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終わらない暗黒期。夫を許せないのではなく、「許したくない」だけだった。


私は今、暗黒期の真っ只中にいる。

私がこの言葉を知ったのは、とある超絶有名なワーママさんが「ワーママ1年目の暗黒期」という文言を使われていたからで(名前を伏せるのは、その方を私が一方的に存じ上げているだけというだけなのと、ここから書く内容とその方は一切関連がないためだ)それとは別の場所でふと、夫への負の感情について漏らした時に「暗黒期ですね」と指摘されたからだ。

産後一年。
私は今、暗黒期にいる。


産前から暗黒期は始まっていた


夫との付き合いは長い。学生時代から10年近く経つ。
付き合っていた頃、私たちは喧嘩をしたことがなかった。一度もしたことがなかった。だから喧嘩の仕方を知らなかったし、仲直りの仕方も知らなかった。
まるで倦怠期の夫婦のようだ、と友人に言われたこともあった。実際にそう思っていたし、その言葉通り、穏やかな結婚生活を送れるのだと漠然と信じていた。

そんな二人が結婚してどうなったかというと、一言で言えば、すれ違った。

結婚当初、互いの仕事は多忙を極めていた。特に夫は朝の6時に出勤して夜の10時を過ぎても帰宅しなかった。土日も7時には家を出て、20時に帰ってくれば良いほうだった。私はといえば、夫ほどではないがそれなりに多忙だった。毎日朝7時半から仕事の準備をして、残業も夜勤も当直もあった。慣れない仕事だったから、先輩と同じことをしてその何倍も疲労していた。それでも夫よりはまだ時間があったから、必然的に家のことは私の仕事になった。掃除も、洗濯も、新居探しや引越しの手配や住民票の手続きも含めて何もかも。私がやるのが当然だと、私自身がそう思っていた。料理も苦手だったが、新婚だからせめて週末だけでもと頑張った。二人で過ごせる時間はごくわずかで、それは一瞬ですり抜けてしまうほど儚く、あまりにも貴重だった。夫に対して感じることがあっても、貴重な時間に水を挿してはいけないと飲み込むことが多かった。

そんな生活が1年経って、2年経った。
その間、年に一度の長期休暇を除いて、平日、一緒に夕食を食べたのは一度だけだった。

今ならわかる。
当時の夫は自分の生活が優先だった。家族のために自分の仕事や時間を調整することはなかったし、その必要もないと考えていた。私は夫の余った時間のおこぼれを貰っていたに過ぎず、それ以上を望むことも、望んでも叶えられることはなかった。

そんな生活が終わり、少し時間が経って、私は妊娠した。

相変わらず、家のことは私の仕事だった。
それでも当時と違って、夫の仕事には余裕があった。私が出勤する時間に起床し、土日勤務も当直も私より少なかった。だから私は少し、いや、かなり期待していた。夫が私の妊娠を機に、積極的に家庭のことに関与してくれると。


だが、と続くのは予想通り。


だが、そうはならなかった。


つわりで寝込んでいても、家は綺麗にならなかった。トイレは汚れたままだったし、お風呂の水垢は溜まり続けた。「無理しなくていいよ」とは言ったが「やっておくからいいよ」とは一度も言わなった。唯一、洗濯だけはやってくれた。それでも唯一、だった。やらなければ彼の着るものがなくなってしまうからだった。

子どものことに関しても、リードするのは私だった。チャイルドシートもベビーカーも肌着もガーゼハンカチも何もかも。私が知らないことは、夫は知らなかった。私が知っていることも、夫は知らなかった。知ろうとしなかったし、知る必要もないと思っていた。そんな夫をなんとか育児に巻き込みたくて、私は必ず、大きなものは夫を連れて買いに行くようにした。どの店に行くか。何を買うのか。どんなものが良くて、どれくらいの値段の幅があって、我が家にはどのタイプが必要で。事前に調べるのは全て私だった。

