隣の人

生きにくい世界で生きにくいを生きている人

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最近の記事

犬の形

 ついさっき、14歳になるうちの犬が死んだ。  2ヶ月ほど前から急激に体調を崩し、今年いっぱいもつかどうかと家族と話していたが思ったよりも早くあっけなく逝ってしまった。  突然の激しい雷雨の中、家のほど近くに落ちた激しい一撃に連れて行かれたのかなぁなどとぼんやりと思った。  生来、動物や他人の生き死にあまり感情移入出来ないタイプの人間なので、酷く悲しんで泣き伏せたり落ち込んで食事も喉を通らないというほどのことは自分の中で起こらず。  ただ、首輪とリードの先、犬小屋の中、開け

    • アセクシュアルとクエスチョニング③

      そんな風に書き出すと 「恋愛経験がないだけだ」 「男性恐怖症なだけじゃないか」 「それは経験不足なだけでLGBTとは関係ない」 などという意見が出てくることだろう。かく言う私もそうではないかと長く自問自答してきた。 ここで行動力のある人なら実際に恋愛をしてみようと異性にアプローチしたり、アプリを使って出会いを探したり、あるいは病院やカウンセラーにかかることだろう。 それ自体はとても素晴らしいと思うしそれで自分の性自認がはっきりと分かれば、次にしたいことへのフットワ

      • アセクシュアルとクエスチョニング②

        話がめちゃくちゃ逸れてしまったが、そんな友人(仮)を持ちLGBTについて考える機会が身近だったこともあり、自分の性自認についても最近はよく考えるようになった。 私は戸籍上も肉体の性別も女性であり自認も女性だ、たぶん異性が好きなヘテロだと思うのだが、どうにも世間で言う一般的なヘテロ女性と自分を比べると違和感が凄い。 異性との恋愛経験どころか交友もほぼなく、人生で一番長く接した異性は父と兄といった背景が間違いなく深く影響しているのだろうが、やはりどうにも違和感と嫌悪が凄いのだ。

        • アセクシュアルとクエスチョニング①

          多様性やLGBTが合言葉やプロパガンダのように叫ばれる昨今、自分の性自認について人生で初めて向き合っているような気がする今日この頃。 友人と呼べる存在が少ない私の友人にも、同性愛者の女性がいる。 私の無遠慮で偏見的な発言のせいで目下距離感が断絶され、友人と読んでいいかも曖昧になってしまって早くも一週間が過ぎようとはしているが。 自分の愚かさに後悔で2日は食事が喉を通らず、嘘偽りなく自分の非を謝罪したためたLINEを送りはしたが、後日連絡するという一報を残して未だ彼女からの明

          装丁という祈り

          (そうてい、装丁)とは、一般的には本を綴じて表紙などをつける作業を指す。 広義には、カバー、表紙、見返し、扉、帯、外箱のある本は箱のデザイン、材料の選択を含めた、造本の一連の工程またはその意匠を意味する。  宗教や神学に興味がある訳ではない人が、美しい装丁の異国の聖書を見て、これほどに美しい本に書かれている言葉はどれほどに美しいのかと読んでみたくなった。  そう言って、古く今は使われることもない異国の言葉で書かれた本を手に取り、言葉を学び始めた。  人が祈る姿は、宗教も場

          装丁という祈り

          老いと死と給油と禅問答

           給油タンクに灯油がぐびぐびと飲み込まれていくのを見つめながら、老いと死について考える。  親の死、自分の死、他者の死、生物としての死。  死後の世界を信じていない私にとって死とは生命活動の停止であり、自我と自認の停止であり、自我の消滅であり、つまりは「無」だ。  それはなんと背筋が凍り震えが走るほどに怖ろしいことだろう、想像できないほど遠くはない未来、無によって私は親という無二の存在を失いやがて自らをも失うのだ。  寒空の下、着込んだ身体の底を冷やしながら考えるには

          老いと死と給油と禅問答

          どんぐりの片隅

           色んな人のノートやSNSを読んで、みんな今結構しんどいのかな、と、ふと思う。  季節性なのか時勢のせいなのか、終わりと始まりが溢れ出る周りの中で終わりだけが延々と続いていくような気持ちのまま、取り残された人達が道端のどんぐりみたいにころがってる。  その中には私もいて、膝を抱えてどんぐりの隣でずっと見つめている。  自分のこと、将来のこと、仕事のこと、人生の中でこんなに真剣に自分に向き合うことは初めてかもしれないぐらいずっと見つめている。  楽になる瞬間もあるけど大

          どんぐりの片隅