上京して初めての友人が、私の誕生日にこの世からいなくなった

今日は私の誕生日なんです。

とうとう、めでたく42歳になりました。昭和おじさんがまたひとつ年を重ねました。ぜひお祝いしてください。

そういう個人的事情とあわせて、今日は少しだけ、いつもと違うムードの記事を書きます。画像サムネも今回はなし、にします。

12月といえば、クリスマスがあったり、最近は実施されていませんが、仕事柄忘年会が多かったり、年末の休みだったり、正月の準備。

そもそも街のムードも、何だか賑やかで冬生まれの自分としては、なんだかワクワクするのが12月です。


ただちょうど5年前から、

僕が26歳で上京して、初めてできた仲間であり、大事な友人が、私の誕生日にこの世からいなくなったことを意識する、そんな12月になりました。
(厳密には少し日付はズレているのですが、もう同じ日だと意識しています)

今まで、何となく受け入れられず、誰かに語ることも無かったのですが、あれから5年。そろそろ吐き出してみようかと思った次第です。


出会い

その友人は、私が上京して転職したアパレル小売の会社で、まさに当時一番店だった店舗の店長でした。

入社初日の販売研修として、その一番店に2日間入って、お店の雰囲気を掴んできて。そういうミッションでした。

気合い十分だった私は、開店の1時間前にその館(ショッピングモール)に到着し、競合店と言うか、周りのお店なんかを見ながら、

関東のショップはどんな感じ?

とか思いながら、ふらふらと歩き回っていました。

流石に1時間前から、開店準備をしている所は少ない様子でしたが、

私が研修する店舗だけ、まわりの店舗が真っ暗でネットが掛かっている中、眩しく明かりが灯っていました。

開店30分前に入店するように指示を受けていたので、あまり早く行きすぎるのもどうかと思い、遠巻きに様子を伺うことにしました。

そこで、店頭入り口でハタキをかけている、とても細身で、黒髪ロング黒いワンピースの女性を目にすることになります。

これがその後、ともに3年ほど一緒に働き、仲間となり友人となる、彼女との出会いでした。


お互いの第一印象は最低最悪

こちらとしては、上京して働く初日。
気合いに満ち溢れています。

かなり元気に挨拶したのですが、返答は蚊の鳴くようなもの。

あれ?と思いました。

レディスアパレルショップ、しかも一番売れてる店の店長だよな?テンション低すぎない?

それが正直な印象でした。


後日、彼女から聞いた初対面の感想は「朝からうるせえ…」でした。


その後は信頼関係が生まれました

私は彼女よりも一つだけ年上なのですが、小売における店長歴が私の方が長く、
(彼女は店長に昇格して間もないと、後に知りました)

また私は本配属後1ヶ月だけ店長をしたものの、すぐに本部に異動となり、すべての店長たちのサポートをする立場になりました。 

店長経験があり、年齢も近く、性別は違うものの店長たちの気持ちがわかる立場でしたので、

特に一番店のプレッシャーもある彼女とは連絡回数も増え、

悩みを共有されることも多く、また意識的に店舗へ往訪する回数も増やしていたこともあり、

第一印象が最悪同士だった私たちも、いつしか同じ目線で仕事をするようになり、強い仲間意識が生まれていました。

初めのころは、周りには少し誤解もされていましたが、正真正銘、純粋なる「何でも言い合える仲間」でした。

(実際彼女は、ちゃんとお付き合いしている男性がいたようですし、レディスアパレルで働きなれていた私は、そういうつもりもありませんでした)

