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ありがとうホセ・バティスタ

*この記事は原語表記にこだわる必要のあるようなメジャーリーグの高尚な記事でもないので基本的にカタカナにて記述します。

*ヘッダーはこのツイートから


2023年8月12日:栄光の終わり

2023年8月11日(日本時間)、ブルージェイズ公式からホセ・バティスタ選手と1日契約を結び、ブルージェイズの一員として引退することがアナウンスされました。

わたしはこのリリース、そして後日盛大に祝われた彼の引退を見て涙しました。いくら近年ほとんど音沙汰がなく、事実上の引退という現実を理解していたつもりでも、引退が確定することで実際にピリオドが付けられることがこんなに寂しいことになるとは。

しかしそのキャリアに終止符が打たれただけではありません。
(比較的)永久欠番に認定される基準が厳しいブルージェイズにおいて、実質的に得ることのできる最高の名誉を手にしたということが明確になったと思います。

ブルージェイズは永久欠番に求められる基準が高い球団の一つです。
半世紀近い歴史を持つチームですが、記事執筆時点で永久欠番に指定されたことのある選手は以下の3名のみです。

・12 ロベルト・アロマー選手
巧打と堅守を兼ね備えた1990年代を代表する二塁手。球団初にして現状最後となる92,93年のワールドシリーズ連覇に主力として大きく貢献したことで知られています。
2011年に(記事執筆時点で唯一となる)ブルージェイズの選手としてのアメリカ野球殿堂入りを果たし、野球選手として最高の栄誉を手にしました。


しかし2021年に過去の出来事に関する処分を受けメジャーリーグ機構から解雇され、事実上の追放状態に。
ブルージェイズ球団もそのタイミングで彼との縁を切りました。
2023年シーズン中に加入したジョーダン・ヒックス選手が背番号12を移籍前より継続して着用しております。
球団の選手として初であった永久欠番「12」は廃止され普通の背番号として扱われているようです。

・32 ロイ・ハラディ投手
2000年代〜2010年代前半の球界を代表するイニングイーターにしてハードワーカー。

ブルージェイズが育成した最高の投手と名高い人物であり、所属中は強豪ひしめくア・リーグ東地区において一線級の活躍を続けました。
長いトンネルに入っていたブルージェイズではポストシーズンに出ることなく移籍しましたが、フィリーズ初年度となる2010年の完全試合、そして念願のポストシーズン初登板でのノーヒッターを成し遂げた大投手としても有名です。

ブルージェイズの一員として引退した後、殿堂入りしたタイミングでの永久欠番入りが噂されていました。
しかし殿堂入りの被選挙権(最後の公式戦に出場した後5年の経過が必要)を得る前の2017年オフ、趣味であった小型飛行機を操縦中に事故死。享年は40歳とあまりにも早い旅立ちでした。
彼の死を悼んだ球団は翌2018年の開幕をもって彼の永久欠番を決定。

2019年には有資格1年目にして殿堂入りを果たしました。遺族の意向もあり所属球団は選択しませんでしたが、本人が存命であればブルージェイズを選択したことでしょう。
*殿堂入りを果たした選手は、どの球団の選手として殿堂入りするかを選択する権利があります。

・42 ジャッキー・ロビンソン選手*
ブルージェイズに所属していない選手です(そもそも現役時代に球団がまだ存在してない)。
黒人初のメジャーリーガーという栄誉を讃え、全30球団で彼の背番号は永久欠番となっています。

詳しくは映画「42」を見てください


私はリアルタイムでバティスタ選手の全盛期を見ることはついぞ叶うことがなく、そのことが心残りになっている部分もありましたが、その気持ちが少し晴れたのかなと。
そして自分では比較的ドライに見てたつもりの野球に関する出来事で泣く日が来ることになるとはあの時は夢にも思わなかったです。この選手に一目惚れしてよかった。

そして2023年8月12日(トロント現地時間)、トロントにあるロジャース・センターにてセレモニーが盛大に開かれました。

そのセレモニーは「ホセ・バティスタ選手の準永久欠番(*正式には"Level of Excellence"邦訳の通りの立ち位置)を祝う式典」とでもいうべきもの。

この式典をもって(プロ野球で例えるのであれば、コーチ就任前の中村紀洋選手のような)事実上の引退状態であったバティスタ選手は正式に引退となり、そのキャリアに終止符を打ちました。

