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【フィールドノート】#02 台北④

台湾Day5。
今回が台北編、最終回。

最終日は東京に戻るだけ。空港に早めについたので、色々とふりかえりをしていた。そのときに感じたことを書いてみたい。

この台北で感じたこと。

なんというか、まとめると、「ビジネスをあまり気にせず、自然に過ごせるようになってきた」ということを感じたということだと思う。

空港でFacebookに投稿した文章を再掲しながら、ここには書かなかったけど、気がついたことを吐き出してみる。

東京に戻ります。
今回の訪台をふりかえると、3年前の訪台のときとはみえる景色が変わってきたな、ということに尽きます。3年前は九份の茶屋で、提案書書いてたなとか。笑(提案は無事通り、メインクライアントとして4年目に突入します)

3年前は独立したばかりで、なんだかもう必死でした。いまとなっては笑えることも多いのですが、うちの愛方にも「あの頃は殺気立ってたよね」と言われます。いまは「お前は何やってる人なんだ?(稼げてるなら何も言わないが)」ということを言われ、ぼく自身も答えに窮します。

そんな中、荒木さんのVoicyをホテルで聞いていて、これまたぼく自身の経営戦略みたいなことを改めて整理してみました。ざっくりいうと、経営戦略の世界でいういわゆる「ブルーオーシャン戦略」「PPM」「学習アプローチ」を基本戦略のフレームやアプローチとして採用しているんですね。何も突飛なことはしていない、至ってスタンダード、王道な戦略だと思っています(戦術が追いついてないし、普段あまり考えてないけど)。

フレームもさながら、事業内容(コンテント)だって、「組織、人、財務会計、その他マネジメント全般のコンサルティング」「写真」「学びの場の提供」と、言葉にしてしまえば、驚きがなさすぎて驚くレベルです。どこが、ブルーオーシャンやねん?ていうですね。

それでも、ぼくの動き方や考え方やキャラクター(プロセス)に共感してくれたり、珍獣のようにおもしろがってくださる数少ない友人のみんなのおかげで、この3年間はしってこれたのだなぁと。しみじみ思います。

「佐藤は何を目指しているのか?」とよく聞かれます。「さあ。なんかおもしろいことありますかねぇ、、、」とはぐらかしたような答えしかできないのですが、割と本音で。考えてない、というのがいまのぼくです。というか、過去、現在、未来という線形の時間軸であえて考えるなら、未来はもうここにあるんですね。だからマジレスすると「佐藤は佐藤を目指している」ってことになります。コンテントでいえばいま興味があるのは「言葉」「身体」「写真」「表現(いわゆるアート含む)」なので、何かあればお声がけください(ざっくりすぎる)。

ってなことをこの五日間、繰り返し考えていました。さあ、帰るぞー。愛方がとんかつを用意してくれてるみたいです。やったぜ。

3年前はビジネスに必死だった。

愛方いわく、3年前は本当に殺気立っていたみたいだ。たしかに、独立したものの直後は契約が確定した受注はなかったし、日々営業をしながら走っていた。営業とは言えないような、独立ほやほやの若人にのみ許される「仕事ください」という直球を投げまくり、スポットの仕事で何とか生計を立てていたように思う。

色々なことにチャレンジしたいけど、「まずは、(前職でやってきた)できることをやってみてよ」という仕事が多かった。実際に、言われたことも多かった。それでも、できることというか、元々の専門領域であるファイナンスやM&Aを入り口に、様々な領域の仕事をやらせてもらえるようになってきた。会計財務の専門家だから、専門領域のオーダーを受けることが多いのは当たり前だ。その仕事はとても大切だし、いまもお世話になっている。でも以前は、「これがやりたいんじゃない。もっと違うところに課題があって、そこにアプローチしないと、、、」とずっと考えたり、クライアントに熱く伝えてようとしていた。でもなかなか伝わらなくて、伝わらない状況にどう対処したらいいのか、ロジカルに考え行動しなければ、という強迫観念めいたものに取り憑かれていた。

一言でいえば、「意識的すぎた」し、"領域"を超えなければと意気込みすぎて"領域"という部分的なことにこだわっていた、といえるのかもしれない。

自分に向かう3年間。

そして、前回の台北から3年。いろんな変化があって、うまくやってこれたようにも失敗したようにも思うし、生きてきたようにも生かされたようにも、思う。不思議なことに、後悔は全くなく、そのときはそのときなりに楽しかったのだけど。

「"専門領域以外の分野"でもっと仕掛けたい!」と意気込んでいた時分には中々その機会は巡ってこず、「ぼくを必要としているのなら、まあ、なんでもいいからとにかくやってみるかあ」なんて呑気な感じで、手放すことで、いろいろとつながっていったものがあると思う。

よく"拡散と収束"の話があるが、それは順序があって「拡散→収束となるのではなく、一体として起こるもの」だということを身体的に理解できたように感じたり(この話はまた別の機会に言語化してみたい)、また、よくある"周辺分野への参入"、といったようなことでもないとも感じている。組織のコンサルティングをしてる以上、組織やその組織にある何かについて関わることはあっても、"会計財務"から"人材分野"へ、みたいな変化ではないことは確かだ。いわゆる"コンテント"ベースではなく"プロセス"ベースだということだと思うけど、そういうことも一部分に過ぎないと思っている。まだまだ言語化しきれないという前置きをしながら、この概念というか感覚というかを言葉にしたみたい。

