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81歳と33歳。父と息子の旅。

いつの間にか本当に久しぶりになってしまったnote更新。

実は下書きは10本以上あるのだが、どうも言葉にすると陳腐なものになってしまい自分で全然納得がいかず下書きに眠る…という作業を繰り返していた。

4月から個人事業主になり、働き方も自由になっていった反面、色んなことが起こりすぎて気持ちと日常とのバランスがうまく取れていなかったように思う。

でもここに来てどうしても書きたいと思う出来事があったので、感覚が新しいうちにしっかりと自分の気持ちを書き残しておこうと思う。

5月の中頃、実家に帰省した。

目的は家族との時間を過ごすこと。特に父親との時間を過ごすことだった。

僕の父は今年で81歳。僕が今年で34歳なので47歳の時の子供だ。

母親は今年で65歳。父と母の歳の差は16歳。

僕の中での父のイメージは厳格だけど優しい。

話せば普通に話してくれるし、冗談もいっぱい言っていた。

だけど、一度逆鱗に触れると誰も父に口答えすることはできなかった。

優しいけど怖い。そんな父親像だった。

高校生の頃から僕は父親がいつの間にか苦手になっていた。

原因は色んなことがあったと思うが大人になってからも、特に深い話をするわけでもなく、お互いに牽制し合うような関係だった。

父は昔ながらの人で、1つのことを職人のようにずっと突き詰めていく人が好きだった。一方で僕はというと、大学も勝手に中退し、色んなところに引越したり仕事も4年くらいで変わっていった(犬関係はずっとやっていた)ので、そんな僕のことをとても心配していたと思う。

北海道へ行くという僕のことも、心配を通り越して呆れたように思っていたようで、そこまで深い話はしなかった。

「お前の人生だから、口出しはしない。でも、お前本当にそれで良いのか」

父はいつもそんなことを僕に言ってきた。

僕は僕で中々の頑固者で、一度決めたらテコでも動かない性格なので、父の助言はありがたいと思いながらも、適当に流していたのも事実だった。

でも、ずっと心のどこかに「父に認めてもらいたい」という気持ちが、どこかにあったのだと思う。

何かいいことがあれば、これで胸を張って父に報告できる、と内心思ってる自分もいた。

だけれど結局、北海道へ引っ越す時もさほど話もしないまま

「気をつけろよ。」

その一言くらいで僕は北海道へ引っ越した。

そんな父から、先日帰省する連絡をした際に「2人で旅行にでもいかないか」と言われた。

口にこそ出さなかったけれど、きっと僕と二人で話したいのだと思い、父と旅行に行くことに決めた。

行き先は日光、鬼怒川。

幼少期によく釣りに連れていってもらった場所だ。

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父は81歳。お互いに一緒に旅行に行ける機会なんてこの先あまりないのではないかと思っていたと思う。

旅行に出発した時はなんとなく当たり障りのない会話をしていて、どこか車内の空気も微妙な感じだった。

しかし日光に着き、自然の中を父と歩き始め、徐々に気持ちもほぐれていった。

僕がその時、驚いたのは父の歩く姿を見た時だった。

ゆっくりと階段を降りる父の後ろ姿は、僕が少年時代に見ていた父のそれとはまるでかけ離れた姿だった。

1段、1段ゆっくりと確かめるように階段を降りる父の後ろ姿を、僕はじっと見つめていた。


おじいちゃんになったんだな。

そして僕はそんなことも気づかなかったんだな。


いつも家に帰ってもすぐにどっかに行ってしまって、友達に会ってしまって。父とちゃんと話すことを避け続けてきて。

それでも父はいつも僕に

「またゆっくり話そう」

それだけ言ってくれていた。

僕が色んなところで日々を過ごしている間、父は確実に老いていっていた。

心こそまだまだ若いが、体は確実に老いていっていた。

そのことをこの歳まで気づけなかったなんて、本当に自分が情けなくなった。

老いは皆平等にやってくる。

そしてそれはすぐに目には見えない。日々少しずつ少しずつ変化していき、まとまった時間の流れを見た時に、人は初めて時間の経過を実感できる。

父の老いた後ろ姿を見た時、僕は思った。

今日は全てを話そうと。この時間を、父と過ごす2人の時間を大切に過ごそうと。

そう思って僕は父と一緒に色んなところを巡った。

と言っても徒歩で10分圏内を少し歩いただけ。

父の歩幅は小さく、少し歩いただけで疲れてしまうからだ。

それでも約15年の時間の隙間を埋めるにはそんなに時間はかからなかった。

綺麗な景色を見て、自然を見て、お互いの心も少しずつ解けていった。

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父がボソッと言った

「自然はやっぱり良いなぁ」

そういった父の顔を見て、僕の自然や動物好きは父から譲り受けたものだとハッと気付かされた。

思い返せば、父とはよく動物や自然の話をした。

動物番組があれば父の膝の上に乗り、一緒に番組をみた。

そんな記憶が、父の後ろを歩いていた時に思い返された。

夕方、旅館の部屋に着くと父はゆっくりと話し始めた。

「今日はお前とゆっくり話がしたかった。今まで、智大のことを理解しようとせずに頭ごなしに怒ってきてしまったことを最初に詫びなきゃいけないと思う。もう少し俺が若ければお前の言うことをもっとちゃんと聞いてあげられたのかもしれない。」

