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勝ち負けにこだわっていた? 復職面談を振り返っての反省。

こんにちは。女医ワーママのあおです。

今回は少し、情けない話になります。
とある件を通して、過去の自分の言動を反省した内容です。少しでも「あわないな」と思われた方は、回れ右してくださいね。


では。


先日、こんなことがありました。

育休復帰をするにあたり、私は何度か上司と面談をしました。そのことを話したとき、不意に別の上司より「自分の希望ばかり言っている」と指摘され、動揺してしまいました。

今回は、動揺した原因と、最終的に「自分は正しい、相手は間違っていると思い込んでいたのかもしれない」と反省するに至った経緯を書きたいと思います。



内容は残業時間についてだった。


復職面談において、主な内容は「何時まで残業するのか」ということでした。

それまでの女医ワーママさんたちは、定時の17時で退勤されていました。
ですが私が復帰する際は、「これからは毎日18時まで残業できるようにしてほしい」というのが上司の希望でした。それに対して私は「朝は7時すぎに出勤しており、子供もその時間から保育園に預けている。できれば残業は17時半までにしてほしい」と希望しました。

一時は平行線を辿っていたのですが、最終的に上司が折れてくださり、その他にも調整をした結果、現在は17時半までという条件で復帰しています。

このことを別の上司に話した時に、「それは公私混同じゃないのかな? あお先生は自分の希望や家庭の事情を言うばかりで、相手に押し付けているよ」と言われ、それに対して、私はとても動揺してしまいました。



自分が正しい、という思い込み。


アドラー心理学に、「権力争い」という概念があります。

人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。これは完全なる権力争いでしょう。 ——『嫌われる勇気』より

「自分は正しい」と思うことが、「相手に勝たなければならない、打ち負かさねばならない」という意識に繋がってしまう、という概念です。

別の上司から指摘されたとき、私はこの「権力争い」という言葉が頭に浮かびました。


もしかしたら私はいつの間にか「権力争い」に足を踏み入れていたのかもしれないと、気付いたのです。


面談の最中、私の中にあったのは「残業は17時半までという私の主張は正しい。18時まで残業というのは相手が間違っている」という考え方でした。だからこそ、私は何としてでも自分の希望を通さなければならないと考えていました。

ですが、この行動は本当に正しかったのか、と今になって思います。

私の考えと同じく、「勤務医は、少なくとも皆が18時までは働けないと業務が成り立たない」という上司の考えもまた、正しいものだったのではないか。長時間労働の是非はともかく、業務を円滑に行うため、そして他の医師の負担を減らすためにも、上司の提案は十分「あり」なものだったのではないかと、改めて思うようになりました。



壮大な勘違い。私は勝ったつもりになっていた。


仮に「権力争い」になってしまったら、そこから抜け出す方法は1つしかありません。それは、「争いの場から降りる」ということです。

相手が闘いを挑んできたら、そしてそれが権力争いだと察知したら、いち早く争いから降りる。相手のアクションに対してリアクションを返さない。われわれにできるのは、それだけです。 ——『嫌われる勇気』より

そして復帰交渉において、争いの場から降りたのは私ではなく上司でした。
上司は私の希望を飲むことで、私が無意識に挑んでいた権力争いから距離を取られたのだと思います。ですが私は「譲ってもらった」ことに気づかず、自分の力と説得によって今の労働条件を勝ち取ったのだと誤解していました。



私も正しい。相手も正しい。相手を責めずに、そこから考える。


復職までの過程について話した時、私は非常に感情的になっていました。
そこには「上司は私の正しさを理解してくれなかった」という気持ちがありました。そして、そんなふうに相手を責める感情を、別の上司は感じ取って「公私混同」「押し付けている」という感想を持ったのではないかと思います。

私の至らなかった点は、「相手は間違っている」という気持ちで上司と向き合ったことでした。自分が正しいからと言って、相手が間違っているとは限りません。ましてや、相手を打ち負かしていい、ということはないのです。

尊敬や敬意なくして、健全な人間関係は築けません。なにより、相手は自分よりも経験・知識ともに遥かに豊富な、尊敬すべき医師です。そんな上司に対して、無意識にでも権力争いをしてしまったことは、猛省すべきことでした。

そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。だからこそ、「自分の誤りを認めること」を、そのまま「負けを認めること」と考えてしまうわけです。

負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を選んでしまう。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。 ——『嫌われる勇気』より

相手も正しい。でも、自分の意見もある。
その上で、相手に敬意を払い、よい落とし所を見つける。その結果は事実として受け止め、相手への感情をごちゃ混ぜにしない。事実と感情の切り離しや、権力争いをしない姿勢が私には不足していました。



育児や仕事に必死になるあまり、私は「自分の正しさ」を主張しがちになっていたように思います。ここで希望を通さなければ、私の人生は終わってしまう。そんな危機感さえ抱いていました。

自分は正しい。相手は間違っている。
そう信じて、無意識に「勝ち負け」を挑む癖がついていたように思います。

ですが、それは自分にも相手にとっても、決して良いことではありません。

自分も正しく、相手も正しいという状況は、よくあることです。仮に相手が間違っていたとしても、相手を打ち負かしていい理由にはなりません。


今回の件で、私は過去の自分の言動を深く反省しました。

自分の人生を守りたいがあまり、相手に対して傲慢になっていないか。
自分の力だけで乗り越えられているのだと考えていないか。
たくさんの人の力を借りて、今ここにいることを忘れてはいないか。

常に自分に問いかけながら、職場や家族への感謝と敬意を忘れずに進んでいきたいと思います。




こちらのマガジンにまとめています。




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