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「言葉」で教師としての威厳を保つ

15年前の文章です。

 言葉は人間性を表す。「教師」たるもの自分の言葉に自信を持ちたい。
大学を卒業してすぐに教師になった。現場の経験は教育実習の数週間のみ。そんな私が4月担任になった。「なんとかなる」と思ったが現実は何とかならなかった。 
「子どもといい関係を作りたい」「子どもと同じ目線でいれる教師に」。言葉はかっこいいかもしれないがこれが間違いの元だった。
 「若さを生かし」子どもと友達のように話した。時にはタメ口のようなこともあっただろう。休み時間ならともかく、授業中もそんな感じ。
 数ヶ月たったら気づく。「どうしてうちのクラスの子はきちんとしていないんだ?」。隣の学級、他の学級の子はしつけがきちんとなっている。言葉遣いもしっかりしている。自分の学級のほころびに気づいた時はもう遅かった。
「この先生は甘い」という認識を子どもたちに与えてしまった。修正しようとしたが、結局異動までの3年間教師としての威厳を子どもたちに示せなかった気がする。

上記に書いたことは、若い教師の良さでもあり、欠点でもあります。
子供との距離が近過ぎてしまうのです。
子供と触れ合うだけの仕事ならばこれでも良いです。
しかし、「指導」する「統率」する時には近過ぎてはいけません。
かと言って、あまりにも突き放すのも逆効果になります。
これも身を持って感じたことをあります。

言葉で今意識しているのは、「丁寧語を使う」ということです。
子供を呼び捨てにする先生もいますが、私は「◯◯さん」「◯◯くん」と呼んでいます。親近感を込めて、呼び捨て、ニックネームで呼ぶ先生もいますが、私は基本的にしません。(休み時間など時折することはありますが)

当然、指導すべき時には毅然と指導します。
しかし、乱暴な言葉は使いません。
向山洋一先生から教えていただいたことです。

目の前に尊敬する人物がいると思って指導しなさい。

教室は密室です。
大人は教師しかいません。その環境に隙が生じます。
教室の中に、自分が尊敬する人物がいるとします。
その状態で、子供達にどういう言葉遣いをするかを考えれば自ずと言葉遣いが変わるはずです。

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