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じいちゃんへ


こんにちは、ともです!


おじいちゃんが亡くなったため、2/23(火)から今日まで実家のある淡路島に帰っていました。


気持ちの整理が中々できなかったのでnoteの更新も出来ずにいました。


楽しみにしていてくださった方ごめんなさい。


今日からまた毎日投稿していくので読んでくれると嬉しいです😁


早速ですが、今日は、おじいちゃんに手紙を書こうと思います。

オープンに向けてギアを上げていくタイミングでおきたことなのでここにしっかりと残しておきたいと思います!



おじいちゃんと僕


僕は、1999年8月8日に5人家族の長男として生まれました。

下に年後の妹が2人います。(3人年後はあまり聞かないですよね笑)

横には、母方のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでおり、小さい頃からたくさんお世話をしてもらったり、旅行に連れて行ってもらっていたこと今でもよく覚えています。



僕が小学校高学年の頃から両親が別居を始めました。それからは父と会うのも、月に1回・・・半年に1回・・・1年に1回と時間が経つごとに会う機会も減っていきました、、。


お父さんにサッカーの試合を見に来てもらいたくてもなんだか言いにくく、やがて口にすることもなくなり、少しづつ疎遠になっていきました。

この頃から人に素直な気持ちを伝えることが出来なくなっていたように思います。



おじいちゃんは横に住んでいたこともあり、僕の気持ち(寂しさ)を汲み取るかのように毎回、「サッカー最近どないや?」「学校楽しいか?」「欲しいものないか?」と聞いては笑顔で話をしてくれていたことを今でもよく覚えています。


それが何よりも嬉しかったことを今でも覚えています。



あの時、じいちゃんが近くにいなかったら今の僕は、間違いなくいないですね。


父親の変わりかのようにじいちゃんが僕に接してくれていなかったら、人に「嬉しい」「寂しい」「悲しい」「助けて」などと言わず、常に自分の感情を押し殺して生きていたかもしれません。



小さい頃におじいちゃんが可愛がってくれたおかげで、人に頼ることの大切さを知りました。



「素直さ・謙虚さ」の大切さを僕に教えてくれました。



何よりたくさんの愛情を注いでもらいました。




経営者としてのおじいちゃん


僕のおじいちゃんは塗装屋の社長をしていました。


小学生の頃から、ちょくちょくと現場について行っていましたが、そこでの顔は家での優しい顔と180度変わり、緊迫感があり、大きな責任を背負っている男の顔に見えました。


その顔を見た時に、

じいちゃんみたいな「強くて優しい男」になりたい

と心のそこから思ったことを今でもよく覚えています。



葬式の時、会場におさまりきらない程の花束・来客者の涙を見た時、改めてじいちゃんが残したモノの大きさを知りました。



人生で何を成し遂げたかも大切だけど、何を残したはそれよりも大切だと強く思いました。




最後にじいちゃんへ


にい(じいちゃん)が亡くなったってお母さんから電話がきた時、涙が止まらんかった。


今までの、にいとの思い出が頭の中に流れた。

何かの嘘であってくれと何回も思った。


急いで家に帰るとまあ(ばあちゃん)家の和室にいつもと同じ寝顔で寝ていたな。笑


触っても柔らかいし、死んでるとは思わんかった。起きるんちゃう?って思ったりもしてた笑


その日は、いつもみたいに和室にあるベットで寝てんで、にいがいつ起きてもいいように!


起きた時に俺が横におったら嬉しいやろうと思って!


時間は流れて、葬儀屋さんが来て葬儀会場に行ってから一気に、にいが亡くなったって実感が湧いてきた。


とくに、法事の最後に、にいのビデオが流れたんやけどそれを見た時は会場で一番泣いてたかも笑


初めてあんな泣いたかも笑


にいのことやから絶対、空から泣くなって怒ってたやろうな笑



言いたいこと、書きたいことたくさんあるけど、多すぎてまとめれらんから一言にまとめるな、


「ありがとう」


この言葉以外でてこんかった。


にいからたくさんの愛情を注いでもらったおかげで今の俺がおる。


これからもっともっと成長して行くで、天国から1つのドラマ見てる感覚で笑いながら見守っててや!


挑戦してたら時には大きく失敗することもあるかもしれん、けど、その失敗さえも楽しんで成功するまで絶対に諦めらんから!


少しでも多くの人の幸せに携われるような、仕事をする!


そして、にいみたいな「強くて優しい男」に俺はなる!



あ、最後に、

にいにしてもらったことは、これからできる息子や孫にしっかりとお返ししておくわ!


涙出てきたから書くの終わるね笑






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