サンフレッチェ広島note用カバー

サンフレッチェ広島歴代ユニフォームデザイン。これを見ればいつだってあのころに戻れる。

よみがえる思い出

私広島出身、広島育ちの広島ファンです。
高校の時にJリーグが開幕しました。
ビックアーチ(エディオンスタジアム広島)にも西区の広島スタジアムにもよく観に行きました。
ユニフォームのデザインを見ればそのときに思い出がよみがえってきます。
ユニフォームデザインはひとときのタイムスリップのトリガーですね。

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1993年〜1994年、メーカー:ミズノ、スポンサー:フォード
記念すべきJリーグ開幕時の初代デザイン。
当時はJリーグ参加10チームがミズノ一社提供でした。
青・白が基調だったマツダ自動車時代からチームカラーが紫へと一新されました。
1994年は1stステージ優勝を果たす。
高木琢也、ハシェック、盧とチェルニーの両翼、風間と森保のダブルボランチ。
森山、片野坂の両サイドバックなど、いまや監督を務める錚々たるメンバーでした。

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1995年、メーカー:ミズノ、スポンサー:マツダ
胸スポンサーがマツダへとチェンジ。
監督がバクスターからヤンセンになって成績はイマイチでした。

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1996年、メーカー:ミズノ、スポンサー:マツダ
未だに人気のチェック柄の二代目デザイン。ボタン付きの襟にするなど当時の流行に則っていた。
クラブ財政が危機を迎え片野坂、森山、ハシェックなどが退団。

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1997年〜1999年、メーカー:ミズノ、スポンサー:デオデオ
胸スポンサーがデオデオにチェンジ。
デオデオは広島創業の家電量販店(元ダイイチ)。その後財政危機を迎えたチームの経営に参画し今に至る。
経営立て直しのためとはいえ、高木、森保、路木などを放出。我々ファンからも大いに反感を買った第一次暗黒時代でした。

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2000年〜2002年、メーカー:ミズノ、スポンサー:デオデオ
三代目デザインはミズノ社の既存テンプレートを使用したもの。
初めてオレンジ色が差し色に採用されました。
2002年には監督の途中交代(ガジエフ→木村孝洋)もありJ2降格。ドラゴン久保竜彦も放出せざるを得なかった。

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2003年、メーカー:ミズノ、スポンサー:Your Voice
四代目デザインもミズノ社テンプレートを使用。
スポンサーの「Your Voice」はデオデオのプライベートブランド名称でした。翌年はまたデオデオ表記へ戻ったた、いまでは貴重なレアデザインとなっている。
初めてのぞむJ2の舞台は44試合の長丁場。監督は小野剛。
高萩洋次郎や前田俊介、高柳一誠などの若手と小村徳男、戸田和幸、盛田剛平、セザール・サンパイオなど実績ある選手をミックスした布陣。
混戦の中、最終的にはJ2で二位を死守しJ1昇格となりました。

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2004年、メーカー:ミズノ、スポンサー:デオデオ
胸スポンサーが再びデオデオ表記へ。

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2005年〜2006年、メーカー:ミズノ、スポンサー:デオデオ
今日に至る三本の矢の新エンブレムとなった五代目デザイン。
2006年はリーグ開幕から10戦未勝利となり小野監督は辞任。その後暫定を挟んでミシャ・ペトロヴィッチ監督が就任しました。
現代日本で裏スタンダードとなっている3-5-2(3-5-2-1)システムを取り入れ、J1残留という結果を残しました。

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2007年〜2008年、メーカー:ミズノ、スポンサー:デオデオ
六代目デザインはミズノ社テンプレートモデル。
首や脇にグラデーションが施されました。
2007年はミシャサッカーが研究され大苦戦、入れ替え戦に敗れ二度目のJ2降格が決定しました。
2008年はミシャ監督が残留(今も語り継がれるサンフレッチェの大英断)し、前年天皇杯準優勝からゼロックススーパーカップへ参戦し見事勝利しました。その勢いのままJ2を戦い抜き優勝。ふたたびJ1へ昇格を決めました。
2009年は4位で終え、翌年ACLへの出場権を初めて獲得しました。
また2007年にデオデオが筆頭株主となり今日に至ります。

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2010年、メーカー:ミズノ、スポンサー:デオデオ
要所にメッシュ素材が配された七代目デザイン。
ここでは表現できていませんが背番号がゴールドだったのが印象的でした。
ACL用ユニフォームの胸スポンサーはマツダでした。
リーグ戦は7位でした。

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2011年、メーカー:ナイキ、スポンサー:デオデオ
18年に及んだミズノとの契約を終えナイキへサプライヤーを変更。
ミズノ時代は2年から3年のスパンでのデザイン変更だったが、2011年以後毎年モデルチェンジすることになりました。
ナイキによる新しいデザインの歴史の幕開けとなる初年度は幾何学模様が大胆に配されたモデル。
アウェイモデルは宮島の鳥居からインスパイアされた朱色を採用しファンの間では物議を醸した思い出があります。
リーグ戦は前年に続いて7位。