どうして妻は親になるために必死に準備しなければならないのに、知らないことを調べて、勉強して、頑張って考えなければいけないのに、夫は当然のようにお膳立てしてもらえるのだろうと不思議だった。妊娠中、ただの一度も、夫が自ら育児について調べようとしたことはなかった。「好きにしていいよ」という言葉で、考えることを放棄してしまっていた。私が切迫早産で入院したら、彼はどうするつもりだったのだろう。あるいは私が出産で死んでしまったら? 新生児用品がなにもない部屋で、どうやって赤ちゃんを育てていくつもりだったのだろう。

彼は当然のように子供を得た。
その対価として自分の時間や労力を差し出すというのは、頭になかった。

せめて哺乳瓶の消毒キットだけは買っておいて欲しい、と。

産前から繰り返しそう言っていたが、そして出産後もそうお願いしたが、結局、夫がそれを買うことはなかった。
哺乳瓶を消毒できない状態で、混合育児の乳児をどうやって育てるつもりだったのだろう。
退院前日、私はどうしてこんなことになってしまったのかと、漠然とした不安と悲しみを抱えながら、消毒キットを通販で注文した。


いわゆる産後クライシスだったのかもしれない。


産後も夫の生活は変わらなかった。
彼は何もせず、ただ射精しただけで子供を手に入れた。
私は激痛に耐え、その後はまともな睡眠も取れず、手探りで新生児を育てた。知らないことを必死に調べ、気になったことを確認し、お宮参りやその後の食事会の手配もした。保活の準備をして、予防接種の準備をした。何枚もの書類に記入した。

子供の夜間の頻回覚醒に苦しみ、いわゆる「ねんトレ」本を購入した。読んで欲しい、と夜間授乳と夜泣き対応でボロボロになった私が差し出したそれを、彼が読むことはなかった。

夫への感情がなくなったのは、そんな生活も2ヶ月くらい過ぎた頃だった。

その頃は息子の夜泣きも改善し、私が夫に「夜に起きてこないなら添い寝しなくていい。そのかわり、私に朝の一時間寝かせてほしい」と言った結果、夜間対応を交代してくれるようになり、産後初めて5時間連続で眠れた頃だった。

ふと、隣に立つ夫に対して、自分がなんの感情も抱いていないことに気づいた。

愛情があるわけでもなかった。憎悪を抱いているわけでもなかった。
ただ、無感情だった。
心が動かないのだ。
息子の父親。育児のパートナー。
夫はそういう存在ではあったし、実際に助けられていた。
だが、夫個人への感情は、すっかり抜け落ちてしまっていた。

もしも今、自分に特定のパートナーがいなかったとして。
夫に何か特別な感情を抱くかと言われれば、否、だった。


産後クライシス、という言葉を知ったのは、この頃だった。


いつか解消されると信じていた。でも、そんな日は来なかった


以前のように夫に感情を持てなくなっている。
そう気付き、産後クライシスの体験談をいくつも読んだ。

この広い世界には、きっと同じような経験をした人がいるはずだ。そして、解決法もどこかにあるに違いない、と。そう信じて、ブログやSNSで産後クライシスという言葉を調べ、手当たり次第に体験談や記事を読み漁った。

収穫はあった。
それぞれが産後クライシスから脱したきっかけが書かれていた。

・夫と話し合った。
・夫が夜泣き対応をしてくれた。
・まとまった睡眠が取れるようになった。
・実家を頼った。
・一人で過ごす時間を作った。
・仕事に復帰して収入を得た。

などなど。

たくさんあった。
本当に、たくさんあった。

でも、結局私は暗黒期から抜け出すことはできなかった。

話し合いをした。何度も何度も、真剣に話し合いをした。夫の育児・家事参画を促し、それに成功した。
夜泣きも対応してくれた。
生後2ヶ月からは、週の半分は夜10時から朝まで睡眠をとることができた。
実家にも頼った。
夫が休みの時、一人で外出した。マッサージにも行った。カフェにも行った。
仕事にも復帰した。夫と交渉して、自分の希望にできるだけ添ってもらった。そのために夫には仕事を調整してもらった。職場にも頭を下げてもらった。その結果、私は希望していた収入と、想像していたよりも良い労働環境を手に入れた。

