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note始めました。

ご自由にお書きください。
と言われても初めてなんで難しいです。

note始めました。
いつまで続くかわかりませんが、
最近話したがりで発信したがりで
けど「うるさいなあ」って思われるのも嫌なわがまま人間なので
こういう形なら少しは書きやすいかなと
自分へのハードルを下げたつもりです。

今日はインドネシアからの留学生を寮まで送り届ける仕事を任されて
久しぶりに英語でコミュニケーションをとったんですけど
こういう時にやっと英語力欲しいなって実感します。
勉強あるのみですね。

そんな今日の日記的な使い方もできればなと思います。
それならノート買って自分で書けよと思う人もいると思います。
僕もそう思います。まあまあ…はい。

さて、何を書きたいかというと又吉直樹さんの「火花」を読んで
考えさせられる部分がたくさんありまして…
(こんなこと言っておきながら全然本読まない人間なので、
以下浅い考察が続きます)

まずは気になった部分をこれを読んでくださる皆さんにも考えていただきだいです。(恥ずかしながら、引用のルールがイマイチわかってないのでダメだよそれってなったら是非教えてください。)

"「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで、反対に新しいものを端(はな)から否定すると、技術アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会になり下がってしまわへんか?」"
(「火花」/ 著者:又吉直樹/ 発行:株式会社 文藝春秋 より引用)

僕、アカペラサークルに入ってまして、
表現する場をたくさん頂いているのでこういう文を見ると反応してしまうんですけど

これどう思いますか?
もちろんケースバイケースで考えるまでもないって人もいると思います。
ただ、これを読んだときに「じゃあ、どうすればいいんや!」って強く思った自分がいまして

実際に読んでいただかないとだいぶニュアンスは変わりますので
読んでいただきたいのですが、
この「火花」に出てくる"神谷さん"曰く、


"「唯一の方法は阿呆になってな、感覚に正直に面白いかどうかだけで判断したらいいねん。」"
(「火花」/ 著者:又吉直樹/ 発行:株式会社 文藝春秋 より引用)


これはもちろんアカペラの話ではなく、漫才の話なのですが、
"感覚に正直に"というところは激しく同意(ハゲドウ)です。

「20代の評論家はいらない」といつも大学の先生に言われているので
深い考察をここに記すことはしません。
(最もどうせできてないやろと言われればそれまでです。てか、それをしないなら何の為にnote始めたんやとか言わないでください。ご自由にお書きください。と言われましたので。いきなり卑屈モードすみません笑)

これなんか書きやめどころがわからないのですが、
いきなり終わってもいいですよね、
読んでいただき有難うございました。

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