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『物語は変わる』 ご感想

2023年9月13日〜21日、銀座CO-CO PHOTO SALONで開催した個展『物語は変わる』に寄せていただいたご感想のうち、掲載のご許可をいただいたものをこちらでご紹介いたします。すでにご覧いただいた方も、ちがう瞬間におなじ空間に立った方の言葉を読んで、ふたたび何かを感じていただけるかもしれません。ご覧いただいていない方にとっては、そこにどんな風景があったのか、想像する手掛かりになるかもしれません。私からひとつひとつお返事ができず恐縮ですが、大きな大きな感謝の気持ちとともに、転載させていただきます。ありがとうございました。

初日に伺わせて頂いた女子高生です。

これから長い人生を生きて行く中で
目の前が不安ばかりで何者でもない自分、何も成し遂げてこなかった自分に自信がない日々を過ごしている中でトナカイさんのお写真に出会いました。

今回、写真展自体初めてで正直緊張しましたが一枚一枚が美しく心の中にあった小さい人生への希望がひとまわり大きくなった気がしました。詩も一つ一つのお言葉が体の中に染み渡るような感覚で自然と入ってきました。18年、長い時間を過ごしてきたわけではありませんが、写真、詩に触れて私の中で生きることへの無理な考えも無くなった気がします。

私の初めての個展がトナカイさんで良かったと思いました。まだまだ残暑が厳しい日々が続いておりますのでどうぞご自愛ください。また生きてお会いしたいです。
ありがとうございました。

静かなものへ向けるまなざしに、救われたような気持ちになりました。自分の住む町をゆっくり歩いてみようと思います。

病み上がりで会場に着くまで大丈夫かなと思っていたのですが、着いてみたら静かな場所でなんだかほっとしました。
私は街路樹や街に生きている草花が好きなので、トナカイさんの撮ったぴかぴか生きている彼らの写真にとても元気を貰いました。同時に、そこにあるだけで美しい姿が羨ましくも思いました。
私は早く人間になりたいなと思って生きているのですが、トナカイさんの今回の三篇の詩も、そんな私の背中を守ってくれるように感じて嬉しかったです。
トナカイさんの展示はいつも静かで優しくてぴかぴかしていてとても好きです。準備など大変なのに開催してくださってありがとうございます。
今後もトナカイさんの様々な作品を拝見出来たら嬉しいです。まだ残暑も厳しいですのでお体にお気をつけてお過ごしください。
追伸:体調を心配してくださってありがとうございます!もしまた展示があるなら元気な時にお会い出来たら嬉しいです。

まずは個展の開催おめでとうございます。そして、トナカイさんの写真と詩に触れられる機会を作ってくれてありがとうございます。

個展に来た時と、帰る時とではまるで気持ちが違いました。とても元気になって、帰ることができました。あとがきを読んで、わたしはトナカイさんの写真と詩に慰めてもらったんだと納得しました。ありがとうございます。

トナカイさんの作品を見ると、自分にやさしくしたくなり、自分を大事にしたくなります。何かを見て、人にそうしたくなることはあるけど、自分に対してそう思えることってなかなか無いような気がします。
なので、トナカイさんの写真集を手元に置きたくなりました。自分で自分を抱きしめたくなったら、トナカイさんの写真集を開きます。
わたしはずっと、枯れてしまう花より、ずっと居てくれる木が好きだったのですが、トナカイさんの写真を見て、写真集と展示のあとがきを読んで、花が愛おしくなりました。展示のなかの、枯花、とても素敵でした。

長く、まとまりのない感想となってしまいましたが、どうしてもありがとうと伝えたくなってしまいました。

季節の変わり目、お身体に気をつけてください。また、どこかでお会いできると嬉しいです。

写真展、ありがとうございました。

写真のことはよくわかっていないわたしですが、世界の一部がこういう姿を見せてくれているんだ、と思うとすごく幸せになれた時間でした。
願わくば自分の目で、切り取る力で、ああ見えたらいいのですが、なかなか素早い世界できちんと対峙する時間が取れずにいます。
こうして目の前に見せてくれてありがとうございます。
写真が好きな友人というものがおらず1人で来てしまったのですが、大切な人を無理矢理にでも連れてくればよかったなと思いました。

