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自由作文「湖」

私は年に何回か、病みの湖という湖に浸かりに行く。

私が、その湖を発見したのは、学生の時だった。
自然と私も湖もお互いに興味を持ってしまった。私は湖に呼ばれてしまった。最初に浸かった時は、浸かっていることが、悪いこととも思わず、むしろ良いことだと思っていた。ただ浸かっている時、知らぬ間に、湖の底に生えている草に足を取られていたようで、私が何かにチャレンジしようと空に手を延ばすと、その草がきつく私の足に絡みついて、私を下の方へ引っぱり、何回も湖の底に沈めようとするのであった。お陰で、私は、当時、これといって成し遂げたり、何かを掴めたりする感覚が一切起こらなかった。
今現在、浸かったままという状態ではなく、湖から出てこられるようになった。草は足に巻き付いてこないようになった。しかし私は未だ湖に、年に何回かは浸かりに行く。学生の時に患っていた病気が落ち着いたため、湖の性質は少し異なっているふうにも見える。

湖から出ると、元気になり、走り出す。
服が乾いてくる。
しかし、服は乾ききることはなく、少し湿っている位になったところで、私は転ぶ。そうすると私は立ち上がり、再び、湖に浸かりに行く。
湖に浸かっている間、いつも私は泣いている。でも、そんな時、空から手が出てくる。その手は、私の心の温度に合った音楽たちである。その手を掴む。その手はほんのり温かい。まるで、夜、トイレから自分の体温で温めたベッドの中に戻った時に感じる、温もりのようである。その音楽たちと手を繋ぎながら、私は、少し湖の浅いところへ進むことができる。

ちょっと元気になると、それまでのフェーズでお世話になった音楽たちとは別れを告げて、新たに出てきた少し元気な音楽の手を頼りに、より浅瀬まで向かう。
こんな感じだ。
余裕のない時は、後何回湖に浸かれば死ぬことができるのかと、余裕のある時は死ぬまでに後何回湖に出かけられるのかと考えている。

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