この記事ではそんなバティスタ選手に見惚れて野球を再び見るようになった筆者が見た彼の偉大なキャリアを振り返る、思いのままを書き綴ったものです。

2015年10月15日:バット投げとの出会い

それは今なお忘れもしない2015年10月15日(日本時間)の事。
当時のわたしは九州在住のやる気のかけらもない受験生としてそこそこ受験勉強に励んでいました。
小学生時代は新聞のスポーツ欄を見て日々プロ野球の結果を追っていましたが、統一球や進学が重なり見ることもなくなっていき、自然と野球の情報からもフェードアウト。
プロ野球好きのクラスメイトがいたので、小耳に情報を挟むことがあったくらいでした。

そんなわたしが当時のメジャーリーグについて認知していたこと(*事実とは言ってない)は
・イチローがヤンキースから移籍してよく知らないチームにいる
・松井秀喜は引退済み
・マー君とダルビッシュがいる
・藤川球児や和田毅はアメリカに行ったけど手術であまり投げられていない
・イチローを追ってマリナーズに行ったはずの川崎宗則が移籍してよく知らないチームにいる
ということに加えて2006年発売の「実況パワフルメジャーリーグ」で得た知識くらい。データが古すぎて無知といっても過言ではない状況でした今も大して詳しくないけど

そんな状況で勉強の現実逃避にネットサーフィンをしていた時、「川崎所属のブルージェイズ、レンジャースに勝利!」という趣旨の記事を見つけたことが全ての始まりでした。
「川崎のチームが勝ったんだ~」くらいの気持ちで記事を読んだ私は人生を変えることになるこの画像を目にするのです。

出典はこちら

静止画でも一目でわかる大盛り上がりの観客と選手、そしてこの熱狂の中で悠然とバットを投げ飛ばしたこの男に一目惚れしたのです。
この画像から目を離せなくなった私はそのままyoutubeでどんな試合だったのかを検索しました。その時見た動画がこれです。

試合中のことあるごとに大盛り上がりの観客、一時同点となるエンカーナシオンの確信ホームラン、7回のあまりに劇的な展開…そして現ホークスのオスナの5アウトセーブ。
「こんなにメジャーリーグのポストシーズンは死闘を繰り広げているのか」と心を引き付けられ、現在に至るまで何度も見返す私の中の原点にして頂点の試合です。
この時の感動、そして次のALCS第1戦で投げるプライス投手のポストシーズン成績を見て「初戦からこんな酷い成績の投手が投げるなんて私はとんでもないチームに惚れてしまったのでは?」ととても不安になったことはこれからも忘れることは無いでしょう。

2015年のブルージェイズの最後となった試合のALCS第6戦でもバティスタ選手は2ホームランを放ち一人で接戦に持ち込んだことを知り、とんでもない選手を好きになったんだなと実感しました。
そしてロイヤルズがそのまま世界一に輝いたそのオフにバティスタ選手の成績を調べました。

ホセ・バティスタ(José Bautista)選手とは

*より正確な分析を見たい方は御覧の端末で検索したほうが詳細な特徴をつかめるでしょう。

新外国人候補として

往年からの阪神ファンとしては、2008-09オフにケビン・メンチ選手を獲得する際の補強の選択肢としてネルソン・クルーズ選手とともに選択肢に上がり結果的に選ばなかった2人が数年後にメジャーリーグで長距離砲として覚醒したことで認識している方もいるかもしれません。
こういうことがあるから過去の外国人調査の報道を見返すのもたまには楽しいです。

ソース探したときに思ったけどB・ジェイズって表記初めて見たな…

はたまたロッテファンの方にとってはその10年後となる2018-19オフに調査の報道が出た大物メジャーリーガーとして認識しているかもしれません。

メジャーリーガーとして

新外国人の候補として日本とも関わりがなくはない選手ですが、メジャーリーガーとしては2010年代前半の球界を代表する大打者であり、2010年代のブルージェイズを象徴する存在でした。
2010年に彼の才能が開花してからこのシーズンに至るまでの2010-15年シーズンの成績がこちらです。

Game 828(平均138/162試合)  Ave .268 HR227(平均38) RBI 582(平均97)
OPB .390 OPS .945 OPS+156 rWAR35.3(平均5.9)

各種数字はBaseball Referenceから

データ分析を介さない端的な特徴としては
・耐久性に優れる(期間中の最小出場が2012年の92試合)
・6年すべてでASに選出、SSを3度受賞、MVP10位以内に4度ランクインの安定性
・パワーヒッターだが最低限の打率は兼ね備えてる
・その打率のわりに選球眼に優れる
・学生時代には投手もしており、肩が強い外野手
・好戦的な性格で、他球団のファンからしたらトラブルメーカー気質
と当時の私は認識し、2015年も34歳にして40本塁打を放っていた実力からして頼れるベテランとしてまだまだ数年はレギュラーとしてやってくれるものだと思っていました。