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2012年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
ナイキ二代目、通算では九代目となるデザインは細かな濃淡のチェック柄を採用。
胸スポンサーはデオデオが名称変更し「エディオン」となった。
カタカナでの表記がダサいと他サポーターから揶揄されました笑。
アウェイは朱色、3rdモデルは白でした。
この年は経営的観点からミシャ監督との契約更新を見送り、OBである森保一監督が就任。しかし戦術はミシャサッカーを継承し、なんとJ1初優勝を飾った。

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2013年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
シンプルな太めのボーダーがインパクトある力強さを印象づけました。
胸スポンサーは今に至る「EDION」へ。安心しました笑。
厚みのあるユニフォーム生地は2012/13にナイキが世界中で展開したグローバルなモデルでした。
リーグでは最終節の劇的逆転で2年連続でJ1優勝。

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2014年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
チームカラーの紫を二色にし、かつ大胆にセンターへ配置したモデル。それはまるでPSG(パリサンジェルマン)を思わせるようなデザインでした。そしてこれまでアウェイで取り入れられていたナイキこだわりの宮島の鳥居”朱色”が襟の差し色に採用されました。
リーグ戦は8位。

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2015年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
ナイキグローバルテンプレートの「シェブロン」を採用。
毎年主力を浦和レッズに抜かれる中、年間勝ち点一位となり、チャンピオンシップを制して三度目のJ1優勝。
ユニフォームが紫の二色使いの時は強いのか!????

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2016年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
ナイキが世界中で使ってきた蛍光色を採用。
ピンストライプはシンプルで好印象でした。
リーグ戦では年間6位。

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2017年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
この年から胸のエディオンのカタカナ表記がなくなりました。
蛍光イエロー色を継続。細かなグラデーションが施されている前面のストライプは全身のマツダSCのユニフォームからインスパイヤされているとか。
この年はナイキが世界的に流行させたソックスだけ蛍光色にするパターンを採用。
6年目を迎えた森保体制が崩壊し7月で監督交代。
ヤン・ヨンソンのソリッドな戦術でなんとかJ1残留を果たしました。

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2018年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
シャツ、パンツが紫、ソックスが蛍光イエローというパターンが継続されました。
左右非対称なグラフィックが目を引きます。
この年城福浩監督が就任。4-4-2のコンパクトなサッカーがハマりシーズン中頃まで首位を独走状態。そしてそこから奇跡的な大失速で2位フィニッシュ。
戦術が"パトリック"のみという、なんともモヤモヤするシーズンでした。

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2019年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
細かな波模様を取り入れた大胆なグラフィックと薄めの紫が特徴の新デザイン。
発表当初は物議を醸したものの、チームの好調ぶりと相まって人気商品になりました。アウェイでは初めてネイビー一色のモデルが採用されました。
戦術的には馴染深い3-4-2-1システムに戻って再スタート。
大迫、荒木、森島など若手がレギュラーをつかみ良いパフォーマンスを披露。
左サイドの柏はもはや替えの効かないチームの武器となりました。
リーグ戦6位。
ACLはベスト16進出。

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2020年、メーカー:ナイキ、スポンサー:エディオン
エンブレムの三本の矢の矢羽根をモチーフにしたグラフィックはスピード感を表現。それは同時にツキノワグマ(サンチェ)の強力な爪跡も表現されているとか。
昨年からの継続メンバーも多く、今年は上位へ進出することが期待されますね。

選ばれたチームとなるか

J2降格を二度経験し、三度のJ1制覇も経験したサンフレッチェ広島は稀有な存在かもしれません。
Jリーグが始まって28年目。
そんなチームの栄枯盛衰を見てきました。

Jリーグ開幕から4年間はミズノ一社提供のユニフォームを全チームが着用していましたが、カップ戦用ユニフォームは個別のメーカーと契約するのが普通でした(ヴェルディはプーマ、マリノスはアディダスとか)。
しかしサンフレッチェに関してはリーグもカップ戦もミズノと契約していたのその契約は1992年から18年間にもおよんでいました。
ファンからすればバリエーションが少なかったのは寂しかったですが(デザインもね!)、チームの経営が厳しい時期に支えてもらったとミズノには感謝しています。
そして2011年からナイキがサプライヤーとなりました。
巷の噂ではナイキは選ばれたチームとしか契約をしない、とも言われています。
そのほかのナイキ契約チームは浦和レッズと鹿島アントラーズ。
両チームともリーグ制覇はもちろん、天皇杯、リーグカップ、そしてACLの優勝経験のあるビッグチーム。
そしてナイキとの契約二年目の2012年にはJ1初優勝を遂げています。
はたしてサンフレッチェは今後も結果を出し、本当のビッグクラブの一員になれるのか?
ファンを喜ばせてくれるサッカーを魅せてくれるのか?
今後もユニフォームのデザインと共に思い出を刻み続けたいと思います。

サンフレッチェ広島インスタ0


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