「サラバ!」と外見観
(西加奈子『サラバ!』のネタバレあります)(ついでになぜか『ダレン・シャン』も少しネタバレしてます)
西加奈子の『サラバ!』を読んだ。
貪るように読んだ。
なんかね、西加奈子の「見ため」観がいいんだよな。
中身がイチバン!みたいな絵空事は有り得ない。外側の造形は絶対に人を評価する項目の一つ。だがしかし、「外見で全てが決まる」なんてこともない。
その力強さを感じる。
外見について考えることを恥と思うな、評価することを悪と思うな、と勇気付けられる気がするのだ。
あとは単純に異国の話が面白い。「世界ナゼそこに日本人」的な感覚で読める。
ニューヨークとかロンドンとか香港とかメジャーなところではなく、テヘランとカイロという得体の知れない土地なところがよい。特にエジプト人の国民性を描写するところは、主人公もとい作者が持つ、エジプシャンに対する親愛の気持ちが伝わってくる。
そして(ここから大いにネタバレ!)
構造が『ダレン・シャン』と同じところが私的に激アツ。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』とはちょっと違う…のかな。こういう多重構造になった物語は、多重構造であることを読者に気付かせるスイッチが、物語のどこにあるか、が重要だと思う。ダレン・シャンは劇的だったなあ…好き…ダークファンタジーの中で飛び抜けて好き。また読みたくなってきたな。
なんの話だっけ。あ、西加奈子よね。
以前『きりこについて』も読んだ。この作品にも『サラバ!』にも美人の母親がでてきて、その娘は美人ではないという環境が描かれていて興味深い。(また見た目の話だ)
ただ、『サラバ!』に出てくるお姉さんは、自分の美人な母親にコンプレックスを持っていて、それを後々まで引きずるのに対し、きりこは自分の容姿が客観的に見て全く可愛くないことに気付かず、(ある時期までは)すごく自信を持っているし、母親との仲も良好だ。きりこの場合、両親が与える盲目的な愛が、その自信に由来しているに違いない。一番身近にいて、一緒に過ごす時間が多い人間に「世界一可愛い」と言われ続けたらそりゃ「わたしって世界一可愛いんだ〜」って思うもん。
でも、ほとんどの場合、人間は家族という最小単位のコミュニティだけで生きていくことはできないから、家族の愛に満ちた眼差しだけではなく、たくさんの他人の眼に、言葉に晒されていくことになる。
だから、「ちょっと待って、わたしってひょっとして世界一可愛いわけではないんじゃない?」と気づくタイミングが、遅かれ早かれ訪れるんだよね。
でも、そこから立直るのもやっぱり自力では難しくて、誰かの言葉や、誰かがつくった芸術作品や、なんやかやが「別に世界一可愛くなくとも生きていけるんだぜ」「っていうか君しか持ってない美しさがあるんだぜ」「ナンバーワンにならなくていいもともと特別なオ(以下略)」的なことを教えてくれるんだよな〜〜なんて思うわけです。
そういったことを、この本から感じ取ったわけです。
まとまらなかったけど、今回はこのへんで。『サラバ!』を読んだ方がいたら感想聴きたいです。待ってます。
ンリーワンなまーしゃより
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