華やかな銀座の街とは対照的な柔らかく優しい写真のおかげで、心穏やかな気持ちになれました。ありがとうございました。

とても行って良かったと思う展示でした。

すごく長い時間見てしまいました。1周目は一つ一つの写真を一つとして見ていました。でも2周目は全部の写真が1年の季節の周期のような、そんな感覚で見ていました。そしてそこで正直に思ったことは"私は来年もこの周期を生きている、生きていけるか分からない"でした。なぜか美味しそうなメロンの写真の前で思いました。
メンタルを壊した時期にも一緒に過ごした今の町や、過去に住んでいた町を歩くと"うわー"と下を向いたり目をつむりたくなってしまう感情になることがよくありますが、そこにある草木や花や波も、きっと当時とはもう違うもので、同じ種類のものだとしても生きて確実に変化はしていて、それと同じように、私の物語も変わることに、思いが少しずつ満たされていきました。
私は雪柳のお写真が本当に好きで、良くて、近くで見ると写真の青い空がキラキラしていて、このお写真が家にあったらどんなに毎日嬉しいだろうと思いました。
また、『五月の虹』の『金色の詩』もとても好きで、「歩こう」のその続きを見させてもらっているような気持ちにもなりました。あれから4年以上経っていますが、みんなずっとずっとそれぞれの生を生きてきたんだなって、自分自身も含めてそう思って、それだけで少し胸がいっぱいになりました。

会場にあった3つの詩を心にもった人の撮ったお写真は、なぜかとても安心します。部屋の真ん中から見ると、奥の3つの緑のお写真が並んで見えるのもとても好きでした。『悲しみの体積』の詩もとても好きでした。空間ごと記憶に残したくて何度も見てしまいました。

サインも書いてもらい、覚えていてもらったのもやっぱりとっても嬉しかったです。写真集では完食のメロンのお写真もあって、それもすごく大好きです。

またエレベーターの8が雪だるまみたいで笑ってしまいました。友達と会場を出てからたくさん話しながら歩いて、仙台の時とはまた違う幸せを感じていました。素敵な展示を開いてくださり、ありがとうございました。

トナカイさんが撮られるお写真は、差し込んだ光が眩しくなく、優しいお写真だなと改めて思いました。空間全てにやさしさが詰まっていて、嬉しい気持ちになりました。ありがとうございます。応援しています。

いつものようにフラッと立ち寄ったギャラリーでの出会い。写真に添えれれた詩を読み思いを馳せてみました。個人的には、いくつかの作品に時間の奥行きを感じ、楽しませてしただきました。

今日は素敵な時間を本当にありがとうございました。

今年の冬の谷中での個展にも行かせていただいたのですが、あのすぐ後から今まで、以前から続いていた業務過多が原因で仕事を休職・後にそのまま退職をするという嵐のような日々を送っていました。

療養を経て一昨日やっと次の内定先が決まり、以前とはまた少し違った気持ちで訪れた今日。今の自分に響く言葉や写真の優しさに色々な思いが頭をよぎり、なんだかとても心洗われるような、自分の中に優しい風が吹くような、そんな気持ちで鑑賞をさせていただきました。

1つ1つの詩と詩が重なり、またその間にある写真もそれぞれメッセージを発しているようで。特に最後の小瓶の写真を見た時は3つの詩(命という器・誰にも渡してはいけない悲しみの体積・苦しい記憶を届かないようにしてくれる波)が頭の中で折り重なるような感覚で、あの美しい小瓶を自分と重ねながら眺めていました。

前回「花が咲く頃の土」を購入した時に「読み終わる頃には春が来ますね」と、そんなお話をしたことをふと思い出しました。
結局今年は自分には(色々な意味での)春はやって来ませんでしたが、またもし苦しい記憶に首を絞められるような夜がやってきた時は、それらを洗い流してくれる静かで優しい波とお守りのようなトナカイの角がそこにある情景を心の中で思い浮かべ、物語が変わることを信じて過ごせたら良いなと、そんな風に思います。

改めて、トナカイさんのお人柄がとても現れた素敵な空間でした。いつか自分も誰かの心に明かりを灯してそっと寄り添えるような、そんな場所をつくれたらと思っています。

また次の個展もとても楽しみにしております!