しかし結果からいうと、私はオールスター選手として出場する彼をついぞ見ることはかなわず、たった2年でブルージェイズからも退団することになってしまいました

ブルージェイズファンとなって見るバティスタ選手

2016-17シーズン:最後の2年間

ブルージェイズファンとなってバティスタ選手の活躍を見るために、プロ野球の選手をフォローしているrom専だったTwitterで新しくメジャーリーグ関連の公式、およびファンの方をフォローするところから始めました。
が2015-16オフ当時は一応受験生の身ということもあり、積極的に情報を仕入れることはありませんでした。仕入れ方も分からなかったし。

少なくともあのポストシーズンのテンションで1年間見守ろうとすると身が持たないことだけは自覚していたので、シーズン当初はかる~く見守り、シーズン後半から熱を入れて観戦するようにしていました。
2016年はケガの影響もあり(当時の目線からすると)不調のシーズンではありましたが、それでもレギュラーとしてやれる程度の成績は残しており、来年になったら取り戻してくれるだろうと思っていました…

2016年シーズンの彼はシアトルでのこのホームランと四球を選んで2塁まで進んだことが記憶に残ってます。退場処分になったギボンズ監督が球場に乱入してきた乱闘?知りませんね

ポストシーズンではワイルドカードでのエンカーナシオン選手のサヨナラホームラン、ALDSでのドナルドソン選手の激走と相変わらず主役の見せどころがあり、ポストシーズンの野球の面白さを実感しました。
まあALCSでミラーに完膚なきまでに抑えられるんですが。
2016年はワールドシリーズがとても面白かったこと、ブルージェイズがこの2年間ALCSまで進出しているということもあり、来年はポストシーズンでどんな熱闘を見せてくれるのかと期待していました。

オリオールズとのワイルドカードの激闘
急遽登板し見事にしのいで見せたたリリアーノ投手とキャリアハイの成績を残したブリットンが出てきたら試合が終わってしまうと恐怖したけど一切出てくる素振りがないまま試合が終わった思い出


ドナルドソン選手の激走
諸事情で相手方の二塁を不法占拠するダブスタクソ野郎に罵声を浴びせまくっていました

2016-17オフにはバティスタ選手とともにチームを支えたエンカーナシオン選手がインディアンス(当時)に移籍し、バティスタ選手も年明けまで契約が決まらず焦ると同時にメジャーリーグの移り変わりの速さに寂しくなっていましたがこの年はビッグイベントがありました。

そう、WBCです。

17WBCの侍ジャパンは準決勝でアメリカ相手に奮闘する大エース菅野投手の印象が強いですが、他方ドミニカ代表としてバティスタ選手も出場していました。
そして試合観戦中のわたしが寝落ちしたタイミングに限って好プレーを飾り、去年は不調だったけどまだまだやれるなということを認識した記憶があります。

レーザービームでサヨナラの危機を凌ぎついでにコロンビアの選手を退場に追い込む好プレー

国際試合で最後となったホームラン

ところがWBCから帰ってきたバティスタ選手はこれまでなかった不調に襲われます。ほぼ全試合といってもいい157試合に出場してもホームランは去年から1本増えただけの23本。年齢相応に守備力が落ちていた中での打撃不振はWBCによる影響と契約が遅くなったことによる調整不足という言葉でフォローするには限界がありました。

いくら優秀な選球眼を持っていてもそもそもの打率が.203という数字では補え切れないもの。
OPSも2009年以来の平均以下を記録しました。打てなくなった打撃が売りの選手、36歳と言う高齢、昨年からの急激な成績の下落、敵を作りやすい性格(この年も現エンジェルスのアーロンループ投手が絶好調のフリーマンを負傷させた連戦でもトラブルを起こしていました)のため移籍先を過去の行いで自ら減らしたということ、当時の球界がプロスペクト(≒新人王資格のある若手)を重視し、ベテランに厳しいオフになりつつあったことからバティスタ選手のキャリアがこのシーズンで終わることを覚悟しました。

ちなみに翌年がどうせ破棄されることで知られる相互オプションだったこと、トレードするにも10&5ルールの対象であり拒否権を有するため移籍しての改善の模索も困難と思われたのも一因です。

ホームランを打たれた投手より
「バット投げて去年殴られたのによくまたバットを投げたね」

チームも目指せワイルドカード!というコメントに困る目標から開幕10戦を1勝9敗で出発するという記録的なスタートブレーキを決めたこと、エンカーナシオンの代わりに来た(市場の読みをミスって割高な契約となってしまった)モラレス選手が何とも言い難い成績であったこともあり、本人の成績が悪化したこともあってバティスタ選手のブルージェイズでのポストシーズンはもう見れないだろうと絶望しました。

