目白村だより29(アンリ・サルヴァドール)
今年の6月に、広大なペールラシェーズ墓地で、バルビゾン派の画家の墓を探した。炎天下、血圧あがりまくりの強行軍で、今でも、あの時の、フラフラ感がよみがえる。いい加減にしろ、といいたくなる判りにくい地図を、片手に握りしめながら、パラソルをさして3時間歩いた地獄のトラウマである。
その時、迷路のような道で、おおきな目安になったのが、ピアフとアンリの墓であった。観光客が、いつもたまっているその墓は、広い道で平坦だから、直ぐわかる。ピアフの墓の前、道路側にアンリ・サルヴァドールの墓がある。だから、この二つの墓は、セットのようだ。
10年位前、初めて見たときも思ったが、この特別な有名人ばかり世界一等墓地、中でも、最良の場所を、クリオールのアンリが占めていることが、感慨深かった。アンリは、長年、そのヒット曲の莫大な収益で、ヴァンドーム広場に住んでいた。リッツホテルの在る側である。多分パリでもほとんどトップクラスの地価であろう。
彼は、1917年、南米のフランス海外県ギアナの首都カイエンヌで生まれ、8歳(12歳という説もあり)で、フランスに移住。(父は収税史)
パリに住んだ事が、やはりポイントだが、貧しい少年時代、靴磨から街頭の物売りまでやりながら、ギターの腕を磨いた。
フランスは、実は、大変なヒエラルキー社会で差別の国である。肌の黒い彼が、いくらフランス語が、出来たからといっても、どれだけ苦労した事か…。実際、比較的差別のないショウビズの世界でも、長い間、本格的歌手というより色物の歌手扱いであった。
ジャズに触れ、ジヤンゴに憧れ、兵役後にデビュー。様々な、有名ジャズメンとの共演、沢山のアルバムを、残したが、晩年80歳を越えてから、バンジャマン・ビオレやアール・メンゴ等若手人気者のプロデュースで、アルバム(サルヴァドールからの手紙)を発売。これがフランスで50万枚以上、世界で200万枚以上という大ヒット。彼の数多いアルバムの中でも、最良の出来である。
アンリと会ったのは、友人が、彼を日本に、招聘した時(亡くなる前年)である。ステージは、好々爺そのもの。枯淡、といっても動けば粋、それは素晴らしい至芸であった。奥さんも、ふっくらした、優しさが、にじみ出ている方だった。忘れられないのは、楽屋で見せていた、彼の笑顔!まわりの誰もが、一緒に仕事する歓びで、皆なニコニコしている。幾つもの山を越えた大スターの、立ち居振る舞いの、なんと謙虚だった事か。私は、彼のこの、まわりを巻き込む程の人間性に、とても感動した。80を越えて、アーティスト人生最高のアルバムが出せたアンリ。その事だけでも、凄いことだが、彼は、アントニオ・カルロスジョビン、カエターノ・ヴェローゾ…南米のアーティストだけではなく、文字通り世界中に大きな影響を、現在も与え続けている。 (レヴェランス)彼の最後のアルバムの、日本語タイトルが、私は好きだ。(音楽よ、あがとう!)という題である。
※ 12月21日(木)青山ZIMAGINE。アンリ・サルヴァドール特集します。
●●●TOMUYA'S NIGHT●●●日時:12月21日木曜日 19時開場 19時半開演場所:live space ZIMAGINE 東京都港区南青山6-2-13 ファイン青山B1 03-6679-5833 http://zimagine.genonsha.co.jp/チケット販売https://tomuya-231221-nfb.peatix.com/view
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