トナカイさんの作品は、あたたかみがあり、元気が貰えます。あとがきを読んで、いま苦しみの中にいる人に、と読んで、私だ、と思いました。
劇的な何かがあったわけではなく、まいにちの生活に疲れてしまったくしゃくしゃなこころを少しずつ伸ばしていって貰えたような気持ちです。
真っ直ぐピンと上に向かなくてもいいんだ、曲がっても少しずつ上を向けるんだと今回の展示で慰められました。
このタイミングで足を運んで、良かったです。
写真集にサインも頂き、ありがとうございました。メロン、美味しそうでした。
今回の展示も、大変だったと思いますが、またぜひ次回の機会もありますととても嬉しく思います。
お忙しい毎日だと思いますが、お身体に気をつけて、頑張ってください。

土曜日に伺いました。
トナカイさんの撮る写真は脚色なしに、ただそこに存在するものとして素直に写っている印象で好きです。

ここ1ヶ月程守られていないような不安から泣いてしまう夜が多々ありますが、綺麗に印刷された写真を見て、詩を読んで、満たされる気持ちでした。特に「悲しみの体積」は今の自分に響くものを感じました。

ゆっくりと1周眺めていましたが、どうにも離れがたくくり返し戻っては見返してをしてしまいました。良い時間でした。

直接お話できたのも嬉しかったです。
展示を見て得た感情をそのまま伝えられるほどの言葉を持ち合わせていなかったのが惜しいのですが、まっすぐに聞いて話していただけたことで安心しました。ありがとうございました。

新社会人になってめまぐるしく時間が過ぎる中、トナカイさんの写真をみることができてよかったです。無機質に規則的に駆り立てるように進む時間ではなくて、自分軸でゆっくり進む時間が持てた大学生の頃を思い出せました。そういう時間の中でしか掬いとることができない小さな幸せが写真の中にあるように感じました。あるいは、苦しみのなかで縋る思いでしか見出せない世界の美しさや生への希望とも言えるかもしれません。

人と話すのが苦手なもので、お話しすることなく去ってしまいましたが、はじめと終わりに目を合わせてくださって、嬉しかったです。ありがとうございました。

9/18にお伺いしました。

なんとなく人生において「成功」しなければならないと、追い立てられているような気持ちになり、息苦しいことが多いのですが、トナカイさんのお写真は、そこにある生命の存在自体を認めているようで安心しました。

ミモザとユキヤナギの写真の花と雲ひとつない青空、各写真の萌える緑に、ただそこにある美しさにもちゃんと価値があると改めて思い出せたように感じます。

もう少し暑い日が続くようですが、トナカイさんもどうぞご自愛ください。

展示のあとがきにあった漠然とした不安のようなものを、わたしも子どもの頃からずっと抱えています。どこか所在がなく、自分が安心して自分で居ていいという感覚が薄いのだと、大人になってしばらくしてからようやく気付きました。
人それぞれの「物語」が光に満ちていなくても、苦しくても、本当はただただ祝福されていいことに、なかなか気が付きませんでした。悲しい気持ちはただ悲しくてよくて、嬉しい気持ちは怖がらずに感じてよいものだと、なぜか長いこと分からずにいました。その間とても苦しかったです。
なんとなく、そういう見逃してしまいそうな惜しくて愛おしい人間の有り様を、トナカイさんの写真や詩はずっと強く肯定してくれているんだと感じました。いつもなんだかほっとします。展示ありがとうございました!

