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文才

仕事で書類を書く時やらLINEやらとにかく自分は文章が長い。頭の中で添削しているつもりなんだけどそれでも長い。長すぎて読む前に「うっ…」となるレベル。優しい人なら読み進めてくれるかも知れませんが、普通はスルーされるレベル。長い。長い。異様に長い。要約するという事を知らない。長ければ良いってもんじゃない。

そして今も長い。書き始め長いねん。長いだけで中身ないねん。パシッと気を惹くような短文を綴らんかい。



誰かとやり取りしている時に自分の文章と相手の文章量に差が出るなんて日常茶飯事。相手の書いてる事には全部反応した方がいいよな…。と思って全項目に触れるもんだから削っても削っても長文になる。そして相手からの返信を見て「短かっ」「こんだけ書いてその量でよう返信出来るよな」とほぼ言いがかりなストレスを抱えてしまう。

けれど本来はそれで済むはずなんよね。6行に対して3行で返ってきたら「半分やん」ってなるけど内容的には3行程度のやりとりに過ぎないんよね。余計な3行を付け足してる自分が悪いんよね。
冷静に考えたら分かることなのに瞬間的に短いと感じるのは自分の悪い癖。そこから「もう飽きられてるだろうな」と気遣いモードに移ってあれやこれやと向こうの話を聞くいつものスタンスになっていく。
始まりは自分だけど、それが何の解決もしてないのに無理やり切り替えて、気づけば相手に合わせている。思い返せば自発的に何かを話したって事ないな。周りのストレスにならないように生きすぎてるな。自我ってどこにあったんだっけな。ってか文才の話やな。また脱線しとんな。こういうとこやぞ自分。文才ないから脱線すんねん。文才あったら余談なんか付け加えへんねん。


推しが書いたブログへのコメントも長い。気づいたら本人より長い時があって時折申し訳なく感じる時がある。よく「気持ちがこもっていれば大丈夫」なんて事を聞くけど、それを差し引いても長い。気持ちどうこうじゃないぐらい長い。あまりにも長すぎるので最近はコメントをする前にスマホのメモに下書きを残すようにした。無駄に長い部分を省くための措置。コメントなんて簡潔かつ的確に書く方が絶対に良いので少しでもそれに近づくための自分なりの方法。

ですがまだまだ長いです。縦に縦に長いです。爆買いした時のレシートぐらい長いです。そしてこれまでの文字数を合計すると広辞苑5冊分、ハリーポッターの文庫本なら20冊分に相当すると思います。あくまでも体感の話やけどね。どっちにしろ長いね。

そういや小学校の時、読書強化月間みたいなのやってたなぁ。色んな本を読んで何ページ読んだかを生徒で競い合って、1番多かった人にはメダル的なものをあげましょうというやつ。
そこで自分はハリーポッターと賢者の石をチョイスしてちまちま数を稼ぐことにした。別に1位を取りたいとも思わないし、そもそも読書しないから面倒だし、色んな本を読んでる暇なんかないし、でもちゃんとやらないと怒られるのも嫌だし…。そんな浅はかな理由でハリーポッターを選び「同じ本を時間をかけてゆっくり読んで終わるのを待つ」という姑息手段に出る。


ただ小学生なのでしょうもない小狡さが働いてしまい、読んでないのに読んだ事にして適当にページ数を書いてたら担任の先生から「読んでへんやろ」としっかり怒られた。賢者の石の総ページ数は455ページなのですが、用紙に書いてる数と実際の数が合ってなかったそうです。

先生「読んでへんやろ」

式「読んでます」

先生「読んでへん。数がおかしいもん」

式「読んでますって」

先生「だってこれ合わせたら、この本3冊読んでる事なるで?絶対そんな読んでへんやろ」

式「…読んでました」


そんな嘘で押し通せるわけもなく真っ当に怒られた小学生時代。やはり嘘は良くないのです。


和歌山の思い出


また脱線してしまった。
推しのブログへのコメントが長い話からなんで小学校の話になんねん。
これも文才ないからや。
文才ないから変な話を付け足してそれっぽい記事にしたがんねん。
もっと内容の濃いやつ書かんかい。



というわけで2024年1発目のnoteも大駄文になりましたが今年もよろしくお願い致します。

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