そう言って父は僕にゆっくりと色んな思いを話してくれた。

父の若い時の話、僕の小さかった頃の話、僕が20代の頃犬にハマっていた時に思っていた事、母のこと、家族のこと、そして僕のこと。。

時として、自分の気持ちを素直に面と向かって話すことは難しい。

特にそれが家族や近しい人であればあるほど、難しい時がある。

いつもはつい憎まれ口を叩いてしまう相手でも、それは元を辿ればお互いに愛があるからなのだと、その時僕は気付かされた。

僕はずっと父に愛されたかったのだ。

父はずっと僕のことを愛してくれていた。

そして僕もずっと父を愛していたのだった。

注がれていた無償の愛の大きさと有り難さに気付き、大の大人が号泣した。

「人並みで良いんだ。金持ちになんかならなくていい。ただ、人並みに生きていってほしい。3食きちんと食えれば、その日の夕日が綺麗だと思えたなら、お前はもう成功者だ。」

父の目にも大粒の涙が溢れていた。

僕もずっと父に対して思っていた事を話した。

当時どんなことを思い、どんな事を考えていたのか。時には父が疎ましく思っていたこと。そして今は父の言っていたことが少しずつわかってきたと言うこと。

父と離れていた心の距離が埋まっていった。

父は、戦後の生まれで日本の高度経済成長を支えてきた1人だ。

子供の頃は8人の兄弟がいたらしいが戦後、食べ物がなく6人は病気や飢えで死んでしまったらしい。

18歳で名古屋へ。そこで主に服のセールスで昼夜を問わず働いたそうだ。

今と時代が違うこともあったが、朝6時には出社。0時前に帰宅できる時なんて1年に数回しかなかったという。休みは月に1回。その休みの日ですら自分で出社してノルマをこなしていたらしい。

「とにかく皆、食うために一生懸命だった。仕事なんて何でもよかった。金さえあれば、家族がいれば、幸せだった。」

父は昔から家族をずっと大切にしてきた。

約束したことはどんな些細なことでも守ってくれた。

週末、遊んでくれると言ったら例え仕事が入っても、熱が出ても僕と遊んでくれていた。

40半ばから不動産の世界に入り、81歳になる今でも現役で仕事をしている。

2人の子を育て、鬱病になった母の看病、家事、仕事を全てこなし、それでも父は弱音ひとつ吐かず今日まで現役で仕事を続けている。

僕にとって、心から尊敬する父親だ。

「北海道はどうだ。仕事は順調か。」

「北海道はすごく良い環境だよ。ずっとこんな所で暮らしてみたかったんだ。人も本当に良い人たちばかりで、ここで暮らしていきたいって思ってる。」

「そうか。北海道に行ってよかったな。」

初めて父から、自分の進路を褒めてもらった。

「ありがとう。もう俺は大丈夫だよ。それより自分の体の心配をしてくれ。」

「どんなに年を取っても、親からすれば子はずっと子でな。今日はお前とこうして2人で旅行ができてよかった。神様に感謝しないといけないな。ありがたい。」

そう言って父はお酒を飲んで寝てしまった。

今回の旅行は、本当に大きな意味があったように思う。

北海道へ帰る日。

父が玄関まで見送りに来た。

「気をつけて帰れよ。」

「うん、これから1年に1回は必ず旅行に行こう。遅くなったけど、親孝行させてよ」

僕が父にそう伝えると父は満面の笑みを浮かべながら僕の肩を無言で叩いた。

目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

父と子。

親にとって子はいくつになっても子供なら、子供も親がいくつになっても親だ。

野田で生まれ、野田で育ち、父と母の愛情をたっぷりと受けて僕は育った。

これからも色んなことがあると思うけど、きっと大丈夫だと思う。

大好きな偉大な父親の息子なんだと思うだけで、僕はまた少し強くなれるような気がするんだ。

頼むから、長生きしてほしい。これから親孝行をさせて欲しい。

僕もいつの日か、家族を持ち、子を授かり、父と母のように、自分の家族と物語を紡いでいけるだろうか。そんなことを、帰りの飛行機の中で思った。

去る東京のネオンが眩しかった。眩しさの中に、少しの寂しさを残していた。

釧路空港に着く。ひんやりと冷たい北海道の空気が、僕の心に喝を入れてくれた。

今日からまたここでしっかりと生きていくんだ。頑張ろう。そう決意を新たに車を走らせた。

これからも、日々は続く。

1日1日、生きていることに感謝しながらしっかりと北海道で生きていきたい。

偉大な父親のように。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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