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【解釈*アインシュタインの宗教観編~仮想現実はゲームじゃない~】

何だ。。。私、すっかりわかってなかったじゃん。って感じの、【アインシュタインの真似事~宗教観編~】から続く、拙い文章を改めて、まとめていきます。

学術的な話はできないので、悪しからず。

尚、今回、アインシュタインの話は含みません。彼が、〝世界(を作っている法則)こそ神〞とした宗教観念に、近いものを感じるが故、タイトルに拝借しただけ。


平素、【仮想現実】という言葉につきまとうように、セットで登場していた言葉、それが、【ゲームの世界】。

〝何者かによって、シミュレーションしているだけの、人間の一生〞。

この〝何者か〞に、私は反発を感じた。

〝世界が、人間のような未熟な存在などにつくれるものか〞と。

その説の体系も読み込まずに、

タイトルだけをさらって、理解していた風で、毛嫌いしていた。


もしも。。。

宇宙という存在が【仮想現実】というシステムを動かしているというならば。

私はそれは、あるかもしれないと思う。

だって、神だから。きっと。

人にけして、越えられない壁。触れられない世界。理解しようのない存在。


仮に人が神の仕事を任されたら。

一瞬で、宇宙こそ消えてしまえる。

ものの例えですけど。

それくらい、人は常識のない存在だと思うから。

神のような完璧なシステムは、とても扱えない。

それこそ、悪役に渡ったガンダムのように、世界を狂気に陥れるでしょう。

残念ながら人は、正義のヒーローにはなれっこない。

どんなに熱望しても、人はエゴという、誠身勝手な性質を持つ。


人類の世界は滅亡。終局は無。とか言われても、〝そりゃそうだな〞って感じで。

それだけ人は〝ちっぽけな存在〞だと思うのです。

人は、文明を欲望のままに発展させた。

それをカバーし得る、理性や道徳心。モラルを掃き捨てて、ただひたすら、がむしゃらに進んだ。

これを更に進ませるのが、理念であると。また、よく知らない雑学の言葉を使ってみる。理念。。。筋だった道筋は、人の中にありとあらゆる形で存在する。その全てを取りまとめる理想の形。

それが私が、人に必要だと思うこと。

人は本能のままに、生を貪り過ぎた。その世の中の理も見つめずに、ただただ貪欲に。

ごみで溢れ返っている世界。

それが答えだ。

凄く単純に。人は、不要なものを作り出す。

滅亡でしょう。

宇宙の存在は微塵も困らない。

人が持つ〝エゴ〞と呼ばれるものが、

世界をどのように導くか。

そして、終わらせるのか。

それを知りたいだけ。

かもしれない、じゃない。

もし、その宇宙が、この世界に、〝エゴに対抗する何か〞を与えてくれたなら。

そこから、この世界は変わるのでしょう。

でも、人はそれに気付けるか。扱えるのか。それはわからない。

辛うじて、欲望の文明は発達したけれど。。。


この文章で何がしたかったか。

〝嘘〞や〝間違い〞は言えないので、これまでの記事の間違い探し、且つ、補足訂正です。


〝神〞に匹敵する存在はあると思う。

〝人〞はそれとは、全く異質な存在であり、〝仮想現実をも生かされる未熟な存在〞であると思う。

ならば、の、抵抗。

それも、ある。


この反抗心が、より、力のある存在によって活かされることさえ願う。

私も、この世界に、幸せに生きていたいの。


案外、こういうことを言う人こそ、本当に小さな存在だ。

普段何もできないから、何者かになったつもりで話してみるのだ。

信じてみたい。

自分にも価値があるのだと。


そしてまた、私も人であるからが故、

この世界を終わらせたくないのだ。

神への反抗。。。

まさか(笑)。

お願いしてみる。お願いしてみたい。

人の存在を消さないで、と。

チャンスをください。


よもや、神に成り代わろうとするのが人ならば、それは必ず、消されてしまうでしょう。

世の理とは。一であり全でもある、その世界を終わらせないこと。滅ぼさないこと。ごみで一杯にしないこと。

この理想の全て逆を拓けたのが、きっと人の、今のこの文明だ。

だからこそ、私は、人として声を上げる。

この、今の文明に成り代わる文明こそ、拓きたいのだと。


~追記~

【仮想現実】の記事を読んでいると、人が本当に賢しくない生き物であると実感します。

あるときは、本当に残酷です。〝無知〞だから故。まるで子供です。

そのモノの本質も知らず、それを動かす力だけを手にしてしまった。例えば、〝コンピュータの前に座らされた猿〞。動物と何の違いがあるでしょうか。

人は、今ここで、〝世の理とは何か〞を考えなくてはならないと思うのです。

宗教の話ではない。例えば、〝真理〞という新しい学問。人が触れてこなかったカテゴリー。開けられなかった、〝真実の小箱〞。

歪な私は、世の中こそ、恐ろしく歪だと思うのです。

もし、そんな地球にふさわしい神話を考えるなら。

もし、ここで一つ、神話の仮説を立てるなら。

それはこうでしょう。


その昔、神に成り代わろうとした愚か者が居ました。

その者は、仮初めに地球という星を与えられ、人間として生きることになりました。

神は裁くつもりだった。

自らの神の手を汚すことなく。

その不届き者から発生した人の世、地球が、いつか滅ぶと見込んだから。

人は何も教えられずに、ただただ惑い、懸命に生きている。

少しずつ、その不届き者が。。。そこを源として生まれた私達生命が、消滅しているかもしれないのに。

罪を償って、再び神の元に頭を垂れるのか、完全なる消滅か。

それは誠、神のみぞ知る。

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