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夫婦は何度も衝突する。すべてを変える「魔法」は存在しない


少し前に、twitterで「夫を捨てたい」という言葉がトレンド入りしていた。



いくたはなさんという方が書かれた、『夫を捨てたい。』というタイトルの書籍。ここれが東洋経済オンラインに取り上げられ、twitter民の目に留まったというわけだ。



どの家庭にもある妻の不満を、著者自身の体験談として描いたのがコミックエッセイ『夫を捨てたい。』です。
結婚、出産……と女性のステージが変わるにつれて、夫婦の関係性も変わっていくものですが、そこでうまくアップデートできなかった夫婦の悲惨な末路とは……?
職場復帰を果たしたワーママが陥った、家庭と職場の板挟みを描いた共感度120%の実話。
——https://toyokeizai.net/articles/-/383894



実は以前から、著者のことは存じていた。本作の元となった「夫のことを泣かせた話」というコミックエッセイをずっと読んでいたからだ。


いくたはな『夫のことを泣かせた話。第1話』/ ウーマンエキサイト
いくたはな 記事一覧 / ウーマンエキサイト


これを読んだのは、育休復帰をした前後だった。その時のことを今もはっきりと覚えている。掲載されていた著者の作品を一通り読み終わったそのとき、私は夫婦というものに心の底から絶望したからだ。




「夫のことを泣かせた話」夫の存在意義を疑う瞬間


作者は、4人のお子さんを育てるワーキングマザーだ。第一子を授かり、交際していた男性と結婚。妊娠、出産、育休、職場復帰を何度も経験されている。そして「夫のことを泣かせた話」では第一子の妊娠中から第二子出産までの日々が綴られている。


育休中から当事者意識の低かった夫は、育休復帰後も子どものことは我関せず。著者は育児と仕事を一手に引き受けることになる。

時短勤務を申請し、毎朝必死に子供の準備をし、定時で仕事を切り上げ、保育園にお迎えに行き、帰宅してからはワンオペ育児。熱が出たら呼び出されるのは必ずママ。子供のことで影響を受けるのもママ。なんでもママ、ママ、ママ。

夫を見れば、彼は好きなように仕事をして、好きな時間に帰ってくる。飲み会にも行く。子どもが熱を出しても呼び出しに応じることはなく、看病のために職場に頭を下げて仕事を休むこともしない。


なぜ自分だけが苦しいのか。

苦しむ自分を、なぜ夫は支えてくれないのか。


そんな夫は、必要……?


ふとした疑問が、脳裏をよぎる。




育休復帰と妊娠で「消えたい」と追い詰められる妻


読んでいただくとわかるが、この夫、なんとも腹が立つ言動をたくさんしてくれている。これがフィクションであればどれほど良いかと思うようなことを、だ。


著者は一度「離婚」が頭をよぎったものの、なんとか上手くやり過ごす。その後、第二子を妊娠。悪阻で通院しながらも、仕事、育児、家事を必死にこなす中で、著者は再び「夫は捨てたい」という願望を思い出す。



ある時、些細なことで喧嘩をした二人は互いの体を押し合う、という行動に発展する。


「他のお母さんはちゃんとできているのに、そんなんで大丈夫なの?」という夫に対して、著者はそれまで積もり積もっていた思いが溢れ、爆発する。


「つわりがどれだけ苦しくて辛いか知っているよね!?」「あんたは子ども産まれても生活はほとんど変わらなかったけれど、私は私生活も体も心もどんどん変わらざるを得ない」


叫びながら、著者は夫の体を「ドン」と押してしまったらしい。それに対して驚いた夫は、同じく著者の体を「ドン」と押し返してしまったのだ。妊娠中の、著者の体を。


そのことに耐えられなかった著者は、崩壊する。大泣きしながら「消えたい」「でも消えたらこの子(第二子)に会えなくなる」と思い、膨らみかけたお腹をさする。


初見で読んだ時、この「消えたい」という言葉私はとても共感してしまった。

死にたい、ではなく消えたい。このままスーッと溶けてなくなってしまいたい。初めからそこにいなかったかのように消えてなくなってしまいたい。死んでしまうことすら面倒くさいのだ。