全部、成功していたのだ。全部。
それなのに、私は暗黒期から抜け出せなかった。

オキシトシンがいい、と聞いて、母乳をあげ続けた。
肌と肌の接触によってオキシトシンの分泌が活性化されると知って、息子と添い寝をした。せがまれるがまま、何時間も抱っこし続けた。けれど息子の気配を感じてその夜は一睡もできなかったし、何ヶ月も抱っこを続けても、一向に幸せな気持ちにはならなかった。
育児によって毎日、私は静かに追い詰められていた。
それに伴って溢れた負の感情は、そのまま夫に向かった。

ふとした瞬間に、夫に対する不信感や不満が募った。
どうして私ばっかり、という気持ちが湧き上がった。
会話をしながら、子供を育てながら、家事をしながら。
無意識のうちに歯を食いしばる癖が、いつまで経っても治らなかった。


許せないのではない。許したくないのだ。


何をどうやっても、夫に対する負の感情は消えなかった。
これから家族3人で将来に向かって歩いて行こう、とは思えなかった。

私は本当にこれから、この人と一緒に生きていくのだろうか。どこかでパートナーシップを解消してしまうのではないだろうか。夫の希望通り子供を産んだのだから、私の役目はもう終わっている。私が妻である必要はない。だったらもう、一人でどこかに行ってもいいかもしれない。

未来が見えているからこそ、今を頑張れるのだ。
もしも未来が見えていないとしたら。
いったい、何を目指して頑張ればいいのだろう。

夫に対するわだかまりは、いつまで経っても解消されなかった。どうやったら許せるのか。夫に対して愛情を抱けるようになるのか。思いつく手段を全て試して、試して、試し尽くしても夫への言葉にならない憤りがおさまらないと気付いた時、私は途方に暮れた。
収入を得た。仕事のポジションも得た。自分の時間も少しずつ確保している。息子はよく眠り、よく食べる。世間的には育てやすい方だ。保育園の送りは夫だし、週に1日は定時退社もしてくれる。家事も以前より分担してくれる。息子のオムツは当然かえるし、食事の解除もお風呂も寝かしつけもしてくれる。世間的には良い夫であり、父なのだ。なのになぜ、私は彼を許せないのだろう。

その答えは簡単だった。

許せないのではない。
私は夫を「許したくなかった」。それだけなのだ。


許すことで怒りを手放さなければならない気がした。


産後、私は夫を「許さない」ことで自分を奮い立たせてきた。

陣痛と出産と会陰切開でボロボロになった体を引きずり、初めての新生児育児と心ないアドバイスに追い討ちをかけられ、ろくな睡眠もとれず、人間としての尊厳どころか生理的欲求すら満たされない状態で、それでも「自分の人生」を取り戻すためには、強い感情が必要だった。そしてそれは、怒りだった。

私は怒っていた。
そしてその怒りを燃料にして、必死に突き進んだのだ。

離婚も視野に入れた話し合いをした。自分の現状を箇条書きでまとめ、それに対する負担もまた、箇条書きにした。話し合いの前に解決策を探し、候補を挙げ、事実と感情を分けて夫にプレゼンをして議論と対話と交渉を重ねた。
自分の生死と尊厳をかけた話し合いだった。
そして、身を削って挑んだ話し合いは、功を奏した。
私はまとまった睡眠時間と、安定した労働条件と、家事と育児に参画する夫を手に入れた。

