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自己完結恋愛型。

自己完結恋愛型。な、私の、2020年は。。。

2017年辺りから拗らせた、幼稚な恋愛を閉じることで、移り変わりを迎えました。



そのお相手は、本当に不思議な縁の方でした。

私と似ていないようで、実は、よく似た箇所を持っていて。

真面目で不器用で、酷く繊細で、いつも周りに人を従えながら、実は孤独を抱えた方でした。

私はね、彼さえ気付いていない、彼の姿を知っています。

理解の深すぎる私。

日常には必要とされないベクトルまで考え悩んで、思いを拗らせては、いつも、未熟な恋を閉ざしてきました。

彼との場合、果ては耳鳴りや身体の不調を感じるまでになっていて。。。

無理を重ねてきました。

彼は、終始無言で、乾いた心だけを私に見せつけていました。(否、彼の心が乾いていること、私だけが、気付いていた。)

基本、誰にでもお節介を焼きたがる私は、そんな彼の姿が痛々しくて、放っておけなかったの。

自分がどれだけ痛みを抱え、負債を膨らましても。

私は彼を救いたいと、胸を焦がしていた。



諦めました。。。



もぅ、いいやと思えたのは、他の人にこの矛先を動かされたからです。

その人は、

〝私自身の運命の為にも、そろそろ、他所を向けよ。と、遣わされた。〞

ただ、それだけの意味の人だと理解するよ。

某占い師さんの言葉通り、ドキンちゃんにとっての、ショクパンマン様くらい、完璧だった彼(笑)。

惨い恋を何年も、その足元に引き摺ってきた私には、とても、簡単には、駆け寄れない恋だった。



私はこれも拗らせて、遠ざかってしまったこの縁を悲しんで、一時期心潰れていた私の、空気を入れ換えてくれた人。そんな、靴屋の小人みたいな妖精さんにも出会えたけど。

どちらも〝恋と呼ぶには早熟〞な。実際、両者〝人間愛〞に溢れた、敬愛だった。

自己完結恋愛型な私は、いつも、石橋を叩き壊して、道を途絶えさせてしまいますが。

この二つの敬愛だけは、少しだけマシな心の温度を残しています。

今、思い出としてだけ残る、これらの影は、既にどこにも無いけれど。

痛烈だった、あの数年間を思えば、

随分、私も、成長したものです、成長させられたのです。この、二人に。

最悪だったと思う。正直、例の彼は。私にとって、害悪でしかない。意味がない、甲斐もない、どうしようもない。屑だと思う。

その彼に感化されて、足元をすくわれた、私も、最高に屑だったと思う。

似た者同士。



自己完結恋愛型の私は、今年も、誰とも愛を交わしませんでした。。。でも、

だけど。

手離してもいいはずの愛憎をやっと、やっとで、手離しました。。。

辛かった。苦しかった。手厳しかった。彼との学びは、過去のものとして、ここに封じ込めます。

来年まで持ち越さない。

持ち越す情など、もはや、どこにも残って居ないけれど。

彼のために新たに蒔いた二つの種は、希望の光を放って、記憶に残りました。

これでいい。

ここで十分。

このままでいい。

それ以上に、とは願わないの。

もぅ、私も。疲れたから。これでいいの。



願わくば。。。最初の彼の心に、綺麗な影を落としたいと始めた恋愛ごっこ。

ここで終わりにするよ。

彼の心は、土足で上がり込んだ私の泥で、ドロドロだけど。

反対に、暴れられ、グチャグチャに踏み荒らされた私の心を憐れむのなら、少しは可哀想だと、私が思えるのなら。

彼への反省という執念を手離して。

他の人等が教えてくれた新たな学びという希望の灯を灯して、

道を照らすよ。

私の明かりを温かいと、そう、感じてくれる人が、どこかに居るのなら。

全てじゃなくていい。

もぅ、完璧じゃなくていい。

もぅ、どうだっていい。

誰のことも。



自己完結恋愛型の私は、これまでの全ての出会いを記憶に綴じようとして、今日を迎えます。

凄まじい、一年だった。

まるで一日が、何日にも、それこそ一年にも、思えるくらい、濃密でした。

お疲れ、私。よく頑張った。少し休みなさい。



もう少し、器用に、分別よく、程度好く、恋を楽しめるようだとよかったのにね。

既存の必然はどこにもない。

あるのは、理由を伴った必然だけだ。



今はその理由の素材を上手く扱えないから、壊してしまうから、これ以上、無茶をして、誰も、悩ませたくないから、終わりにするね。〝それでいい〞。

そうしか選べなかった私。

物分かりが早すぎて。見切りが、他の人の、半分手前で付いてしまう。

それが〝どこか惜しい〞ような気もするけれど、

今年はもぅ、今日でもぅ、2020年には、さようならをしなくちゃならない、だからそぅ。

残したくないものは終わりにするね。



さようなら。大好きだった幸せな時間。ありがとう。



これから私は自分自身に許可を出す。

けして、他人をこのように扱き下ろさないものだと決め付けて、固く閉じた心の錠を。ここに下ろして仕舞い込む。

仕舞うのは、本心を仕舞おうとする方の理性という鍵だ。

私はもっと自由になる。



明日からの私は、もう少し、〝マシな行動力〞を取れるような気もする、、、ような。〝そうしたいだけ〞のような、、、


親愛なる、、、敬愛なる、、、情けばかりの、あなた、あなた、あなた方の、大切な方々の幸せもまた、願っています。

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