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My Favorite Player 高木琢也 その選手をユニフォームで振り返ろう

こんにちは!サッカーユニフォーム大好きのともさんです。
今日は私の好きな選手をそのユニフォームで振り返っていきます。
サンフレッチェ広島、日本代表で活躍された、ご存知”アジアの大砲”高木琢也さんです。
高木琢也さん(以下敬称略)といえば188cmの体躯を活かしたFW。
ポストプレーやヘディングでのシュートが大きな武器でした。
日本代表でも国際Aマッチ 44試合出場で27得点 (1992年 - 1997年)を記録しています。

なぜ好きなの?

なぜ高木琢也が好きなのか?
それは私に勇気を与えてくれた選手だからです。

最初に高木琢也を認識したのは1992年。
私が高校生の時でした。
オフト日本代表が発足し、名の知れぬ選手が召集されているなと思った中のひとりが高木琢也でした。
決して足元が上手い選手ではありませんでしたが、自分の強みを活かす、大きな体躯を活かしてプレーしていました。
その時の私は身長が高いものの、テクニックがない選手で、100名を超えるサッカー部で”万年補欠”のまま選手生活を終えのではないかと思っていました。
自分の体の大きさを活かすということをこれまで考えたこともなかったです。
ある時思いつきました。
高木選手が好きだった私はどうせこのままサッカー部を引退するなら高木選手のようにFWをやってみようと思い、顧問の先生に直訴、以後勝手にFWとして部活を過ごしました。
周りには足元が上手く、速い選手が多かったサッカー部でしたが、私が一番身長が高く(186cm)、私のようなFWはいませんでした。
私はとにかく高木琢也をお手本とし、ポストプレーと胸トラップからのボレーを練習しました(ヘディングは全然下手でしたが)。
体を預けながらボールを受け、はたく。
そうするとどうでしょう。
私が両手を広げ体を預けると相手DFはとても苦労しているようでした。
相手が苦労する?こんな経験は初めてでした。
もちろん全てが上手くいっているわけではないのですが、少しずつ手応えを感じていました。
それから数ヶ月、二年生の新人戦。
私は公式戦に初めて出場することができました。
多分10-0くらいで勝った試合で、私は前半で交代しました。
その試合で一点取ったものの身長を活かしたヘディングではなく、こぼれ球のごっつぁんゴールでした笑
それが後にも先にも唯一の公式戦出場となりました。
その後はDFと兼務しながら過ごしたのですが、一度FWを経験した後では不思議と余裕を持ってDFとしてプレーできました。
そして最後の公式戦となるインターハイのメンバーにも入れず、夏前にサッカー部を引退。
よっぽどレギュラーでない限り選手権までは在籍できません。

しかし私にとっては半分だけの公式戦出場がひとつの成果として自信になりました。
この一連の自己改革のきっかけを与えてくれたのは紛れもなく高木琢也でした。
「自分の強みを活かす」、「環境を変えてみる」など現代社会でもキーワードとなることを高木琢也から学びました。
私にとって高木琢也は憧れの選手であり、自分に勇気を与えてくれた選手です。
いまだに感謝しています。

そんな"私の恩人"高木琢也さんの現役時代の歴代ユニフォームがこちらです。

マイフェイヴァリット高木琢也縦フルHDテスト


国見高校-大阪商業大学からフジタSC、マツダSCのJFL時代を経験し、1992年よりサンフレッチェ広島でプロ生活が始まりました。
1996年までの変動背番号制(スタメンが1〜11番をつける)では10番、1997年以降の固定番号制では主に18番をつけていました。

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