2011東宝特撮ファンミ

中野昭慶・富山省吾・樋口真嗣が語る東宝特撮

2011年11月19日に山梨県甲府市の岡島ローヤル会館で開催された東宝特撮ファンミーティングには、ゲストに中野昭慶氏(特技監督)、富山省吾氏(ゴジラシリーズプロデューサー)、樋口真嗣氏(監督・特技監督)と豪華な顔ぶれが揃った。東宝の名プロデューサー田中友幸氏の意外な一面や『キングコング対ゴジラ』 のタコの話などはその現場にいた中野監督ならでは。トークイベントの一部を再録でお伝えする。

黒塚まや(以下黒塚) さあ、それではお話を伺っていきたいと思います。このファンミーティングは、東宝プロデューサーの故・田中友幸さんの生誕100年を記念して企画されました。田中さんは、映画プロデューサーとし
て東宝の黄金期に活躍されまして、黒澤明、岡本喜八監督などの作品を手がけたことでも知られていますけれども、何よりもその名を知らしめたのは1954年に公開されました映画『ゴジラ』だと思います。当時44歳という若きプロデューサーが放った 『ゴジラ』の第1作・・・。

中野昭慶(以下中野) 44歳?はあ、若いな。

黒塚 :はい。この『ゴジラ』いつ頃どのようにご覧になりましたか?

中野 :そのゴジラね。僕東宝入るまで観てない。知らない。東宝の入社試験でね、「お前ゴジラどう思う?」って言われて困っちゃった。

黒塚: 何と答えられたのでしょう?

中野: だから「そんなの観てないよ」って言ったらね。あれは多分藤本真澄さんだと思うんだけどね。「ゴジラも観ないで東宝に来るとはなんと図々しい奴だ」って言われて。これはダメだなって思ったら受かってた。そういういきさつなんで、観てないんですよ。だから(第1作が)昭和29年?東宝入ったのが34年か。この5年間ゴジラの存在知らなかったというのが現
実です。

黒塚:田中さんとの思い出というのは、たくさんあると思うんですけれども。

中野: あのね、あの人ものすごく電話が好きなんですよ。電話魔でね。これは一緒にやった監督とか俳優さんにもかかってる。とにかく夜討ち朝駆け電話がかかってくる。「あれ どうなってる?」って。どうなってるって、そんなの翌日会社に行くんだから(笑)。だから何ていうか心配性なんだね。今でこそ、デジタルで電話の住み分けは簡単だけれども、当時は、小型交換機が友幸さんの家に置いてあった。つまり関係者の名前がズラーッて入っているところにつながる。そこにジャックがあって、(友幸さんは)パンと家に帰ってきて、ジャックをさして「おーいどうなってる!」ってやってるわけ。

富山省吾(以下富山):それ本当の話ですか?

中野: 本当だよ!

富山:すごいですね。

中野:これ知らなかった?

富山:初めて聞きました。

中野:表参道の家の方にあった。

富山:はいはい。

中野:広尾に引っ越した頃には、あの機械はもういらなかったんじゃないかな。当然小松左京って人の名前もあったかもしれないね。

富山: 原宿の駅前のオリンピックマンションといって、京マチ子さんも住んでいて、そういう意味ではとても映画人のあこがれの場所というか。

中野:そうなんだよね。

黒塚:どんなお人柄だったのでしょうか?

中野: 一見、豪放磊落という感じがあるんだけど、実のところものすごく神経の細やかなね。それでね、あの人関西かな出身は。あの日本人には東北系の粘りと関西系の粘りがあるんです。関西系はしつこい。東北系は1つのことにダーッてのめり込む。ちなみに 『ゴジラ』の円谷英二さんは東北。それから本多猪四郎さんも東北。そこに関西の田中さんが加わったから、しつこいのなんのっていうのが3人揃ったからああいうことになったんだと僕は思う。

富山:中野監督はご出身はどちらでしたか?

中野:僕は中国大陸・丹東です。すいません。故郷がないんですよ。

富山:大陸のしつこさがある?

中野:いやあ、大陸はあっさりしてる。豪放磊落(笑)。

黒塚:『キングコング対ゴジラ』には中野監督は特撮班の助監督として参加されていますよね。

中野:あれね、嫌々引っ張り出された。

黒塚:嫌々だったんですか?

中野:あれは東宝30周年の記念映画ということで、超大作部門に入った。すると東宝には予算のランクがあって、超大作になると規模が広くなる。助監督が1人じゃ間に合わないから誰か来いということになった。それで、僕はたまたま空いていた。東宝の場合ね、つく作品は助監督会で選べるんですよ。するとね、まず円谷組はつき手がない。あんな汚い何やってるかわからないしんどい仕事は嫌だっていう助監督ばっかりだったんですよ。僕はたまたま昭和34年に東宝に入った時に、初めて見習いでついたのが『潜水
艦イ-57降伏せず』だったんです。

富山:松林宗恵監督ですね。

中野:主役は池部良さん。ご存知の方はいらっしゃるかな?その時につけって言われて、じゃ何だと思ったら、お前特撮の方だと言われた。「中野お前行って来い!」って。それで そこに入れられちゃって、特撮で何もわからず見ていたら、あの映画モノクロなんですけど、なぜか円谷さんカラーで撮ってる。何でだと思いますか?