9/16にお邪魔いたしました。
タイトルの通り物語が想像できる作品展でした。自宅に戻り写真集を読み返してみると、もっと想像が広がりました。展示も動きがあり、一点一点じっくり拝見できました。自然にあるものは一列では無いとの言葉が印象的です。
ありがとうございました。

トナカイさんの写真や詩を見るとき、胸がいっぱいになり泣いてしまいそうな感覚になります。
忘れていたものを思い出すような、やさしくあたたかい気持ちになります。

今日は、はじめて展示に行くことができました。
「物語は変わる」ということばや、写真、3つの詩、あとがき それらにとても救われた時間でした。「悲しみの体積」という詩は特に自分の中に響いたものでした。

サインを頂いたとき、名前を覚えていてくださったことが本当に嬉しかったです。

今日、展示にお邪魔した時間は、特別なものになりました。
素敵な展示をありがとうございました。
これからも応援しています。

私がトナカイさんを知ったのは、2019年の事でした。
Twitterで見た写真が素敵で、その後、地元仙台での個展がある事を知り、お邪魔したのが始めでした。
写真はもちろん素敵だったのですが、それまで詩に触れた事が無かった私は、とても感動したのを覚えています。
その時は、うまく気持ちを表現できなくて、「とてもよかった」というありきたりな感想になってしまったのでした。
今回、また個展に伺う事ができて本当に良かった。
生きている事も、その先の事も不安で苦しくなる事がたくさんあるけれど、同じようにその2つは、私にとっての希望でもあると思えました。
トナカイさんの詩は、押し付けがましくなくいつも寄り添ってくれると感じ、写真も、ただ美しいだけではないものを感じます。
とくに花々の写真には釘付けになってしまいました。
写真集の表紙にもなっていて、嬉しい気持ちになりました。
また、緊張してしまいましたが、トナカイさんにお目にかかれたことも、とても嬉しかったです。
地球通信も、いつも楽しみにしています。
お体に気をつけて、今後の活動も応援しています。

会場に入った瞬間、こんにちはって微笑みかけてくださるトナカイさんを見ると、いつもなんだかほっとします。

今回の展示は、わたしのなかにずっとたいせつなひとを思い浮かべながらみていました。いまはいない彼のこと、はなれている住んでいる、一緒に住んでいるたいせつなひとたちのこと、いまそばにいてくれる彼のこと。

夏はやっぱり苦しい季節になってしまったけれど、その感情も大切にこの手で抱きしめて生きていく。歩いてみることができているから大丈夫。
そんなふうに思うことができて、見ることができてよかったなと思いました。

4年間で変わりましたねって言ってもらえたこと、すこしくすぐったくて、うれしかったです。今の自分は4年前の自分よりすこしだけすきだからです。
ビール飲みましょう。たのしみです。

最後に、きちんとお伝えできませんでしたが、個展開催おめでとうございます。

今回も素敵な作品、空間をありがとうございました。来れてよかったと心から思います。

私は「変わる」ことに対して、恐怖・悲しみを強く感じてしまう性質なのですが、今回の展示タイトルを知ったとき、トナカイさんの紡ぐ「変わる」に対しては、とても心強く、前向きなものを感じました。

トナカイさんを通して切り取られた生命たちからは、力強さと優しさ、あたたかさとやわらかさ、においも、気温も、伝わってくるようで、心が安らぎ、時には鼓舞されるのです。

「雪柳」を見て、外を見れば色々な物語を抱えた人々が行き交っていて、私もその中のひとりなんだと、私も立っていて生きているんだと、そのことを忘れないようにしたいと思いました。

どんな端っこにいても取りこぼさない。
トナカイさんの写真を見て、詩を読むたびに感じるあたたかさが、今日初めて自分の中で言葉として浮き上がりました。

長々と申し訳ありません。
どうかトナカイさんの日々が健やかなものでありますように。お身体に気をつけてお過ごしください。


( 私は会話をするのが得意ではなく、いつも言葉足らずだったな…と思います。ですが、いつも優しく話を聞いてくださり、ありがとうございます。

未経験で飛び込んだマッサージのお仕事は、難しさと悔しさの連続ではありますが、同時に「身体が楽になりました」と笑って伝えてもらえたときの喜びはひとしおです。人間の身体の構造について勉強中ですが、とても興味深いです。

