海辺の母娘

母というものは切ない存在らしい

TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」の2月19日放送の「相談は踊る」コーナーを聴いていて、私の母もこんな番組に出会っていたら、もう少し良い晩年を過ごせたかもしれない、と思った。それは、大人になった娘が二回りも年上の男性とつきあっていて、それに干渉してはならないと思いつつも心配せずにはいられない心情がつづられた手紙をとりあげていた。アシスタントの小倉優子アナウンサーも涙を流しながら、母親の切ない思いを受け留めている様子だった。

「百点満点の良妻賢母」をめざした私の母は、すべてが順風満帆に進んでいるかのように見えたのに、50代の後半で娘(=私)が自分の予定したレールをはずれ、自慢の息子が重い病にかかり、いきなり人生の落第点をくらったかのように落ち込んで、「私の人生は何だったの」「死んだ方がまし」を繰り返し、アルツハイマー性痴ほう症になってしまった。自身の母だけでなく、「私はすべてを家族にささげてきたのに」と言う年配女性に何人も出会った。

私自身は、親の敷いたレールをはずれて正解だったと思っていて、「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」との格言は信頼に足りないと考えている。娘と母親の関係は時として確執めいた状況に陥る。

子供がいないので実感はないが、子育てに大変なエネルギーを費やして子供が巣立っていった母親たちのその後の思いは生半ではないものがあるのだろう。それを掬い上げて昇華・浄化する文化的な装置が現代社会には欠けているのかもしれない。

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