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「持たざる女医」の生存戦略


ひと昔の女医は、育休が取れなかったらしい。


40代、50代の出産経験のある女医さんと話をすると、決まって「出産したら仕事は辞めるものって言われていた」「育休なんて取らせてもらえなかった」という言葉が出てくる。ほんの10年ほど前のことだ。

では、彼女たちがどうやってキャリアを継続したかというと、出てくるのは「実家」「じじばば」「開業」「フリーランス」「非常勤」という言葉。産休後はすぐにフルタイムで復帰。保育園には入れたけれど、呼び出しは祖父母が対応。休日も実家に子供を預けた。診療科によっては「一人開業」や「フリーランス」という手段があるから、それを駆使した、など。そういう、数々の秘密道具が登場する。


ほんの10年前までは、「持てる女医」しか出産後も仕事を続けられなかった。


振り返って、自分はどうかといえば。

実家はさほど遠方ではないが、育ててもらえるほど近くはない。保育園には入れたが、送り迎えは自分たちでする必要がある。専門医を取得したが、フリーランスになれる力量はない。仕事柄、リモートワークもできない。開業も、たぶんない。

つまりは「持たざる女医」というわけだ。



「持たざる女医」が唯一持っていたもの


そんな私が職場復帰をするにあたり、唯一持っていたのが「夫」というカードだった。当初は存在感が薄かったこのカードを切ることで、私はフルタイムかつ残業休日出勤ありで復帰をした。

つまりは、夫と育児を分担したわけだ。

夫に週1回の定時帰宅と保育園の呼び出し対応をしてもらい、私は週1だけ、残業ができるようにした。そして休日は月に一度、仕事を休んでもらい、私は出勤する。

夫の協力を得る切ることで、私はフルタイム復帰を果たし、キャリア継続への道筋を見つけることができた。


子持ちの女医が働くためには、パートナーの協力が不可避。


その思いは、復帰から半年たった今でも変わらない。女医一人では育児と仕事を両立するのは不可能だ。かといって、すべての女医に「頼れる実家」があるわけではない。実家が遠方、両親が高齢で、あるいは介護で手一杯など、それぞれ事情が違う。そうなると、最も身近にいるパートナーに前に出てきてもらうしかない。(そもそも、そこで前に出てこないのは保護者としてどうなの、という気持ちもある)


復帰後、私は後輩に「出産後も仕事を続けるには、パートナーとの協力が必要。互いにキャリアを潰しあわないように、それぞれの時間を削り取って差し出していく必要がある」という話をした。夫が100を目指せば、妻は30になる。だが夫の仕事を80くらいに調整すれば、妻も60〜70くらいで働ける可能性が高くなる。この違いが、5年後、10年後の自分のキャリアの土台になるはず。「持たざる女医」でも生き抜く道があるはず、と。

だが少しして、私は自分の話に矛盾があることに気づいた。


「持たざる女医」の生存戦略として「夫」というカードを切るならば。

「育児ができる夫」というカードをそもそも持たない女医は、どうすればいいのか、と。



夫は選び直せない。子供は子宮に戻らない。


私はたまたま「育児に参加する夫」が夫だった。子どもが泣いても根気強く抱っこをし、ご飯を食べさせ、オムツを変え。積み木を積んだら「上手にできたね」と褒め、スプーンを投げたら「投げたらだめ」としっかり話ができる人が夫だった。私の復帰前に職場や上司と話をし、週に1回、職場を定時ダッシュし、子どもを保育園に迎えに行く人が夫だった。私よりは少し遅れたけれど、それでもちゃんと「父親」になった人だった。

そういう意味では、私も「持てる女医」だったのかもしれないのだ。

専業主夫ではなかったけれど、それでも家事育児に十分協力的な夫と結婚したから、私は仕事を続けることができた。


じゃあ、その夫すら持たない女医は、どうしたらいいのか。


結婚前に戻って夫を選び直すことはできない。離婚して新たな伴侶を得る人もいるが、そうしない夫婦もいる。そして、生まれてしまった子供は子宮の中には戻せない。出産前に戻って、ライフプランやキャリアプランについて夫婦で話し合い、やり直すこともできない。

私が勧めた「夫というカードを切る」という行為は、「夫が育児参加できなければ仕事を続けられない」という裏返しでもある。夫すら持たざる女医には、何の解決にもなっていない。タイムマシンに乗って、数年前の自分に「その人でいいの?」と囁くことはできない。



