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「独身の家庭科の先生」から教わった3つのこと


忘れられない先生、という存在がいる。卒業してから数年、あるいは数十年経ってもなお、ふっと心に蘇る不思議な先生だ。そんな恩師が、誰しも一人くらいはいるのではないだろうか。授業が面白かった先生。外見が特徴的だった先生。寒いギャグを飛ばしたり、個性的な教え方をしていたりと。いろいろな場面で、生徒に強烈な、あるいは静かな衝撃を与える先生が、いる。

私にも、そんな忘れられない先生が何人かいる。その中でも、「独身の家庭科の先生」から教わったことは、今でも折に触れて思い出す。

その先生から学んだことは3つある。

そのことについて、今日は書きたいと思う。



その1. お金のこと。リボ払いの落とし穴を教わった話


授業でリボ払いの支払額を実際に計算したことがあった。

クレジットカードに関する授業で、一括払い、分割払いと続いて、リボ払いの話題が出たのだ。他の支払い方法と違って、リボ払いは毎月の支払いが定額で、それ以上を請求されることはない。一見すると良さそうに聞こえるけれど、実はそうではないという話だった。

例えば。

20万円の高級バッグを、リボ払いで購入したとする。支払額は1ヶ月5,000円。分割払いならば、20万円÷5,000円=40ヶ月(3年4ヶ月)で支払うことができる。じゃあ、リボ払いはどうなるか。

ここで「リボ払いの手数料15%」という謎の数字が課される。リボ払いにすると、月々の支払う額が一定になる一方で、手数料がかかる。手数料は初回からかかるため、20万円のバッグを購入したら、支払額は15%分増えた23万円(20万円×1.15)となる。


本来、リボ払いの手数料は月々で計算されるものだが、授業では1年ごとに加算されていた。月ごとだと複雑で手計算には適さないと判断されたためだと思う。今回は記憶を頼りに、当時行った計算で再現した。実際とは少し違う点があるが、大まかなリボ払いの概要はご理解いただけると思う。


いざ、計算


▶︎シミュレーション1:20万円の買い物を月々5,000円、手数料15%のリボ払い

【1年目】月々5,000円なので、年額6万円の支払い残高17万円

【2年目】17万円に手数料がかかり、支払い金額は17万円×1.15=19.5万円。6万円を支払い、残高13.5万円

【3年目】支払い金額は13.5万円×1.15=15万円。6万円払って、残高9万円

【4年目】支払い金額は9万円×1.15=10.3万円。6万円払って、残高4.3万円

【5年目】支払い金額は4.3万円×1.15=5万円。5,000円×10=5万円なので、10ヶ月目でようやく支払いが完了する。


というわけで、分割払いならば3年4ヶ月で完了するはずが、リボ払いだと5年近くかかってしまった。毎年課せられる「15%の手数料」が重くのしかかるためだ。最初の計算を終えた時点で私は、「リボ払いの手数料は複利で加算されていくこと」「一括払いや分割払いより払う回数や金額が多くなること」を知った。


さらに恐ろしいシミュレーションが追加される。


▶︎シミュレーション2:20万円のバッグを2つ購入。合計40万円を月々5,000円、手数料15%のリボ払い


購入した時点で40万円×1.15=46万円が支払い金額となる。


【1年目】1ヶ月に5,000円、1年で6万円。46万円-6万円で、残高40万円

【2年目】残高40万円に手数料15%がかかり、支払い金額は46万円。1年で6万円を支払うと、残高は再び40万円

【3年目】残高40万円に手数料15%がかかり、支払い金額は46万円。1年で6万円を支払うと、残高は再び40万円

(……以降、続く)


ここで、クラスがどよめいた。お気づきだと思うが、この支払い設定だと元本が全く減らないのだ。

毎月の支払いはすべて手数料に消えてしまって、元本は一切減らない。毎年毎年、新たに15%の手数料が加わり、その手数料を支払うだけで一年が終わってしまう。


雪だるましきに増えていく手数料。一生なくならない元本。それがリボ払いの恐ろしさ。

高校一年生だった私は衝撃を受けた。そして心に決めたのだ。将来、クレジットカードを持つことがあっても、リボ払いは絶対にやめよう。一括で購入できないようなものは、そもそも身の丈に合っていないのだから、買わないようにしよう、と。

以来、クレジットカードを作るときは必ず「リボ払い」や「キャッシング」の項目からチェックを外すようにしている。頻繁に送られる、リボ払いの案内ハガキやダイレクトメールは、すぐにゴミ箱に入れている。



その2. あるシングルマザーの呟き。助けが必要な人は、自ら助けを求められない。


話のきっかけが何だったのか、今となってはまったく思い出せない。確か「トイレで高校生が出産」「コインロッカーベビー」、そんなニュースが発端だったような気がする。


「高校生で妊娠してな、誰にも言えずに一人で自宅で出産して、その後、赤ちゃんを衰弱死させてしまった子がおるんや」


そんな語り始めだった。


「赤ちゃんが死んでしもうたあと、周りが『なんでもっと早くに相談せんかったんや!?』って言うたんや。それに対してな、その子は『相談……?』ってなってたんや」


覚えているのはこれだけだ。これだけの短い言葉。ここから発展した話も、教わったはずの何かも、私は覚えていない。ただこの時の、『相談……?』と言った先生の表情が今でも忘れられない。どこか呆けたような、まるで異国の言葉を聞いたかのような女子高生を模した表情。見ていてとても胸が苦しくなったのを覚えている。