黒塚:何でですか?

中野:不思議でしょ?僕も「うわあ何だこの円谷英二ってのは?」その理由わからず。それが最初に東宝に入った時のカルチャーショックなんです。それが何かっていったら、何のことはない。合成というフィルムとフィルムを合わせて処理する仕事があるんですが、そのためのカラーフィルム、ブルーバックというね。今はクロマキーシステムという言い方をしているけれども。そういうカルチャーショックを受けながらね、「いやあこんなのもう嫌だなあ」と思ってた。そこに「中野、足りないから行ってくれ」なんて話で。それでついたのが『キングコング対ゴジラ』なんです。ただしね、これは今まで嫌で嫌でしょうがなかったのだけど、脚本見たらね「よっしゃ!
やってやろう!」って思っちゃったの。というのはね、あれはまるっきりの
喜劇というかね。ゴジラってのはどういう切り口っていうか、ゴジラの可能性ってすごいなあって思いながらついたのを思い出します。

黒塚:巨大タコが出てくるシーンもありましたね?

中野:タコね。あれは大変だったんですよ。円谷さんは最初アニメーションでやる予定だった。だけど本物でやりたいって言いだした。監督がそう言い出したので、全部手配して、三浦岬の生簀を1つ買ったの。とにかくタコは新鮮な方がよく動くだろうということで。現場では畳2枚くらいの小さなセットを作った。南の島の一角と言う設定で。でもタコは陸上に出しちゃったらビクともしない。

黒塚:動かないんですか?

中野:動かない。でも円谷さんはこっちで「動かねえぞ!」って言ってるんだ。「何とかしろ!」って。何とかしろったってね(笑)。

黒塚:そうですよね。タコは言葉通じませんからね。

中野:だから棒の先に針つけてつついてみたり、引っ叩いてみたりね。あとトーチランプかな。あれで炙ったんだ。でも何やってもダメ。そういうことやればやるほどヤツはピタッと身動きしない。でもスタッフにも知恵者がいて、「目玉に光を入れてみな」って。「タコは暗い所にいるから、目玉は弱いぞ」と。で、現場に置いてあったライトで目玉向けてピッと当てたわけですよ。そうしたら、うにょ~っという皆さんご存知のあのカットが撮れたわけです。それを撮る為に3日かかった。で、撮影に使った何十匹というタコを製作部のスタッフが「捨てるのもったいない」って言って、我々が泊っている宿舎の板前さんのところへ持って行くんですよ。さあそこで板さん凝ったは凝ったはタコづくし(笑)。 刺身から焼いたのからね、おでん風なものからね、薄く切って揚げたポテトチップスみたいのからね、その晩に出てきたおかずが全部タコなの(笑)。

黒塚:ありとあらゆるタコ料理がバーンと並んだわけですか?

中野:並んだ。一見豪華だよね(笑)。それ3日食べさせられたからね。だから僕、未だに タコ、あんまり好きじゃない。食えない。あの場面思いだして、苦労した悲しさと、散々食べさせられたあれでね、タコダメなんですよ。だからおでんはタコ以外は全部食べるけれども。タコはやめてくれーって。そういう思い出がありましたね。

樋口真嗣(以下樋口):タコがかわいそうですね(笑)。せっかくいいお芝居したのに、夜には食べられるという(笑)。

富山:ご褒美がない(笑)。

樋口:動きのいいヤツが次の日に使おうと思った時、「ああ、アイツがいない!」って(笑)。

黒塚:その後中野監督は、1984年版『ゴジラ』の特技監督も務められていますが、9年ぶりに復活したゴジラの特撮は80年代 に入って、何か変わった点などはあったのでしょうか?

中野:あります。大いにあります。

黒塚:どんな点なんでしょうか?

中野:ゴジラは東宝が数多く作ってきたから、やることがなくなってきちゃった。手がなくなっちゃったのですね。ゴジラ自身も知名度が落ちかけてた。そこでやるんだから今度は、田中友幸さんが「全生命かけて頑張るぞ!」みたいなことを言って、でとにかく「原点に戻す」と言いだした。
それで皆で半年ぐらい議論したかなあ?そんなこと言ったって原点には戻
らないよというのが僕の意見。ゴジラが放射能を吐いている間は、ゴジラは 原点には戻らないよと。本当の核の申し子として訴えるのならば、まず放射能なんて便利な使い方はよした方がいいって言った。じゃどうする?放射能なかったらゴジラちょっとつまらんな寂しいなとかそういう話し合いを延々と続けた結果がああなったんだけれども、ちょっとお行儀よく作りすぎたなと。

このイベントの5年後、2016年に公開された『シン・ゴジラ』は、樋口真嗣監督が自身が映画界入りした作品で、師匠である中野昭慶監督が特撮を手がけた『ゴジラ』(1984年)を彷彿とさせる演出で見事に描いた。次のゴジラはどうなるのか?東宝特撮の今後に注目したい。




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