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2024-02-19: ある批判についての記憶

多少昔の話だ。
ふと脈絡なく思い立ち、とある小説投稿サイトに短いお話をいくつか投稿したことがある。

「お話」と表現するのは、それらが小説と呼ぶにはあまりにも適当な産物であり、私自身を愉しませるという単一目的を掲げた、いわば手慰みだったからだ。日曜大工みたいなものである。
卑しくもプロとして発表している漫画作品群とは何もかも性質が違う。そのため、作者名は適当に命名し、漫画家である”塀”とは完全に切断していた。

1日に1作、夜間の隙間時間でダ―――ッと始まりから終わりまで一気呵成に書いて、そのまま投稿。
プロットなんてないし、構想時間もない。ノリで書いて、適当にオチをつけて、おわり。

「物語を書く」快楽の享受が目的なので、別に世の中に公開する必要もなかったのだが、いちソフトウェアエンジニアとして、小説投稿サイトをユーザー目線で利用してみたいという気持ちもあった。

数本投稿したある日、作品に対して、こんなコメントがついていた。
原文は既に存在しないので、記憶を頼りに大意を以下に示す。

あなたの作品を読みました。
ズバリ、これらはXXXという著名な作品の、技術的に拙劣なパクリですね。
もっと▲▲▲の表現など、洗練したほうが良いですよ。勉強してください。

どうやら仕掛け人として、商業の編集者が背後にいるようですが、プロモーションの仕掛け方も良くない。本作は完成したら書籍化するつもりなのでしょう?

今後も更新が続く連作のようなので、一応最後まで読んであげます。
当然、連日公開されていることから既に未公開作品も用意されていることでしょう。
最後まで読了して、総合的に批評してあげましょう。

……このコメント、拙作宛で合っていますか……? 誤爆じゃないですよね?? 

という当惑をもって読了し、しばし呆然とした記憶がある。

せっかくなので、各指摘について触れてみよう。

まず「パクリ」について。
私がひっそりと投稿していた数点の作品はいずれも、いわゆる実話系怪談と呼ばれるものであった。
あくまで「系」であり、さっぱり実体験ではないし、伝聞ですらない。私が退勤後に、漫画のプロットを考えながら、片手間にキーボードを猫ミームの猫みたいにバチバチ叩いてできた産物である。

ただし、その内容は私の個人史に極めて近しく、「あの体験が実は怪異現象だったら」という幼児的な妄想の産物である点が、既存作品との差異である。
私は、コメント中で引き合いに出されていた「XXX」という作品を読んだことがあるが、各話の内容は近似していなかったと(私の主観になるが)考えている。

ただ、私の投稿作は全て実話系怪談であり、私のアカウントはそれら以外の作品を一切投稿していなかったため、同様の運用をなさっている諸先生方の「パクリ」だとコメント投稿者は考えたのではないか、と私は推測している。

次に「背後に編集者」や「プロモーション」、「書籍化」についてだが、無論全て無実である。
文芸の編集者など会ったこともないし、拙作は私が自分に向けて書き、自分が書いた文章を読み直して「へー、俺からこんな文章が出てくるんだ。面白いな」と人力ChatGPTごっこをしていたに過ぎない。

最後に、「未公開の作品」であるが、そんなものも存在しない。
私は毎晩投稿サイト上のエディタ上で直接入力を行っており、ローカルのエディタすら開いていなかった。
連日公開していたのは、単に気が乗っていたからである。
明日、飽きたり本業が忙しくなって、パッと更新を投げ出す可能性も十分あるのである。

上記コメントを受けて、少し逡巡したが、アカウントは即削除することにした。
なんだか妙な期待感を読者の方に持たせてしまっていることに負い目を感じたし、自慰的に書いた文章が「私が採点・指導してあげます」というスタンスの人に読まれているという事実も、いくばくかの精神的疲労を禁じ得なかった。
河川敷で一人、新品のスケボーでオーリーを練習していたら通りすがりの人に「フーン、魅せ方が下手だね」と言われ、カーッと赤面するような気分。

漫画原稿などはプロとして受け手を意識しているので、上記のような性質の感情は生じ得ない。
このnoteなどもそうである。遊びで書いているが、しっかり「塀」として読み手に対し文責を負っているし、あらゆるフィードバックには真摯に対応したい。

小説投稿サイトというのは、自分が考えているよりもシリアスな場なんだなぁという事実を確認し、私はWeb小説家引退RTAをキメたのだった。ggです。

ところで、エッセイのお仕事など、文字書きのお仕事いつでもお待ちしております。
こんな話をした後で、言うことじゃないかもしれないけど。



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