知識がないまま妊娠し、パートナーからは捨てられ、誰にも相談できず、医療機関を受診することもなく、自宅で出産をせざるを得なかった若い女性と、適切な処置をされずに死んでしまった赤ちゃん。

誰よりも助けが必要だった人たちのはずだ。社会や福祉の力が、こんな時こそ発揮すべき場面だったはずだ。どこかで誰かが介入しいていれば女性は危険な出産をすることはなかっただろう。生まれた赤子は適切なケアをされ、乳児院や特別養子縁組を利用して、もっと長く、その人生を生きることができたかもしれない。

だが、それが為されなかった。

本当に助けを必要としている人ほど自ら助けを求められない。誰かに助けを求めるという発想がない。誰かが助けてくれると言う社会に対する信頼がない。

苦しむ人には救いの手が差し伸べられる。そんな社会であってほしいと願いたいけれど、現実はそうではない。幸福の王子はこの世にいない。マッチ売りの少女は冬の街中、行き交う人々の間で凍え死んでしまう。彼女に与えられたのは儚い幻覚だけ。金箔を加えた小鳥や白馬に乗った王子様は絶対に、彼女のもとを訪れない。


日本の社会福祉制度は「自己申告」を基本としている。申告しなければ適応があっても福祉の手が届かない。自ら情報を集め、声を上げ、助けを求められる人はそれでいい。だが、そうでない人もたくさんいる。件の女子高生も、陣痛が始まったときにどこかの病院に駆け込んで「妊娠しています!お腹が痛いです!」と叫んでくれれば、それで良かったのだ。医療現場は混乱しただろうが、対応した医療従事者は苦労しただろうが、それでもきっと、母子を危険な出産から守ることができただろう。ただ一言「助けてください」と声を発する。それすらできない、わからない、周囲を信用できない。そんな人が社会にはたくさんいる。見えないところで潜んでいる。


助けを求める声をあげたら、意外と社会は優しい。

だが、助けなど求められないと思ってしまうほど、社会は厳しい。



その3.家庭科は誰のもの? 独身女性が家庭科の先生だった


リボ払いや女子高生の自宅出産など、さまざまな印象的な授業をしてくれた家庭科の先生は、40代の女性だった。

そんなある日、ふと友人が私に教えてくれたのだ。


「あの先生、結婚してないらしいよ」


その言葉を聞いた時、私は思わず「え!?」と驚き叫んだ。そして直後、なぜ自分は驚いたのだろうと、不思議に思った。

私は今、家庭科の先生が独身だと知って、そのことを意外だと感じた。なぜ驚いてしまったのだろう。何に意外性を感じたのだろう、と。

そして私は気づいたのだ。家庭科で学ぶこと、すなわち家庭や生活に関わることは既婚女性のものだと思い込んでいた、と言うことに。

私が家庭科の授業で学んだのは、生きていく上での細々としたことだった。家計管理や行政の手続き、料理洗濯裁縫、掃除。どれも大切だと思いながら、心のどこかでそれらは「主婦がやること」なのだと思っていた。専業主婦がやること。あるいは、母親がやることだと。だから当然、家庭科の先生は「主婦」で「母親」の側面を持っていると思い込んでいたのだ。


これがとんでもない思い違いであることは、すでにお分かりだと思う。


私が家庭科で教わったことは、老若男女を問わず必要な知識だった。結婚していても、結婚していなくても、働いていても働いっていなくても、主婦であってもそうでなくとも、身につけて置くべき知識ばかりだった。


家庭科の先生が独身だと知ったとき、そしてそのことに驚いたとき、私は自分の中にあった無意識の思い込みに気がついた。

「家庭のこと=既婚女性の仕事」という、性別による偏りが植え付けられていたことに気がついたのだ。

高校一年生。15歳の発見だった。



独身の家庭科の先生から学んだこと、まとめ。


教わったのは次の3つだ。

1. リボ払いは迂闊に手を出すと危険
2. 社会には助けを求められない人がいる
3. 「この仕事はこういう人がすべきだ」という根拠のない思い込みがある

一年間の授業のおかげで、私は今日まで大きなトラブルなく無事に生きてこれた。クレジットカードで借金をすることもなく、押し切られた高額エステをクーリングオフすることもできた。避妊に失敗したときは緊急避妊薬にアクセスし、育休復帰に悩んだときは労基に電話をした。

そして今、私は「子育て中の女でありながらフルタイムで医者」をしている。女だからこれができないとか、男だからこうすべきとか、その手の無意識の思い込みに流されないようにい、できるだけ「自分や周囲が幸せになるにはどうすればいいか」を基準にして物事を判断するように心がけている。

そして、これからもそうありたいと思っている。



久しぶりに卒業アルバムを引っ張り出して、先生の写真を拝見した。

今もどこかでお元気にされていることを願っている。





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