【エゴイストな神様~日常に潜む宗教観~】

12/09、帰宅すると、母がふてくされて、居間で毛布を被って転た寝していました。

訳を聞くとこうでした。


知り合いの軽食に呼ばれて出掛けた、その他人様のお家で、そのお家の方が信仰なさっている宗教の〝ある指摘〞をした。

本人(母)は〝事実を言った〞と話していたけれど。

実にくだらない。

〝施設の土地や建物の税金は、誰が納めているか?〞と、言ったのだそうです。

母は、〝家族に悪いことが起こる〞という話をされて、実にしょげて帰ってきました。

阿呆が。。。


私は、〝余所様が信仰している神様の悪口を言う方が、どうかしてるのだ〞と言いましたが。

母はすっかりむつくされて、ぼやぁっと眠り口に立っていました。


そんな母に私は重ねて言いました。

〝私とアインシュタインは、神を知っている。知っているのは、私とアインシュタインだけだ。〞

まさか(笑)、本当にそう思っている訳じゃない。

母の興味を引くために態と放り込んだ台詞です。

続けて私は、

こう話し出しました。

アインシュタインはドイツ人、ユダヤ人であるが。

ユダヤ教を信仰していた訳じゃない。

彼は独自の宗教観を持っていた。


そもそも、ユダヤ教がどんな教えか知っているか。

ユダヤ人こそ、選ばれた民。世界の滅亡が来ても、神の啓示で救われる。

そんな教えだ。

他の宗教はどうか。

キリスト教、エホバ教、数多ある宗教の教えは〝この教えを信仰したものだけが救われる〞と、言っている。

実にエゴイズムだ。何故か。

宗教が、〝人が作り出したもの〞であるからだ。

人はエゴの塊だ。

〝死〞を恐れ、果てに作り上げたのが、神様や魂や宗教だ。

宗教は、人が作り出した物語であり、フィクションだ。

実は、アインシュタインも、これと似たようなことを話していた。

彼は、神話を否定し、どの宗教も信仰しなかった。

ただ、

〝世界を創りしもの〞、その法則や自然界、その在り方を崇拝した。否、敬意を払っていた。

それこそが〝神の在り方〞だとしたのだ。


私もそう思う。

数多ある宗教の極々限られた一部しか知らぬ。

だが、生きて人が神に触れられぬこと。

それを実体験からよく理解している私は、

宗教が捏造された歴史書のようなものだと感じるのだ。また、その縛りから、約束事を作り上げようとする。

嘯かれた思想や理念。

私は、どの宗教も信じない。人に必要なのは、エゴイズムな宗教などではない。

そんな雑多な世界を一纏めに包みあげるもの。

それが〝世界〞であり。

それこそ究極で、最高峰の天辺である。

私はこれを〝神〞とする。

人には、自分達人間が、全て等しく平等であり、この〝神〞と呼ぶに相応しい、一つの世界に収まっているのだ、という認識こそ必要である。

人が、この〝世界の姿〞を正しく視界に入れられる日が来るのかどうか、私にはわからない。

わからないが、私はこの存在を否定することが出来ない。

神様の存在は、感じられないだけで、そのイメージは、消えてなくならない。

打ち消す理由が、決め手がない。

私は神様を否定しない

だって私にとって、世界こそ〝神様〞だから。

そして、世界は、いつもここに、あるのだから。

仮想現実、なんじゃらほいじゃ。

例えこの世界がイメージの中でも、人は、生きてしまっているじゃないか。イメージという実体があるじゃないか。


こんな話をされた母は。。。

〝脳細胞が生き返った(すっかり眠気が覚めた)〞と話していたけれど(笑)。

今朝起きたら、

〝宗教はエゴだと言って、喧嘩を吹っ掛けてくるか〞と笑っている。

やめてくれ。。。

世界の元に、人は争わず、一つになれるのだ、という構想をエゴに使わないで欲しい。

誰の上に立ちたい訳でもないし。

立てるとも思わない。

人は人。

全て等しく、それは人間、生命なのだ。

母が、周囲の人と楽しく過ごしてくれますように。。。☆ミ

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