最終的にこの後、著者は子供を連れて実家に戻る。そこで実母と話をして、もう一度やり直そうと夫が待つ自宅に帰り、話し合いをすることになる。

ここまでくると「大変だったけれど、うまくまとまってよかったね」という結論に至るのだが、私はそうは思わなかった。


妻が「消えてしまいたい」と考えられるほどの衝突を、この夫婦は過去にも一度、経験しているのだ。




第一子妊娠中から離婚危機はあった


著者はウーマンエキサイトで「天国と地獄 結婚式と悪阻物語」という連載もされている。


いくたはな「天国と地獄 結婚式と悪阻物語」 / ウーマンエキサイト


これは「夫のことを泣かせた日」よりもさらに前。第一子妊娠中の出来事を綴ったものだ。


私は「夫のことを泣かせた日」のあとに、「天国と地獄」を読んだ。そして盛大にツッコミを入れたのだ。


「この夫、前にも同じことをしているやん」と。


そう。繰り返しになるが、ここでも夫はこちらが驚くほど「はぁ!?」という言動をする。妊娠して、悪阻で通院しながら仕事をして、結婚式の準備も日々の生活も回している妻に対して、まったく労りがない。


そしてこの時も、積もり積もった怒りを著者は爆発させる。結婚しない方がいいのではという考えすら浮かぶ。事実、著者は「夫よりも稼いで」おり、かつ家事全般をになっていることから夫がいなくても生きていける。離婚や未婚の母になるというカードが切れる。

「私一人でも生きていける」と悟った著者は「どうしたらいいか好きにして」と夫に告げて、疲れた体を横たえる。


この後どうなったかというと、起きてきた著者に対して夫は謝罪をし、それに対して著者も「また二人で頑張ろう」という気持ちを示す。


最後のコマを見て、私は気持ちがざわつくのを感じた。とても「よかったね」「めでたしめでたし」とは思えなかった。なぜならこのあと、第一子出産後、著者は再び「夫を捨てたい」と考えるようになるのだから。




消えたくなるほどの衝突を、夫婦は何度も繰り返す


著者は少なくとも2度、夫婦間での激しい衝突を起こしている。1度目は第一子妊娠中。2度目は出産後から第二子妊娠にかけて。


一度で十分だろう、という衝突を、二人は二度も経験している。というか、少なくっとも夫は、一度で「いい夫」「いい父親」にはなっていない。

「天国と地獄」を読んで、改めて「夫のことを泣かせた日」を読んで、私は著者の夫に問いかけたくなった。一人目の妊娠中に反省してたんは何だったんですか。あれほど大変なことになったのに、なぜ同じことをしてしまうのですか、と。


だから連載を読み終わった時、私は絶望したのだ。


この夫婦と同じように、私もこれから、夫と何度もぶつかり合わなければならないのか、と。



その頃、私は育休復帰の前後だった。

いわゆる「産後の暗黒期」にどっぷり使っていた頃で(今も抜け出してはいないが)、何回も夫と話し合いをしていた。

深夜に一人で家を出たこともあるし、これはもう離婚しかないと覚悟したこともある。具体的に養育費を計算して、これはとても払えないと断念したことともある。

話し合いをして変わることもあった。だが変わらないこともあった。話し合いの前には必ず議題を整理していた。事実と感情を分け、自分が何に困っているか何を考えているかを把握し、その中で何を伝えるかを選んだ。夫と自分、そして息子のスケジュールを考え、支障のない時間を探し、話し合いの場をもうけた。

相当な下準備をして、議論は始まった。その度に、私は心身ともに消えてしまいたくなるくらい消耗した。言いたいことが伝わらないもどかしさや、言葉を返すことすらしてくれない悲しさ、自分が蔑ろにされていたことに気付く辛さ。でも、一度では解決しない。

「こんなに何度も同じことを話し合っているのに、どうして良くならないのだろう」「いつになったら『話し合いで解決した』と言える日が来るのだろうか」と途方に暮れていた。


そんな中で読んだ「夫のことを泣かせた話」と「天国と地獄」。


読み終えた時、私は悟ったのだ。

泣きたくなるほどの悲しい衝突を、夫婦は何度も繰り返してしまうのだと。




子どもの数と、仲の良さは比例しない


最後に、「子どもの数」と「夫婦の仲の良さ」について私なりの考えを書きたいと思う。

「夫を捨てたい」がトレンド入りした時、ふと「でもこの作者、子ども4人もいるんだよね」という呟きを目にした。呟かれた方の真意はわからないが、私はその文面から「なんだかんだ夫を捨てたいって言いながら、子ども4人も作ってるんだ。結局は仲がいいんだよね」という意図を感じ取った。


