と冷静に考えている自分がいたので、喜びと冷静さの半々という感じです。今回はエリザベートという大役を演じるのにぎりぎり間に合う範囲だなと思いましたので、お受けすることにしたのです。

https://classy-online.jp/lifestyle/234156/


中止になったときに悩んで、再演が決まった時もまた悩んで、それでも彼女は精一杯エリザベートを作り上げようとしているのだから、私も腹を据えて観させていただこう。保育園へ子どもを迎えに行くまでの隙間時間、私は舞台へ行く電車の時間を調べ、手帳に書き込んだ。



2年越しのスタートライン


2022年11月19日、6年ぶりのエリザベートを観た。

言いたいことがたくさんある。16歳の花總シシィがこれまでで一番少女っぽくて驚いたとか、鏡の間は文句なしに美しくてオペラグラスが一斉に上を向いたとか、精神病院の心の揺れ動きが見事だとか、ルドルフの死から夜のボートにかけて一気に声が幼くなって逆に怖かったとか、あとはトートダンサーズが二幕途中でいきなり露出度を上げてきたのでびっくりしたとか。

とにかく素晴らしくて、お花様だけじゃなくて作品全体が細部に至るまで作り込まれ演じ込まれていて、そこで初めて「私が観たかったエリザベートが帰ってきた」と実感できた。

止まっていた時間が動き出す、とは、こういうことを言うのだろう。

エリザベートが中止になってから彼女の舞台に食指が動かなかったのは、「自身の集大成としてのエリザベートを演じた花總まり」を経験できなかったからだった。それは卒業式ができないまま新生活が始まったようなものだった。本当ならば2020年の花總まりを見てから、その次に向かうはずだった。それができなかった。私の時間は公演中止が発表された2020年4月で止まったままだった。


だから観劇が終わったとき、これで次の舞台も観にいけると思えたのだ。
これで次の舞台も見に行ける。エリザベート以外を演じるお花様を気負いなくフラットな気持ちで見に行ける、と。


再演までの2年の歳月は大きかった。有名な「私だけに」の最後の高音が出しづらくなっていると公演当初からSNSでしばしば目にしたし、実際にそうだった。DVD&BD化でもお花様の公演がないのは、ご本人が望まなかったからではないかという声も聞こえた。最初はまさかと思っていたが、時間をかけて振り返るとそうだったのかもしれないとも思えてきた。本当のことはわからないし、私は舞台の上の彼女しか観ることはできない。けれどそれも踏まえても、彼女が再びエリザベートを演じてくれたことが嬉しかった。



2023年以降も花總まりを追いかけて


長く続く趣味とはいったいどういうものだろうかと、時々考える。気がつけば20年。ずっと花總まりは私の人生の中にいた。すごいと平伏したくなる時もあったし、彼女のすべてが好きだとは言えない時もあった。けれど今も、私は彼女を追いかけ続けている。

私の人生の中には「花總まり」という存在が出入りできる部屋があるのだと思う。彼女は彼女の人生を歩きつつ、ときどきその部屋の近くを横切る。私も私の人生を歩きつつ、その部屋でお花様が横切るのを待つ。舞台を観に行くこともあるし、観に行かないこともある。距離を遠くとることも、もっと近くにいたいと思うこともある。願いが叶うこともあるし、叶わないこともある。でもずっと、私の人生の中には「花總まり」の場所がある。熱狂的なファンではないし、古参のファンでもない。でも気がつけば探してしまう。それくらいの緩さでしかお花様を追いかけてきたからこそ、私は今もこうして好きでいつづけているのだろう。



エリザベートは2023年1月31日、博多座で千秋楽を迎える。残念ながら私は2022年でエリザベートを見納めになってしまうが、これからもお花様の舞台は続く。去年までは多くを見送っていた舞台を、来年はまた、無理のない範囲でコンスタントに観続けたい。


私事だが、今年、33歳になった。奇しくもお花様が宝塚歌劇団を退団した時と同じ年齢になった。33歳の私が日々を忙殺されながら過ごしている一方で、彼女はその年にはすでに一つの時代を築き上げていた。そして退団後、彼女は「血の滲むような日々」を自らに課し精進を続けてきた。彼女の女優人生のピークは宝塚で過ごした20代、30代ではなかった。その絶え間のない向上心と、今なお素晴らしい舞台姿を見せ続けてくれていることを、励みとして受け取れる自分でありたい。



追いかけて20年。まだまだ、追いかける日々が続きそうだ。




\おまけ/
amazonや楽天でお花様の宝塚時代の作品が観られるので、よかったらご覧ください。東宝モールでは過去作品のCDやDVD・BDも発売中です。(ちなみに私は今回の公演ではじめてアクスタを買いました)



<追記>2022.12.29
この記事を書いた翌日、まさかのお花様の体調不良・公演中止が発表された。30年以上の芸能生活で(おそらく)一度もなかったことに、ただただ驚き、心配している。残念ながら私は大阪公演を見ることなく花總まりのエリザベートを見納めになりそうだ。それも残念だが、それ以上に今は1日も早い回復を祈りたい。そして願わくば、2023年1月31日の博多座公演千秋楽の配信でお目にかかりたいと思っている。

お心遣いありがとうございます。サポートは不要ですよ。気に入っていただけたら、いいねやコメントをいただけると、とても嬉しいです。