どんないろがすき?

 幼稚園で、3歳のときにしたお遊戯のことをまだ覚えている。正確には、写真をみてそれを自分の記憶だと勘違いしているのかもしれない。
 私が通っていた幼稚園は縦割りのクラスで、同じクラスの同級生はたぶん10人かそこらだったと思う。いや、そんなにいなかったかな。学年を分けるのはクラスではなく帽子の色で、年少は「あかぼうしさん」、年中は「きいぼうしさん」、年長は「あおぼうしさん」。

 私があかぼうしさんだった頃、12月のクリスマス祝会で(キリスト系の幼稚園だった)「どんないろがすき?」って曲に合わせてお遊戯をした記憶がある。先生が作ってくれたビニール袋の衣装を着て踊った。あとは自分の着ている衣装のときに「きいろ!」とか「みどり!」とか叫ぶ。私は物心がついたときからずっと黄色が好きだった。プーさんの色だから。でも、クリスマス祝会では私は黄色にはなれなかった。写真によると、緑の担当だったらしい。今では緑も好きなのでいいけど、本当は黄色がよかった。いや、あの当時も本当は別に緑で良かったのかも。真相は神のみぞ知る。

ここから本題。

 ここ最近、私はどうしたら解消できるのか分からない、薄い霧のような静かで少し暗い不安に苛まれている。原因は分かっている、恋人のこと。私は今の恋人と付き合ってそろそろ2年で、友だちになってから4年ほど、知り合ってからからはもう6年近く経つ。恋人はこの夏から働きはじめたし、私もありがたいことに就職先が決まったところで、今すぐにじゃなくて少し先の未来、家族になりたいと思っている。でも、恋人はそうじゃないらしい。少し前までは「早く結婚してぇ」とか、「奥さま」とか言ってたのに。恋人は自分の家族に幸せを感じたことがなくて、むしろかなりトラウマがあって、幸せな家庭だとか結婚だとかそういうものを現実として考えれば考えるほどよく分からなくなってきているようだ。かたや私は自分で言うのもなんだけど両親は健在で祖父母もみんないて、叔父叔母なんかも割と仲が良くて、いとこたちも兄弟みたいなものだと思っている。つまり一般的な、幸せな家庭の出身というわけ。恋人からしたら私たちは180度違うところで育った2人で、絶対に分かり合えないと思っている。私も分かり合えないという部分には賛成する。でも、それでも、私とだったら家族になってくれるかも、なんて、自惚れていたわけである。そこへ晴天の霹靂。会心の一撃。
 私は「結婚」がしたいわけではなくて、「恋人と家族になりたい」、もっと小さなことを言えば「もう一度恋人と一緒に暮らしたい」わけであるからして、「結婚相手を探したいので別れてください」とかって言いたいわけではない。恋人も、「合わないと思ったら別れる」くらいしか言わない。でも、今まで(私が一方的に)信じてきた恋人との未来はどこへ行ったのだろう。私の許可も取らないまま空中分解してしまって、今は目に見える形として私を安心させてはくれない。ただ毎日一緒に晩ご飯を食べて今日あったことを話して「おやすみ」と言いたいだけなんだけどな。

 ここ最近のこういった漠然とした我々の未来への私が勝手に抱いている不安は、というか少しの悲しみは、何だかクリスマス祝会で黄色の衣装を着られなかった頃の小さな悲しみに似ている気がする。好きなものがあって、私の手に届きそうなところにあるのに手にすることができない切なさ。私もできれば黄色が着たかったな。もしかすると、今は緑でもいいと思えるように、恋人とのことがどう転んだとしても「あの時は黄色が良かったけど、今は緑も好きだよ」と言えるかもしれない。緑を好きになれるかどうかは私の心次第なので、納得の行くように行動するしかない。あるいは、緑を好きになれなかったとしても「緑があんまり好きじゃない自分」を認めるほかない。大丈夫、今だって、ピンクやスカートやふりふりが好きじゃない私のこともちゃんと好きだから、緑が好きになれなくたって大したことない。

 もし将来恋人とうまくいかなかったとして、またひとりになったときは、結婚相手を探すなんて(私にとって)かったるいことはしないで、黙って稼いで女の子を1人か2人養子に取ろうと思っている。大丈夫、高校生のときからそう言ってたじゃない。

 ま、未来はまだまだどうなるか分からないので、ひとまずは恋人ともう一度一緒に暮らせるようにのんびり待ちたいと思う。果報は寝て待て、今は久々の一人暮らしをお互い楽しもうじゃないですか。おわり。

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