冒頭では「自然に過ごす」と書いたけど、最近、ぼくたちチームで話しているのは、「一致感」や「リアリティのある感覚」という言葉たちだ。いいかえれば、二重引用符(ダブルクォーテーション"xxx" )で括られない一般的でないなにか、自分の感覚ではわかっているけど他者にはハッキリと言葉で説明がしがたいなにか、のことである。

例えば、「"デザイン思考"といったアプローチを使っていきましょう」とコンサルタントに言われたとき、あなたはどんな印象を受けるだろうか。フラットに構えられればいいのだが、世の中の"デザイン思考"のイメージやそれぞれがもつイメージがごちゃまぜになって、それが違和感として溢れ出しはしないだろうか。それは「(このコンサルタントで大丈夫なのだろうか、、)」といった感情に結びつく(だろうと妄想している)。

他の例をあげれば、やたらとバズワードを連発する人は周りにいないだろうか。一般的な言葉とバズワードをはっきりと切り分けることは難しいけれど、"AI"やら"RPA"やら"アート思考"やらが、最近のぼくにはひっかかる(笑)。なんだか、そういう流行り言葉や一般的な言葉や理屈を並び立てることは、ぼくたちのいう"一致感"とは程遠いのだろうと感じている。

先に例をあげてしまったので、そもそもぼくたちがいう「一致感」という言葉は、何と何が一致しているのか、ということを疑問に思われたかもしれない。ぼくたちはこう考える。

「一致感」とは、「自分自身の表象と自分自身の内面が一致していること」である。

加えて言えば、表象も内面も変化し続けているし、その場や状況にもよるので、

「自分自身の表象と内面が、まさにそのときに一致していること」。

これが、ぼくたちのいう「一致感」。そして、言葉の説明が長くなってきたのだけれど、この言葉が出てきたのは台北から帰ってきてからのこと、つい最近のことだ。けれど、この言葉はしっくりきた。

そう、ぼくは、「一致に向かっていた」のだ。この3年間、「ぼくは、<ぼく>に向かっていた」。


変化を感じられるときに。

3年より前にぼくと一緒にいた人は不思議がるかもしれない。「おまえ、変わったな、、、」「わけわからんこというな」、、、なんて。

「変化点はどこにあったのか?」と問われるとなかなか答えにくい。そもそも、変化の連続でここまできたのだとも思う。ただ、あえて応えるとすれば、ぼくの中で、家族のことや子供が体調を崩したり、難症(病、とは書きたくない)を発したことが大きいと思う。「変化点はどこにあったのか?」から「変化を感じられるときはどんなときか?」という問いに置き換えてみて、気がついた。

台北に限らず、「自分で自分自身の変化を感じられる」とき、ぼくは無性に家族に会いたくなる。そして、ぼくがぼく自身の変化を感じるとき、必ずと言っていいほど、家族が体調を崩す。

なぜ家族が体調を崩すのか?と問われれば、出張や合宿など外泊をするときに、変化を感じやすく、そういう状況は家族にある程度の負担をかけているからだと思う。大人2人子供2人の家族で、大人が1人ぬければ残された3人には色々な負担がかかる。しかも、我が家は揃いも揃って、体が丈夫な方ではないのだ。

だからこそ、このことにはどのような意味があるのだろうか?といつも考えてしまう。家族は弱いもので、外泊すれば、、、わかっているはずなのに、ぼくは向かうのである。クライアントワークという半ばいいわけをしてでも、向かうのである。そのままでいれば、負担はなくそれなりに楽しめるのに。そう思うと、ただぼくは動きたいだけのだろうとも思う。これにはどのような意味があるのか。実は、このことについては「道草」という別のテーマから表現を試み始めている。少しずつ表現をしたいきたいと思う。

時間を超えて、あるもの。

さて、長くなってしまって、書きながら自分でも何を伝えたかったんだっけ?と思い始めている(暴)。すでに3年前のことなんて、すっかり忘れてしまっている。記録はそれなりに残っているけれど、もう印象でしか語れないだろう。1年前のことでさえ怪しい。さらにいえば、この話を書き始めた頃のことさえ怪しい(笑)。ぼくの短期記憶機能はほんとうにひどくなってきている。というより、時間感覚がおかしくなってきているのかもしれない。それは、このnoteをはじめ、FacebookなどSNSによることも大きいのだろう。記憶が外へ向かい、イメージは外に残存する。それこそが一致感を曖昧にする。そして、残存したイメージは時間軸を消失させる。写真をみるといい。そこには別の時間軸があり、別の空間軸があり、別の次元がある。夢のようなものだ。

軸というものは、そもそも、測りやすくするためのものであって、それが真実を表すものではないのである。つまり、もともとは測れないものを測ろうとするだけであって、過去ー現在ー未来などそもそもない。いいかえれば、過去=現在=未来であって、実はただそこにあるのだと思う。ぼくたちはぼくたちの認知を超えられていないだけだろう。たぶん。

ふぅ、なんだかわけのわからないことになってきたぞ。いや、そもそもわけをわかろうとすることが不毛なんだろうな、それでもわかろうとするのが<ぼく>なのだろうけど。

なんて、考えていたら、飛行機は羽田に着陸した。夕陽が美しくて、手に持っていた 写ルンです のシャッターを押した。

写真は記録ではないから、記憶をたよりに書く。フィールドノートも記憶の記録であるんだろう。

all photo  by tomohiro sato.


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