そんな中で突如打撃が良化した(のちに巨人に来て帰る)スモーク選手をオールスターにファン投票で送る事と焦げがちだったブルペン投手をネタにして現実逃避に走るつらいシーズンでした。

そんな中行われた2017年最後の本拠地での試合。バティスタ選手は10年間を過ごした思い出の地であるトロントのファンとブルージェイズの選手として最後の別れを告げました。
そしてオフシーズンに入ると相互オプションは球団側が案の定破棄。それ以降どことも契約の情報がないまま翌年の開幕を迎えました。

ファンになってたったの2シーズンで訪れた別れ。その2年で急激に下がった成績。トラブルメーカーのベテランという操縦が難しい存在。
これでおしまい。そう覚悟したのを鮮明に覚えています。


2018シーズン:現役最終年はナ・リーグ東地区のジャーニーマン

最初に結論からいうと、見出しの通り2018年は彼が選手としてメジャーリーグを過ごした最後のシーズンになりました。
そのシーズンはFA(≒無職)のまま開幕を迎えたのですが、フロントとのコネがあり(ブレーブスのGMが前ブルージェイズのGM)前の年に喧嘩を売ったブレーブスが獲得しました。なぜか3塁手として

阪神が獲得調査した記事を見れば確かに3塁を中心に外野も守れると書いてますが、それはほぼ10年前の話。打撃開花後は外野に定住していたし守備もよくない選手を内野に再転向とかブレーブスのフロントは正気か?と思いました。
久々の守備位置に調整もあまりされないままメジャーリーグに昇格、お粗末な3塁守備に相変わらず上向く気配のない打撃。
案の定ほぼ1か月で解雇されてしまいました。
謎の3塁起用もあり、バティスタ選手に諦めをつけさせるための獲得だったのかなと当時思いました。

しかし捨てる神あれば拾う神あり。当時再建中であった同地区のメッツがすぐに拾います。
*メジャーリーグではこの手のリリースされたベテランの再建チームによる獲得はよくあります。最低年俸の日割りで雇えるので金銭的ダメージもほぼなく、二束三文の対価でも売れた時点で利益をもたらすので。


打率は相変わらずの低さですが、選球眼を生かし最低限のOPSは確保。再建チームの選手として必要とされる成績を残しました。
そして多くのトロントのファンが望んでいた7月上旬までの生き残りをかなえました。
7月上旬、それはメッツがトロントにて試合を行う日です。


英雄の凱旋 出典

この連戦は結果としてバティスタ選手がトロントで試合を行った最後の試合になりました。ヒットも放ち、よい再会になったでしょう。
わたしは彼をレギュラーとしてトロントでまた見ることができたのが嬉しかったのを覚えています。

そしてその数日後、2018年の彼の第2のハイライトです。

バティスタ選手はキャリア初にして彼が放った344本の中で唯一となるサヨナラホームランを満塁ホームランで飾りました。
ついぞトロントのユニフォームでは見られなかったサヨナラホームラン(サヨナラヒットはあり)。
それを満塁ホームランという形で見せてくれたメッツには頭が上がりません。拾ってくれてありがとう、そう思いました。

そんなバティスタ選手は8月末にトレードでまたまた同地区のフィリーズに移籍します(当時はウェーバーによる8月以降のトレードが可能だった)。
当時はブルージェイズも再建中であり、キャリア最後になるであろうポストシーズンの試合に出る瞬間を再び見れるのか?とフィリーズに期待しました。
結果から言うと9月に失速しポストシーズンには駒を進めませんでした。そしてこのフィリーズが彼が公式戦に出場した最後のチームとなります。
チームの影響もあってフィリーズではあまり振るわなかったと思ってましたが、成績見ると結構いいんですよね(打席少なすぎるけど)

2019-20、22シーズン:無職

タイトルの通り、彼はどこにも所属することなくこの3シーズンを過ごしました。
それは2010年代後半~コロナ前くらいの当時は(年俸上位の平均額で算出する)クオリファイリングオファーの額が減額したり、FA選手の契約が極端に遅くなるベテランにとって世知辛い時期であったこと。
そしてバティスタ選手本人がメジャー契約にこだわったこと(ソース忘れた)ことが原因と言われています。

さすがに無職の時期のハイライトを語れるほどは熱心に追っていないのでこの時期の彼については
2019年:プレミア12でドミニカ代表として出場し来日する可能性が浮上したこと(結局選出されず)
2020年:突如二刀流への挑戦が明らかになりわたしを困惑させたこと
くらいしかありませんでした。

