【雑記】音楽を楽しんでやるって難しくない?
音楽は音を楽しむものだから音楽だ。
みたいな話、きっと貴方もよく聞くのではと思う。
うむ。ある視点からはそうだろう。
だがどうだろう。やる側の立場で捉えると、ちょっと疑問に思う。
良い音楽を聴いたり、ライブを観るのは確かに楽しい。でも自分がやるとなると、うーん、楽しむ余裕がないとでも言うべきかもしれない。
今までを思い返すとアマチュアとはいえ、極力イイもの提供したい(というのは建前か。カッコいいと思われたい)もんだから演奏は自分の全てを投げ打つ覚悟でやってしまう。だからかあまり演奏中に楽しいと思ってやれたためしがなかったなあと。
楽しそうに叩くねとは言われるが、それも自分ではなく相手を楽しませるパフォーマンスの一環だ。
それに自分の演奏を後で聴いてみると大なり小なり反省点があって、改善を考えるわけだ。あんまり自分のライブの感慨に耽ることをした記憶がない。大概次の演奏の機会でどうするかを考えてしまう。
なんかこれじゃあ、あんた何が楽しくて音楽続けてんのと言われるかもしれないので、勘違いして欲しくないところを一つ。
確かに音楽をやっている最中は楽しんでいる余裕はない。だけども終演後の反応をなんらかで見たり聞いたりしたときのやり甲斐はめちゃくちゃ感じている。みんないつもありがとう愛してる(どうした)
自分にとっての純粋な音を楽しむという時は、楽器という道具と向き合っている時だ。
道具はなんでもそうだが、穴をあけたいとか何かを切りたいとか、目的を持って作られる。
楽器だって音を出す道具である以上、目的の音があって作られるものだと思っている。
君はどんな音が出したいのか。それを理解しようとして調整し反応を聞く作業は、さながら対話だ。
楽器はコミュニケーションできる道具だ。
楽器の意図と自分の想いがバシッと合えば素晴らしい発音を奏でてくれるし、食い違ったら微妙な音になったり、逆に思いもよらない意見が出てきて結果的に良くなったりする。
そういうところは自分なりの「音楽」かもしれない。
他にも人と作る楽曲は良いものができれば楽しいし、それを聴いてくれた人たちの反応も楽しんでいる。
僕は音楽は音を楽しむというより、相手(楽器含む)とのコミュニケーションが楽しいと思っているのだろう。
音楽始めたい方、たとえ1人でやるにしても他者はどこまでも付き纏う。
聴いてくれる人が居るから楽曲は存在意義がある。
それが楽しめればきっと楽しいと思うよ。
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