不確実の中にいること
2024年最初のnoteが3月になってしまうとは思わなかった。
去年は毎月1本のnoteを更新し続けてきていたのだけれど、今年に入ってから全く書いていなかった。
やる気がなくなったとかそういう類のものではなくて、僕の中で本当に書きたいと思う出来事がないとnoteは書けないと思ったからだった。
連続更新しているからという理由で更新をしたくなかった。
さて、北海道でも季節は進み日中の気温がプラスになってきて雪解けがどんどん進んでいる。
今年は移住して1番大きな吹雪に見舞われたけれど、積雪量としてはそれほど多くもなく、雪が少ない年となった。
3回目の冬を北海道で過ごしたわけだけれども、やはりこの土地に惹かれ続けている自分がいる。
移住したての頃、あれほど異国の地に思えた北海道の地が今はとても親しみをもって存在している。
この3年間、本当にたくさんのお仕事をさせて頂き、ありがたいことに仕事の量は年々増えて、SNSでのフォロワーさんも少しずつ増えていった。
僕の冬の間の楽しみといえば、スノーシューを履いて森を歩くことだ。
熊の心配がない冬期間は、かなり大胆に森の奥まで入っていけるのでとても気に入っている。
ある時は犬たちと、ある時は自分一人で歩きに行った。
最近はかなり森歩きを積極的にしている。
とある野生動物の撮影の仕事をいただいたということもあるのだけれど、それ以上にやはり自分の周りの自然がどう巡っていくのかをこの目で確かめていく必要があると感じたからだ。
そんな中である気づきがあった。
それは「不確実の中にいること」の大切さだった。
僕はいつも、森歩きをする時には目的を決めない。
〇〇を撮るぞとか、〇〇まで行くぞとか、〇〇時までいるぞとかそうしたことを決めずに森を歩いている。
すると当然ながら、次に何が起こるかは全くわからない。
目的地があるわけでもない、どんな動物に出会えるのか、道という道がない中で自分でルートを決めて歩いていく。
何か動物の痕跡があればそれを辿ったり、無ければ直感に従って歩いていく。
その不確実さの中に身を置くことが、とても大切な感覚だと思ったのだった。
現代において、どれだけ不確実の中に身を置くことがあるだろうか。
出かける時でさえも、目的地の情報を調べ、どんなものを食べて、どんな風景が広がっているのかまで一通りわかった状態でそこへ行く。
仕事の日でも今日自分が何時にどこにいて、何時に戻ってきてというある程度の予測と情報を得た中で僕たちは日々を生きている。
そんな中、自然の森の中を目的を持たずに歩くことは現代で許された最高の娯楽なんじゃないかと思うようになった。
これは、旅をするときの感覚と非常に似ていて僕は普段旅をする時にはほとんど予定を決めずにその時感じたものや直感に従って行動していた。
今日自分がどこに泊まるかもわからない、明日どこにいるのかも明日にならないとわからない。
どんな人に出会い、どんな風景が見られるのかわからない。
そんな不確実さの中にいることが、旅ではとても面白かったのだ。
計画にゴールがあると、そのゴールまでの道のりは全てが過程として事前にわかってしまうのだけれど、計画がない状態の時は今がゴールなのか過程なのかはゴールしてからじゃないとわからない。
それはそのまま、今を生きることになるのだと思う。
ゴールがわかっていると、ゴールまで後○○という逆算的な思考になってしまう。
未来を考えている時点で、今を生きていることにはならない。
それだけではなく、目的を決めない行動は全てにおいて受け身の姿勢になれる。
森歩きでもいつどんな動物に出会うかわからない。
いくら冬とはいえ、最悪熊に出くわすことも0%ではない。
そうやっていつ何が起こるのかわからないという状況は、自分の感情をとても謙虚にしてくれると思う。
旅でも自然相手でも、日常生活でもこの受け身の姿勢、受け取る姿勢というのはとても大切な感覚のような気がするのだ。
大きな流れに委ね、その時起きた出来事を受け取るように楽しんでいく。
その姿勢こそ、今僕たちが最も必要なことなんじゃないかと思えてくる。
有名になりたい、何かの賞を取りたい、経済的に豊かになりたい、何かを掴みたい。
犬業界や写真業界であっても、そのような願望を抱えている人は多い。
その全てを否定はしないし、僕自身もそうした気持ちがないわけではない。
けれども、そうした取りに行く思考より、自分の力の及ばない大きな流れの中に身を委ねて、受け取るような気持ちで過ごしていたいと思うのだ。
きっと人生もその方が面白い。
森の中を一人で歩いていると、そんな気持ちになってくる。
そんなふうに過ごせたら、きっとここの自然も掴みに行く時とは違った自然を、少しずつ僕に見せてくれるのではないかと思っている。
動物たちに会えなくてもいい。決定的瞬間が撮れなくてもいい。
ただこの地で暮らす動物たちと同じフィールドを歩き、彼らの息吹を感じて、想像を膨らませることができるだけで、十分豊かな気持ちになれる。
そしてそうした過程を踏むことそのものに、写真を残すこと以上に生きていく上で大切なことが詰まっている気がするのだ。
いつも出会いに驚き、出会いに感謝し、今できることを行い、目の前で起こったことを謙虚に受け止めて生きていきたい。
それは森歩きも旅も人生も、同じだと思うのです。
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