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子供の頃によく見た夢の話。

子供の頃によく見た夢の話。熱が出た日。


とかく私は、眠りが深い。

疲れ果てて帰宅し、少し休憩。。。の、つもりが、ものの数分で明け方まで寝入る(気絶している?)ことが、頻繁にあるくらい、寝付き?がいい。

夢はほとんど見ない。


思えば、子供時代から私はこうで、頻繁に夢を見る方ではなかった。


けれど必ず。。。

〝熱を出した日に見る夢〞があった。

だから私は、熱を出すのが恐ろしく、嫌いだった。

〝嗚呼、また、あの夢を見てしまう。。。〞


それは、きっと、地球でいう夜の闇。

濃紺に染まった視界に、そそり立つ大きな大きな柱。何かの建物だろうか。

熱に浮かされて見るその建物の遠近感は、酷くぐるぐると忙しげで目が回りそうだった。

そこで私は、えも言われぬ〝孤独〞と〝虚無〞を味わうんだ。

それは、恐怖するほどの寂しさと、気が滅入るくらいの絶望がそこにはあって。

なんで、学校にも上がらないほど年端もいかぬ、幼子の私が、そのような感情を夢に抱いたのか合点がいかない。

そのときの私は、どこでそんな、深い悲しみと悩ましい痛みを知ったのだろう?


今は時々こんなことを思う。

夕食後の微睡み刻、最大ボリュームの固定電話が暫く鳴っても、転た寝から蘇らない母の姿を見ていると。思い出す。

〝あなたは、夜泣きしない赤ちゃんだったわ。〞

ほんとかよ。。。

ちょっと疑ってしまう(笑)。

母は赤子の私に、人生を歪ませるだけの破壊を与えたのじゃないかって。


解明は出来ない。

するつもりもない。

単なるお茶請け話だ。

母も私も、寝付きがいいってだけの、ね。


ただ、今ふっと思い出したんだ。

アナ雪のエルサ姉のお城のように、冷たい色をした殺風景のその城の中を。

私は30年以上前に、熱に浮かされながら必ず夢に見ていたことをね。

ただの、〝赤子が見る、ぼろアパートの景色〞だったのか。

〝いつかの時代の記憶〞だったか。

考えたらワクワクしてしまったので、投下。


人生の終わり。。。その後、に、日頃否定的な自然派リアリズム(。。。消滅派)の私だけど。

〝その後のストーリー(後日談。続き。)〞は、あってもいいな、と。願望(願う余地)だけは残している私の、不思議話。

何故に、私は、その当時まだ教えられない孤独と虚無を胸に蓄積していたのでしょうか?

答え)夜泣きしない赤ちゃん?

これは態と秘密に付して、夢物語にするのも、悪くないですね。


人生に、その後のストーリーが用意されていたら?

まさにそれが、今の一生であるとしたら?

よもやここが、始まりであるとしたら?

あなたはこの一生で、何を成し得たいですか?


〝皆様の夢が、叶いますように☆彡〞

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