強かに、諦めない。制度の抜け穴を探す。


そんな中で、後輩が「週4フルタイム」という働き方をすることになった、と教えてくれた。彼女は同じくワーキングマザーで、仕事と育児と家庭内労働とを頑張っている。もともとは週3時短勤務だったが、兼ねてからその待遇について上長と面談を重ねていたそうだ。(大学病院の週3時短勤務は手取り10万円の世界だ)

週5フルタイム勤務かつ休日勤務ができないと、並の収入は難しい。だが、家庭内の事情もあり週5勤務は厳しい。そんな中で見つけたのが「週4フルタイム」という制度だった。

正直、私は彼女からこの話を聞くまで、「週4フルタイム」という選択肢があることを知らなかった。私も、彼女も、そして上長も知らなかった。たぶん、所属している診療科の誰も知らなかったと思う。


蛇足だが、勤務先には就労規則はある。あるにはあるが、週何日勤務すればどういう待遇か、などの記載はなかったように思う。時短勤務の規則もあるが、どういう状況が時短勤務とみなされ、どういう制約があるのか、ということまでは記されてなかった。多分、配布された規則とは別のものにまとめて書かれているのだろう。

蛇足終わり。


そんなわけで彼女は「週4フルタイムかつ月一休日勤務」の条件で勤務日数を増やすことになった。給与もずっと良くなる見込みで、本当によかったと思う。

と、同時に。

私は、後輩のやり方こそが「持たざる女医」のやり方なのかもしれない、と感じた。


ちなみに、私は彼女のパートナーがどんな人かを知らない。ただ、働いている姿を見ていると、制限のある中で夫婦二人で頑張っているのだろうということは、なんとなく伝わってくる。だから彼女が「夫を持たざる者」とは思わないし、彼女の夫は育児ができる人のように見えている。

が、それとは別にして。


彼女はこの勤務体系にたどり着くまでに、年単位で交渉を重ねていた。これは正直言って、とても大変なことだったと思う。上長は自分より何十歳も年上で、医師として経験も実績も桁違いだ。その相手に、自分の希望を伝え、職場の状況や上長の意向と折り合いをつけながら解決策を見出すというのは、相当骨の折れる作業だったに違いない。

私も復職面談を何度か行ったが、面談したあとはいつも1ヶ月くらいダメージを引きずっていた。途中で何度も投げ出したい、もう辞めたいと思ったこともあった。

それを一年以上に渡って、彼女は一人でやり続けたということに、尊敬の念を抱かずにいられない。


そして後輩は「週4フルタイム」という誰も知らなかった制度までたどり着いた。


結婚も、出産も、そして仕事も、昔に戻ってやり直すことはできない。

持たざる女医が、持てる女医にシフトチェンジすることは容易ではない。

だが、彼女はそんな状況でも、自分にあった制度を発掘した。制度さえあれば、それは「持てる持たざる」に関係なく、誰もが利用することができる。再現性が高いのだ、とても。

これこそが、持たざる女医の生存戦略なのではないかと、私は思う。


どれほど面倒でも、骨が折れても、逃げずに上長と交渉をする。自分に応用できる制度がないのかを探す。手取り10万円の時短と、手取り50万円の残業ありの平日フルタイム以外に、利用できるものはないのかを見つけ出す。根気強く、諦めず、強かに。時に心が折れそうになっても、見通しがたたなくても、探し続ける。その根気強さと意思の強さと交渉の巧みさ。それが「持たざる女医」の貴重な武器なのではないだろうか。


疲れてくると、相手のレールに乗りたくなるのだ。

どんなに自分の望む人生を歩きたいと思っていても、それが道無き道だったりすると、心が折れる瞬間はある。そして、多少無理をしても、あるいは不本意でも、誰かが差し出したレールに乗っかりたい時がある。

私は心のどこかに「交渉が大変だから、もう思い切って週5フルタイム休日出勤のラインに乗ってみよう」という気持ちがあった。乗ったことは後悔していないし、乗ったからこそ見えた景色もあった。正直、フルタイム女医ワーママというのはまあまあ過酷で、半休をちびちび使いながらこなしているが、それも良い経験になっている。だが全てが自分の意思や希望だったかと問われたら、言葉に詰まる。

制度を探す、交渉するという面倒を避けたいがために、自分の夫や自分自身に無理を強いていなかっただろうか、と過去の自分は省みるのだ。



だからこそ、新たな働き方を見出してくれた後輩には尊敬と感謝の念しかない。そして彼女のこれからの人生が、医師としてのキャリアも、そして家庭人としての時間も含めて、幸多きことを心から祈りたい。





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