沢山の新店の立ち上げも共にし、そのたびコミュニケーションも深め、勝手ながら強い絆があったと思っています。

記憶だけでも4~5店舗は、一緒に立ち上げをしたと思います。

その度に、私たちはプレッシャーと戦っていました。時には、二人してボロボロになることも。 

ともかく、私が上京して初めてできた友人であり、同時に貴重な数少ない友人でした。


時は流れ

私はその会社を退職。また彼女も別のタイミングと理由でほぼ同時期くらいに退職をし、

その後はあまり連絡をとらず、本当に時々お茶をして近況を報告しあう、という感じでした。

でも、いつしかお互い忙しくもなり、疎遠になっていきました。


私の結婚式への招待

私は彼女がこの世から去る2016年の、2年前に結婚式を行ったのですが、その際にかなり久々に彼女に直接連絡をし、招待をしました。

お祝いの言葉とともに「実は私も名字が変わって…」と言われ、ああ、お互い年も重ね、それぞれ結婚したんだなあと漠然と思っていました。

結婚式当日、久々に顔を見ることが出来て嬉しかったのですが、

やはり私も新郎の立場ですので、そこまで時間をゆっくりとって話すことは出来ず、

事前に二次会には出られないということを聞いていたので、まあ予定が合わないなら仕方ない、別の機会にでも旦那さんを連れて、家に遊びにきてもらえばいいかな。と呑気に考えていました。


しかし、後から知ったのですが、もうこの時点で彼女は重い病気を抱えていました。

実は相当な無理をして結婚式に参加してくれていて、でも、とても私の結婚式を楽しみにしてくれてもいたそうです。

唯一の後悔は、結婚式後、早めに連絡をしていれば良かったことです。

結果的に、彼女が生きている姿を見たのは、この結婚式の日が最後になってしまいました。


2016年の連絡

それから2年後の2016年、共通の知人から突然連絡があり、亡くなった事を知りました。

病気を抱えていたことも知らないので「え?なんで?」としか、当時思いませんでした。

お仕事もお休みを頂戴し、慌てて告別式に向かいました。でも心のどこかでリアリティは無く、何かの冗談だと思っていました。

そんな心持ちの中、粛々と式は進み、ここで初めて、彼女の旦那さんとお会いし一言二言お話をすることになります。

とても優しそうな方でした。

最後のお別れのとき、棺に入っている彼女は、少し痩せてはいたものの、間違いなくよく知る彼女で、今までは当然横になって寝ている姿など見たことが無かったので、

不思議な感じがするな、と少し思いながら、そして、本当に亡くなったんだ、とここで正しく実感することになります。


それから一年後

私に亡くなったことを連絡をくれた方からの招待で、彼女と旦那さんのお家に行くことになり、旦那さんと沢山話をしました。

どうやら、この家をもう退去するということで、いわゆる形見分け、です。

実は、妻は彼女が店長をしている店舗に研修に入っていたこともあったりして、妻にとってもよく知る人間です。

なので、妻と一緒におじゃまをしました。

私は旦那さんが知らない、旦那さんが出会う前の、彼女ががむしゃらに頑張っていた時代の話を沢山しました。

妻も同様に、私と比べると数少ない思い出を語って、

旦那さん…彼は笑ったり、真剣だったり、おどろいたりしながら話をずっと聞いてくれていました。

「実は、妻の衣服が多すぎて一部屋まるまる埋まっているんです」

そう彼は言って、その部屋を見せてくれました。

そこには見慣れた服も、店頭では見たことのない服も、とにかく沢山ありました。

恐らく彼女からすれば、私に衣類を持って帰られるのはイヤだろうな、と思い、これらは持ち帰らず、

私は、衣類ではなく、小物の一つを持ち帰りました。

遺影の彼女は笑顔でした。


あれから

彼女がこの世からいなくなってしまったことは、ただただ寂しいのですが、

でも、私の誕生日に亡くなった事は、毎年彼女を思い出すことが出来る、唯一の偶然でした。

今日は、妻と、まだ2歳にもなっていないので、よくわかってはいないだろうけど、娘から私の誕生日を祝ってもらいました。

もし今、彼女をがこの世にいたとしたら、お互いに家族間の交流会なんかがあって、子ども同士が一緒に遊んでいる間に、夫婦同士でだらだらとお茶でもしている。

そんな、未来線があったのかも知れません。

お互いの青臭い20代の苦労話を、お互いの配偶者には少し呆れられながらも、お互いの子どもたちに話していただろうと思っています。

あれから5年。

さらに私は年を取り、娘も生まれ、見た目も中身もどんどん変わりつつありますが、

彼女の時はそのままです。

そして私の誕生日は、あともう数分で終わろうとしています。

また来年の同じ日に、また同じように思い出します。


コジマサトシ

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