今でも思うのだ。
あの時、夫に対して憤らなければ、私は生きていなかったかもしれない、と。

子供を育てながら感じた孤独。もうこれ以上は無理かもしれないと絶望の淵に立たされて、逃げることさえできずに途方に暮れた日々。3kgに満たない子供に追い詰められる無力な自分。もうやめてくれ許してくれと思っても続くワンオペ育児。

もしもあの時、夫を受け入れていたら。夫の態度を受け入れていたら。育児や家事に携わらない夫を許していたら。
私はあの日々を生き抜くことができなかった。


許す、というのは、受け入れることだと思う。


夫を受け入れる。それはとても恐ろしいことのように思えた。
孤独に追い詰められた日々を、そしてその一端をになっていた夫の言動を、受け入れる。それがどういうことなのか。想像するだけで恐ろしかった。
あれを許したらどうなるか。どれほど苦しい日々を送らなければならないのか。それはもう、嫌というほど経験している。

夫を許すことで、受け入れることで、私は怒りを手放すのが怖かった。
もういいでしょう、と、取り上げられそうで嫌だった。

今の私を作り上げているのは、紛れもなく夫に対する怒りだった。
それを手放したら、私はどうやって自分を守ればいいのだろうか。
これからも訪れるであろう理不尽や孤独や閉塞感に、どうやって立ち向かえばいいのだろうか。


油断をすれば、やられてしまうかもしれない。


そんなわけで、私はまだ暗黒期の真っ只中で溺れている。
そして多分、しばらくは抜け出せそうにない。

こんな私でも暗黒期を抜け出せました! 産後クライシスを解消しました! と書ければいいのだけれど、残念ながらそうはいかないようだ。
だって私はまだ、自分の意思で、ここから抜け出そうとしないのだから。

私はずっと不思議だった。
なぜこんなにも、夫に対する負の感情を引きずっているのだろうか、と。

どれだけ環境を整えても、私は夫を許せなかった。そしてそんな自分が理解できなかった。こんなにやってくれているのに、こんなに恵まれているのに、どうして彼を許せないのだろうと、自分の器の小ささを責めた。

だが、違うのだ。

原因は外側ではなく、私の内側にあった。
私に許そうとする気持ちがないのだから、許せなくて当然だった。
夫がどれだけ素晴らしくても、職場がどれだけ恵まれていたとしても、私の気持ちが変わらなければ、許せる日は来ない。

過去は変えられない。
変えられるのは未来だけ。

だがその未来に突き進むのに、私には「怒り」が必要だった。そしてその怒りは、過去からしか生まれてこない。泥沼の無限ループ。

ここから抜け出すには、どうすれば良いのか。
怒りを手放せないのならば、それに替わるものを見つけなければならない。怒り以外の、私を強く突き動かすものが、私自身を強く守ってくれるもの。

そんなもの、他にあるのだろうか。子供の可愛さとか、協力的な夫とか、恵まれた待遇とか、それらはとても貴重で価値のあるものだけれど、それではとても「怒り」の代わりにはならない。私を守ってはくれない。あの苦しかった時期を生き延びさせてはくれない。そんなものではもう、私は生きていけない。そう思えて仕方がないのだ。

怒りを手放したら、夫を許してしまったら。
夫は再び、無自覚に私を追い詰めるような気がしちえる。

産前産後の地獄のような日々。逃げ場のない、誰も助けてくれない、一人で必死にもがいて生き延びる方法を探すしかなかった日々。
あの頃のようになってしまうかもしれない。
そう考えるととても恐ろしくて、夫を許すことなどできない。


産後一年。

私はまだ、暗黒期の中にいる。


【追記】2020/5/22
この記事を公開してから、たくさんの反響をいただきました。
それを受けて、自分の中で変化があったので、そのことについて分解して考えてみました。


【追記】2023/4/17
この記事を書いてから3年。どっぷり浸かっていた暗黒期に、ようやく光が射しそうです。暗黒期の終着点。夫にも息子にも感情が抱けない日々でした。よかったらお読みください。


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