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持論。〝思想学者〞振る。

持論。アインシュタインは、〝思想学者〞等である。

彼は、独自の宗教観を持ち、

精神病も患ったと聞く。

だからこそ、彼の思想は誰より広く、知識豊かでもあった彼は、人類の、誰よりも、賢かったのだ。


現代では、彼の発見した一部法則が、誤りであったと提唱されているが、実はそうではない。これが、私がこれから語り始める、持論。この世の真実と、現代人の姿について、思い馳せていこう。


ここで一番言いたいのはこれである、

〝現代人の浅はかさ。〞現代人は、その認識を間違えている(視界を狭くしてしまっている)。。。かもしれない。

統合失調症という、非常に数奇な、宗教的空間を病的に漂った、と、認識する、この私が改めて、熱弁を振るう。

〝統合失調症寛解徒然日記〞。。。学力底辺の雑談マガジン(笑)。


結論から入ろう。

現代、その学識は、とても先進的で、飛躍的に前進したと言える。

一方で、アインシュタインが唱えた理論が否定されているが。

これは少し違う。

アインシュタインの視野は、世界のそれほどに広く、ほとんど全てを網羅していた。

だからこそ、

視野を狭くしてしまった、狭くしかなれない現代人達の、理論と矛盾が生じるのだ。

これは否。あらゆる条件を兼ね備えたアインシュタインの学説は。ある次元において。立場において、正しいと言える。

私は、アインシュタインの学説を無闇に否定するものではない、と思うのだ。

勿論、彼も昔の人だ。その世界の常識から考えれば。その世界の到達点から考えれば。

彼がニュートンを尊敬し、異論を唱えたように。

アインシュタインも、畏怖されながら、反論されることもあるだろう。

だけど、これは、彼が全くの過ちであったと意味しない。

彼が生きた時代であって、それこそ、神の黙示録並みに偉大であったし。完璧であった。

その時点で、彼は、過ちとは言えない。

そして尚且つ、現代の学識も併せ持っての、正しく拾い上げられ、整理され、並べられるべき、正しい学術だと言いたいのだ。

尚時代が進み、もし彼が、この世に転生していたら、どうであったろう?

アインシュタインを否定しながら、彼を敬う、

唯一無二の学者になれたに違いない。

それくらい、彼には叡智があったのだと、私は言いたい。

だってそれは、今を生きる人間として。正しい生き方を選ぶために。


そもそも、私のこの記事は、全く学術的な要素はなく、思想的である。

いつだったか、YouTubeで流し見た学術動画の異質さにおののき、それからずっと、批判をしたくてウズウズしていたのだけれど。

間違っていたのだ。私が。

興味本位で覗いた動画を正しく理解せずに認識していただけだ。

今の学術がどのようであるのかわからないが。

もし、安易にアインシュタインに異を唱えるものなら、私は警告したい。

現代人は、その視野が、アインシュタインほどに、広くはないのだ。

何ならば、アインシュタイン以降、その視野は、生きる人間たった一人分の(素晴らしい)狭さしかなかったと言える。

ある意味、アインシュタインはクレイジーで、常識を逸脱していた存在なのだけど。

その、広いキャンパスの実物大も理解出来ない。

それが、今の人間の学識なのだと、私は、独自の思考案をここに一つ挙げてみる。

今の人は、アインシュタインの描いた広いキャンパスの、その画に描かれた花園の、一つ一つの花、花びらを見つめて、一喜一憂している。

それだけだ。

その視点は細かく、とても繊細ではあるけれど。

とても世界を見通すことは出来ないんだ。

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