「子どもが多い=夫婦仲がいい」という価値観。


実は私も妊娠前までは、そう考える部分があった。イギリスのヴィクトリア女王やオーストリアのマリア・テレジアなど、多産で知られる女性は歴史上、何人もいる。そして彼女たちの伝記には必ず「夫婦仲は良かったようで、子どもが何人もいた」という記述があることが多い。

しかし自分自身が妊娠したことで、その考えは揺らいでいる。というか、もはや虚構なのではないかとさえ考え始めている。


性交渉を伴う妊娠の場合、そこには「性欲」という本能の他に、思考や感情が伴っている。性的接触を持っていても、妊娠を希望しているかは別だ。

結婚をしてから初めて気づいたが、人間は性交渉をしたいと思わなくても、性交渉をすることができる。妊娠を望まなくとも、妊娠に至る行為を止められないこともある。そこに至るまでの思考や感情はとても繊細で、他人が容易に類推することはできない。


妊娠できる体を持っていても、妊娠はしたくない。でも相手は妊娠を望んでいる。避妊をしない性交渉を望んでいる。毎回、断るのは大変だ。コンドームをつけてくれと頼むのも心苦しい。相手の機嫌を損なってしまうかもしれない。二回に一回くらいは受け入れた方がいいのだろうか。周囲も妊娠を望んでいる。二人目はいつ、と問われる。気は進まないけれど、いっそ妊娠してしまえばそんな言葉も聞こえなくなるかもしれない。それでも妊娠はしたくない。内緒で避妊用ピルを飲むまでの覚悟はできない。せめて排卵日を調べて、そこをずらすようにしてみようか。


性交渉という行為に複雑な感情が伴うことを、私は結婚するまで知らなかった。結婚後、セックスをしながら湧き上がった思いは、結婚前の自分にはとても想像つかないものだった。

だから著者が第一子の育休復帰後、夫にモヤモヤを覚えつつも妊娠されたことに対して「それでも夫婦仲がいいんでしょう」とは言えない。もしかしたら本当に仲が良かったのかもしれないし、あるいは他人が立ち入ることのできない、著者なりの必死の考えがあったのかもしれない。それらをただ「夫婦仲」という言葉で収束させるのは少し、乱暴のように思う。


話は逸れるが、「多産DV」という言葉がある。妊娠出産という、女性にとってリスクが高い行為を、女性の意思に関係なく行うことだ。性交渉で必要な「合意」がなされていない、女性が望む家族計画が受け入れられない可能性がある。

子沢山が等しく幸せの象徴ではないということを知っておいても良いのかもしれない。


【参考記事】「子だくさん家庭」希望の男性が危ない場合 / 東洋経済オンライン





衝突を繰り返し、夫婦は夫婦を続けていく


著者の連載を読んだとき、私は自分の夫婦関係に希望を抱けなくなっていた。心身を削るような話し合いを重ねても、消えたくなるほどの衝突をしても、それだけでは終わらない。同じようなことを何度も何度も繰り返す。おとぎ話のように「めでたしめでたし」とはならない。その現実を突きつけられた。


だが少しして、少しだけ安心したところもあったのだ。

夫婦というのは、一度の話し合いなんかで解決しない、しなくてもいい。そう考えることができたからだ。


それまでの私は「こんなに話し合っても同じことを繰り返すのは、自分がなにか人間として間違っているのではないだろうか」と考えていた。何度話し合っても夫はトイレとお風呂の掃除をしないし、子どものことで調整しようとするとすぐに自分ができない理由を述べていた。終わらない螺旋階段を延々と登り続けているようだった。

しかしそれは、当然のことだったのかもしれない。

情報サイトで描かれるような「〇〇がありましたが、それを気に夫婦関係が良くなりました!今は幸せです!(キラッ)」という話こそ、空想なのかもしれない。実際に我が家といい、「夫を捨てたい」ご夫婦といい、何度も衝突して、今もまだ手探りで家族の形を探している。




夫を捨てたい。あるいは、自分が消えたい。


そんな思いを抱えながら、それでも続いていくのが、夫婦なのかもしれない。









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