Tonari Hiroshima

Tonari Hiroshima

最近の記事

利他と利己

 今自分は話しすぎていないだろうか。相手はそんなに自分の話に興味ないんじゃなかろうか。人と話をしている時、基本頭の片隅に鎮座しているのがこの思考。会話が途切れた時に、何かを切り出そうとしても、この片隅の邪魔者が阻止している。するとただ会話が続けられない哀れものが誕生する。邪魔者は片隅にかなり長い間生活しているので、もはや意識下には現れない。見えないエリアに潜り、自動的に私の会話をシャットダウンしている。  こう考えてしまう自分は利他的なのだろうか。相手のことを気遣って、詰まら

    • 連続性

       状態が固定されたものはなく、どんな物体も変化の途中らしい。今ある遺産もいつかは崩壊するし、私の体も置換され続けている。全ての事象にはっきりとした始まりはなく、また終わりもない。緩やかに全てが繋がり、また途切れている。私はそこに存在しているし、連続的に死に向かっている。  と、考えると、「今この瞬間をどう使うのか」は私の意思で決められるただ一つのポイントである。もちろん、私の意思の定義も問題としてはあるが、まぁ一旦置いておく。すると頭の中の勇者ヒンメルが語りかける。「僕は今の

      • 裸の自分

          綺麗に梱包されていない自分を見せるのが苦手だ。お酒の席ではどこまで行っても私は正常ですという仮面を被り続ける。誰かに本音を伝える時には、必ず想定問答集を練り、どんな回答が来ても素肌は見せない準備をする。初対面の人には、気の利いた兄ちゃんだと思われるための動きを見せる。  きっと傷つくことが怖いんだと思う。友人に嫌われたくない。内側の自分を否定されると、自分が自分を認めてあげられなくなってしまう。外側の自分で生きてきた時間が長すぎて、今更キャラも崩せない。唯一無二の“本当の

        • 改札前と、国道沿い

           改札前集合で、というと、それは一つに決まる。迷うかもしれないなんて想像もしない。外食したい、ボウリングしたい、本屋さん行きたい、これは全部国道沿い。そんな街で生まれ育った。電車は10分に1本あるし、国道には思いつくチェーン店はだいたいある。生きるのに不自由はなかった。  東京で暮らすようになって、「何改札の前」「どこのドトール」といった会話が当たり前になった。電車は3分ごとに来るし、消費を促すお店も広告もてんこもりなこの街で育つことを想像する。が、難しい。あまりにもベースが

          窓の外

          糀谷駅から蒲田駅に向かう電車では、左側に陽が沈む。10ヶ月この路線を使っているが、初めて気がついた。いや気づいていたのかもしれない。感情にはならなかった、ということなのかも。今日の5時前のそこは、窓を雨が叩き、空は紫と灰色が半分ずつ、太陽は濃いオレンジ。ほんの瞬間、私の眼と脳を通した、自分だけの景色。この独占的な1秒を、言語で表すことは今の私にはできない。いつかできるようになるものなのか。わからないけど、24歳の自分にはできなかったことを記録しておこう。 Tonari

          何かを書きたい夜に

           カゲプロを聞き、シャカパチを極め、強いドラゴンズを憎んだあの頃、私は文章を書くことが好きだった。卒業式の答辞では、悪ガキの立派な成長譚を、模試の小論文では、それなりに構成された文章を書いた。書く訓練をしたことはなかったけど、胸を張って“私の言葉”と言えるものを創っていた。が、大学に入ると、文章はビルで拾ってきた言葉だけで構成されるようになった。レポート、エントリーシート、私の存在なんて黒部ダムで作るポカリくらいしか感じられない。自分は広報運動家だと言い聞かせ、コミュ力高めの

          何かを書きたい夜に