私もトナカイさんのように、誰かの心に寄り添えるようなセラピストになれるよう、明日からまたがんばります。今日はエネルギーを充電できました。ありがとうございました。)

何気ない風景がどれほど美しいか、と感じました。
普段からそう思ってはいても、形に残すことができないので、芸術として残すことができる人には憧れます。
トナカイさんの写真は、いろいろな場所から集めてきた美しいものを見せてくれることが多かったですが、今回は本当に身近な場所にある景色を、しかもこの半年間に見られたものを、本当に大切に選び抜いて展示されていましたね。
いつもトナカイさんの言葉と写真には、あるがままで何の飾りもなく、ただ在ることが美しい、と教えてもらえる気がして、そのことに救われています。
今回の展示もその通りだったなと感じました。

私も最近詩を書いてみたり、書けなかったりしています。
自分だけの本当に何でもない日常でも、美しさはある、残す価値はある、と少し思えるような気がしました。

被写体がトナカイさんだからこそ見せようとするその存在の健気さに

写真と詩を通して届けようとするトナカイさんの祈りのような眼差しに

そしてトナカイさんの写真や詩に触れたひとりひとりとの関係性から、
きっと生まれるだろう、やさしく淡い光に

それを思うとちょっと泣きそうになって会場を出ました。

トナカイさんの写真や詩は、人間に生まれたからにはきっと避けることのできない、かなしみがあって、
そのかなしみをきっと知ってるであろう人にまっすぐ向けらているのかなと思ったりもして。

そしてもちろん、かなしみだけでなく、人には、喜びや幸せもあって、それは誰しも
等しく平等に与えられるものではないかもしれないけど、
でも、振り子のように1人1人の心の中には、両方が確かにあると、そう思っていいんだなと
思えました。

私の勝手な解釈なので違うかもしれないけど、そう思うと、
また勝手にちょっと泣きたくなりました。

ギャラリーの空間が、静かに、こんこんと湧き出る泉のような、
そのまわりには、小さな光の粒々が舞ってるみたいで
そんな美しさや静けさがあって、心地よかったです。

ありがとうございました。

いつも応援しております。
どこでお会いしたか、電子の海の中で揺蕩っている時に、トナカイさんのおうち(Twitter)にお邪魔して素敵なお写真を拝見しました。それ以来、いつか私たち姉妹の写真を撮ってもらいたい、と思いつつ時間が流れ、4年前に機会があり、夏のある日に思い出の公園で撮っていただきました。撮っていただいたトナカイさんの写真は、とても細かい粒がたくさん寄り集まったような写真でした。時が流れても、その写真は変わらずそこにありました。私は何かをカメラで写しとることで救いを得ている人間ですが、誰か他の人の写真で救われたのは初めてでした。それまでは写真に映るたびに醜い表情になってしまうと感じていました。でもトナカイさんの写真の中の私は幸せそうでした。
今回の展示も、切り取られた植物たちは、そこに生きていました。今はもう生きていないかもしれない植物たちの命が、トナカイさんの写真の中では、今も輝きながら生きています。
私は、それは救いだと思います。あなたは生きていたんだよ、そう誰かが覚えていてくれる、それは祝福なのだと。

鬱蒼とした緑の中にぽつんと咲く黄色いコスモスの写真を見た瞬間に、これが一番好きだと思いました。
なんであんなに惹かれたのかなと、その写真のことを噛み砕きながら帰りました。あの花は、私だったのかもしれません。または、ああなりたいと望む自分の姿だったのだと思います。

私は平凡な名前で平凡な会社員で平凡な人生を歩むフツウの人だけど、一部の思考でマイノリティに属していて、一般的に幸せと呼ばれる道を選ばないことを決めています。たった一人で戦っていく覚悟は決めてるけど、一人の道は険しく孤独です。でもあの花は、一輪でも美しかった。あの花はトナカイさんに見つけてもらえた。
明日からまた、私は雑踏の中で一人戦っていきます。私の姿も、あの花みたいに凛々しいといい。一輪でも真っ直ぐに咲けるといい。

