2024_02_05

  • 集団でモノ作りをするときに、作品に対する感情やモチベーションの共有を行う作業はかなり大事だと感じた。モノ作りを手伝う人たちの作っているものに対する熱量が高いほど色々なアイディアや、改善へ意見などが出てくるからだ。

  • こういう言論を文面で見ると何を今更という感じだが、実際にそれが重要だと感じる場面に出くわすことが最近多いため、このことに関して考えることが増えてきた。


  • 特に仕事でモノ作りをするとこの共有作業があまりできていない傾向にあると思う。クリエイティブなモノ作り~などというと聞こえは良いが、結局のところは金を稼ぐための一つの職業選択でしか無い。

  • 仕事だと基本的に熱量の高い共有(企画の内容や仕様などの共有はされるが、ディレクターのプリミティブな思考に触れること)がないため、基本的に金のために働くというのがインセンティブになる。

  • 仕事だと共有されたとしてもモチベーションが上がらないことも多くあるが、それは給料でカバーできるが、個人的な給料が発生しないモノ作りだと話は変わってくる。


  • 今の俺にはありがたいことに、特に給料が発生するわけでもないのにも関わらず、俺が作りたいと思ったゲーム開発を手伝ってくれる人が多くいる。職場の先輩だったり、学生時代からの友人たちなどだ。

  • そのため俺の頭の中にある作品の映像やアイディア、何が面白いのかを協力をお願いする際に企画書などを用意して共有しなければならない場面が多くある。

  • 手伝ってくれてる人には給料が発生しないため、この共有したモノが結果的に作業に対するモチベーションに繋がるので、この共有作業はかなり重要度が高い。


  • 俺は本業がプログラマだが、最近は向いていないんじゃないかと感じることが非常に多い。それは人から指示されたことを実行するのが苦痛になってきているからだ。なぜ苦痛に感じるのか考えると、俺は自分の内面にある物を形にしたい意欲が強く、”他人の内面にあるものを創造するという行為が、自分の人生を切り売りしている”という感覚が強くあるからだと思う。

  • もちろん仕事の全てが苦痛というわけではなく、自分の内面にあるものを他人の作品に挿入できるような仕事は基本的に楽しくやれている。しかしその楽しさを感じるときはプログラム作業をしているときよりも、表現方法のアイディアを考えたりそれを話したりするほうが圧倒的に多い。

  • しかし、仕事だと雇用主と労働者という関係になるため、意見を求められても直接口にするのは精神的に苦痛を伴うことが多く、極めて表面的なものしか出せないことが多くあるように思う。

  • それはおそらく、俺の行動原理が感情やモチベーションの共有という部分に直結していて、それ自体が希薄なものに関わること自体や単なる労働活動の一環である、ということが苦痛なのだと思う。


  • どうせ生活に必要のないモノを作るのだから、俺の内面世界を表現することに実りがある行為がしたい

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