2022年は後述の通り事実上の引退を受け入れられていたので、穏やかな気持ちで「いつか正式に引退を発表してくれたら嬉しいな」と思っていました。
ただ2020年当時は本家二刀流の大谷選手が大変苦戦していた時期ということもあり、二刀流???ほんとにやるの???と困惑していました。
そして行ける!と言い出すストローマン投手

2021五輪:最後の戦い

2021年の東京五輪で行われた野球(女性はソフトボール)と聞いて皆さんは何を思い出しますか?聞くまでもないですよね、失礼いたしました。

そう、ドミニカ共和国の野球代表が激闘の果てに銅メダルを勝ち取ったあの戦いです。そしてみなさんご存じの横浜スタジアムはバティスタ選手が最後に野球選手として戦った舞台になります。

ドミニカ共和国代表と言われても知らない人ばかりだ…という方に数名の選手を紹介します。打撃のチームだったので打者の紹介が多いです。

ホセ・バティスタ この記事の主役、2010-11年HR王にしてトロントの偉人
フリオ・ロドリゲス 現在のマリナーズの顔にして未来、いつも打ってた
フアン・フランシスコ 元巨人、銅メダル獲得の立役者である英雄
クリストファー・メルセデス 現ロッテ、日本戦に先発
ラウル・バルデス 元中日、貴重な安心して見られる投手枠でした
メルキー・カブレラ ブルージェイズでバティスタ選手と同僚、
 (認定ではあるが)2012年に首位打者を獲得する権利があった(辞退)
ヨハン・ミエセス 現阪神、要所のホームランが印象深い
ホセ(ジャンボ)・ディアズ とても大きい、最後のアウトを取った人

他にも元メジャーリーガーなどがいたよ! 

オリンピック本選のロースター(出場選手登録)にバティスタ選手が登録されているのを確認して、これが最後の試合になるんだろうなということを感じました。
年齢、公式戦のブランク、チームメイトのほとんどがどこかしらのチームに所属しているのに対しFAとしての参加。現実的に厳しいということは分かっていましたが、好きな選手の最後の晴れ舞台。覚悟を決めてみるしかありませんでした。

先に五輪での最終的な成績を乗せると、以下の通りです。

Ave .118(2-17) HR 0 RBI 1 OBP .348 OPS .524

HR王に輝いたのは10年前。年齢やブランクがあるのは覚悟していましたし、頭では理解していたつもりでしたが、それでもなお成績として突きつけられた現実はあまりにも非情なものでした。
選球眼の良さは最後まで実感させてくれましたが、それを考慮しても大会を通してヒットがたったの2本というのはあまりにつらい現実。

しかしそのうちの1本はイスラエル戦でのサヨナラヒットでした。 敗北=チームの敗退 の窮地を救うミエセス選手の劇的な同点ホームランの後、めぐってきたチャンスをしっかりと活かし、この日本の地でもバット投げを決めてくれました

日本でのバット投げ 出典
サヨナラヒットを決めた後 出典

これはわたしがリアルタイムで見ることのできた最初にして最後の彼のサヨナラヒットになりました。画面の前で喜びを爆発させたことは一生忘れないと思います。

結果として、ドミニカ共和国代表は銅メダルを獲得しました。地上波でバティスタ選手が銅メダルを首にかける瞬間、この選手に一目惚れして今まで応援してきてよかったなと感慨深い思いになりました。ワールドシリーズ勝ててたら似たような思いになったのかな。
それと同時に心の中で認めたくなかった野球選手ホセ・バティスタの栄光に輝くキャリアの終着点がここになるであろうという現実を受け入れる心の余裕が出来たように思います。

いつか正式に引退してほしいなという思いはありましたが、最後の輝きを自分の母国で見せてくれたという嬉しさはそれに勝るものでした。

2023年3月:終わりの訪れ

2022シーズンは前述の通りバティスタ選手の動向を穏やかな気持ちで見ることができる心の余裕が出来ましたが、いつか引退を発表してほしいというのは常に思っていました。
そんな日々は23WBCを楽しみにしていた中、急に終わりを告げました。

球団による準永久欠番のアナウンスです。これが何を意味するかなんて考えなくても分かりました。ついに彼のキャリアは終わりを迎えたんだ。

セレモニーについては先述の通りです。ギボンズ元監督も言っていましたが、このような花道を用意してくれたフロントには頭は上がりません。

盛大なセレモニーだから、きっと試合も勝てたんだろな。


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