私はきっと、私の物語を変えてみせる。そう思って、その背中を押してもらいたくて、展示にお伺いしました。写真集を見る度に、その決意を思い出すと思います。

物語は変わる 大変素敵な空間、そして時間をありがとうございました。写真集も、旅を終えて帰宅してからゆっくり味わいました。
いつも地球通信を楽しませていただいていること、知っていてもらえていて嬉しく思いました。
これからも応援しております。ぜひ仙台にも、またいつかおいでください。
追伸 個展で少しお話させていただいた、古川本舗さんというアーティスト、トナカイさんも機会がありましたら聴いてみてください。

9月16日にトナカイさんの写真展にお伺いさせていただきました。
トナカイさんの写真展自体は初めてだったので、実際どんな感じなのかとても気になっていました。実際に写真を見た時、トナカイさんが撮る写真どれも、「生きることの尊さ」を映しているように思いました。
私はこの写真展にお伺いさせていただいた後、生活していく中でひとつひとつの花や草木に目を向けるようになりました。花や草木も魂がきちんと存在していて、苦しい中でも懸命に生きようと、花を咲かせようとしている。トナカイさんの写真を見た時にそんなメッセージが込められているように感じ、私の中で生きる見方が変わりました。生活していて苦しいことや悲しいことも沢山あるけれど、花や草木が魂込めて生きているように、私にも生きる価値があると心から感じることが出来ました。初めての写真展がトナカイさんで本当に良かったです。
購入した写真集は今でも度々見返しています。お身体にお気をつけてこれからも頑張ってください。
本当にありがとうございました。

展示にお伺いしてからしばらく経ってしまいましたが、やっと感想をまとめられそうなチャンスがきたので、写真集をめくりながらこのフォームを開いています。(写真集本当に素敵です!展示にはなかった、食べ終えたメロンの写真が大好きです。美味しく食べられたことがわかるようすに、思わずふふふとなってしまいました。)

私がお伺いした最終日は夜が雨予報で、水分を含んだ雲がもくもくとしていましたが、それがまた展示空間のよさを引き立てていて、ついた瞬間に「これはいいぞ」と思いました。
トナカイさんの撮る写真や展示には、そこにいる命から出た湿度がある気がして、しかもそれがむわん、とした感じではなく、瑞々しく生きていることを感じられる湿度で、本当に好きです。今回の展示は特にその美しい湿度を感じました。静かな青と深い緑が印象的でした。油断したら見たくないものばかり目に入ってしまう世の中だと私は最近よく思うのですが、トナカイさんの作品たちをみて、「美しいものに眼差しを向けよう」という意志を新たにしました。

素晴らしい作品が並ぶ中で、私が一番好きだったのは、『悲しみの体積』の詩でした。何度も前に立ち、その度にいいと思いました。ぐっと感情が込み上げ、自分の中の悲しみや埋まらない隙間を愛おしく思いました。
私は夜より朝が苦手です。朝目覚めるとどうしようもない悲しみに包まれてしまうからです。何か悲しい事件が前日に起こったわけではなく、もともと持っている心の傷が開くようで、また起きてしまったとじっと耐えるしかない時間です。『悲しみの体積』に出会って、そんな時間のことを「いつか自分自身になって帰ってくるよ」とあたためてもらったような気がしました。つらくても、この空洞を誰にも渡したくないと思いました。私と同じように朝悲しみに包まれると話していた友人にも、この詩のことを伝えました。大事な人に伝えたい詩だと思いました。

この先、悲しみ分の空洞が大きくて手を離してしまいそうになるときも、私はこの詩を思い出して自分の心を抱きしめなおすと思います。素敵な作品を生んでくださって、本当にありがとうございました。

次は京都に行かれるとのことで、お忙しいと思いますが、どうぞご自愛ください。トナカイさんにとって彩り豊かな秋になったら、私も嬉しいです。

P.S. 展示から帰った後、自分やお財布と相談したのですが…やっぱり額装つきの『悲しみの体積』を購入したいです。お手隙の際に、いろいろとご案内いただけますとうれしいです。P.S.じゃないやつですね、これは…。







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