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ゆるりと好きな画家の話をしよう

美術館へ行くのは、年に二、三回。多いのか少ないのか、よくわかりません。わたしはいいペースだと思っています。ちょうどよい。

最近、「たゆたえども沈まず」というゴッホに関する小説を読み、そういえばあの画家がわたしは好きだな、好きな画家について書きたいな、という気持ちがむくむくとわきました。知識は浅いので、「好き」に重点を置いて書いて参ります。

ホドラー

この人の一枚の風景画がとても好きです。

学生のときに美術館で出会い、穴の開くほど見ていました。薄いピンク色をした水辺、手前には細い線で描かれた石がごろごろとあります。陽が差した水面を、ピンク色で表現するのが当時のわたしには新鮮で、やさしいいろをしていて、でも岩は厳つい線をしていて、その対比がとても不思議でした。
タイトルは残念ながら分かりません。川か、湖の名前だったような、日付があったような。

一枚の絵を気にいる、ということ自体が初めてでした。

じっ…

とみつめて、ギャラリーの順路に従い、その絵の前を通り過ぎ、人が空いた頃にまた戻って

じぃ…

とみつめていました。またいつの日か出会えるのでしょうか。出会えたら嬉しいです。

ルドン

ルドンは、不思議な画家です。なぜそう思うかというと、あんまりに違う種類の絵を描くから。

一つは花の絵。家にかけておきたくなるような、永遠に咲く生花のような美しい花の絵を描きます。花瓶も大きく、どっしりしていて、存在感がある。広間や大理石の玄関のような、立派なところに飾っておきたくなる明るい花の絵です。

そしてもう一つは、不気味な絵です。薄墨で描かれた、幽霊みたいな人の顔。はっきりと描かれたグロテスクな目玉。一つめがディック・ブルーナだとしたら、こちらはエドワード・ゴーリーです。それを、一人でやってのけるのがルドンという画家です。

ルドンだけの展示を観に行って、花々の絵のあとに恐ろしい目玉や人の顔が登場したときは

「嘘でしょ」

と呟いてしまいました。このギャップが、強烈に印象に残る画家です。

マグリット 

フィクションのような、頭の中の空想のような絵を描くマグリットが好きです。

日本で色んな画家の絵画が混ざって展示されていたなかで、マグリットの絵を知り、とてもよいなと気に入りました。そのときは「気になるあの人」くらいの感覚でしたが、その後、旅行で訪れたフランクフルトの美術館で、マグリット展が開かれていることを知り、これは運命だぞ、入らねば、と自分を奮い立たせ、恐る恐るドイツ語のカウンターでチケットを購入しました。

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館内で、間違えて男性用お手洗いに入りかけ、出てきたドイツ人のおじさんに「おや」と笑われながら場所を教えてもらう、というハプニングの後、マグリットを堪能しました。

彼の絵は、月やりんご、キリンなど、モチーフがとても身近です。そしてその組み合わせがほんとうに面白い。なんだか、遊園地に来たみたいだな、と思ったのを覚えています。

「schirn kunsthalle frankfurt(シルン美術館)」というその美術館は、日本のように順路はなく、気になる絵や気に入った絵を何度もぐるぐると観て回りました。観ていて愉快な気持ちになる絵を描く人です。

初めて訪れた「外国の美術館」だったため、マグリットの絵は「楽しい冒険」というイメージと結びついています。

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終わりに

さて、そんな感じでわたしが好きな画家の話でした。

何度か美術館に足を運ぶと自分なりに画家との接点、絵画への感情が生まれ、その分「好き」が増す気がします。

こんなに書いておいてあれですが、わたしは美術館で説明のプレートを必死に読んで、観賞への集中力が気づくと失われてしまうタイプ。せっかく本物の絵に出会えるときなら、頭ではなく、心で観たいものです。もちろん、より楽しむために知識もこつこつと蓄えながら。

今秋も、マイペースに芸術とお付き合いしてゆく所存です。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

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