わたしが勝手に作った「常人エクスタシー」とは
・常人エクスタシーとは
精神疾患を患っているとつらい言葉を受けることがあります。
個人の常識を押し付けて、逃げ場のない言葉
「なまけてる」「休めるなら俺も精神疾患なりたかった」
「危ない」「おかしい」…
言ってくる本人たちは「自分も当事者になりうるかもしれない」ってことを知らない人が多いと思います。
それらの言葉をかけられたとき、わたしは時間が止まったように
ショックを受けます。
けど、言ってきた本人は、どこかで本能的に知っています。
「疲れ切ってたり、弱い立場のわたし達が反論できない」ことを
わたしは、
・反論できない相手に散々と自分の価値観を押し付けて
・正論という暴力をふるいながら
・自分は普通でいると思いこんで満足する快楽
これらを常人エクスタシーと呼ぶことにしました。
・形を変える常人エクスタシー
先程、常人エクスタシーは主に健常者と言われる人が味わう快楽のように示しました。
しかしながら我々、社会的弱者にも潜んでます。
それは変形型常人エクスタシーです。
わたしもそうなのですが
病名を肩書にする人をSNSでよく見かけます。
その人が、なんらかの形で認められた時
(わたしはSNSでの繋がりや、漫画でした。)
病気=自分の価値と、自分の中で設定されます。
そして「病気でない自分は他に示せる肩書がない」という思考が時に出来上がります。
その時辺りから、周りが反応すればする程、
・わたしは他の人よりつらい境遇にいる
・みんなより多くの薬を飲んでいる…など
病んでいることに正解を生み出し
いかに、自分がおぞましい体験をしているかを披露する快楽です。
敢えて、言いますが。「SNSにしか逃げ場がない」っていう方々は
自分しかみえてない状態だと思っております。
(以前のわたしがそうだっただけかもしれません)
また、ブログやエッセイなどの表現をする人はご存知だと思いますが
病状のスケールが大きいほどPV数や反応が多いゆえ
より自分の病気の世界の不幸へわざわざのめり込んでいくこともあります。
・形が変わっても、基本は変わらない
変形型常人エクスタシーを求める人は、
本能的に自分の弱さを知っています。
自分の弱さに付け込む、思考が自身にあるのです。
自分の常識を押し付けて、逃げ場のない言葉
「わたしなんか」で
自分で自分を殴れるのです。
そして、清々するのです。
・だからなに?
いきなり頓珍漢な話をしますが、
わたしたちは大きな空を所有することができません。
しかし、赤く染まる夕日に感動する心は自分の中に持ってます。
それって、豊かだと思うのです。
わざわざ病気じゃなくても自分は既に豊かなものを持っているよ
わたしは、他人や自分の弱さに型を押し付けるより
もっと、自由に生きたいと思った。というだけの話です。
・おわり
全部、自分の話です。
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