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長女8歳なりました

先日8歳になった長女。
昨年の10月から学校へ行くとをやめて、ホームスクールになった長女。

家庭で学習に取り組み、好きなことをとことんする生活。

運動会前頃から学校への嫌悪感を吐露し始めていた長女。

○行きたくない。
○誰も自分の言ってることをわかってくれない。
○授業もつまらない。
○何でできることを何度もやらされるんだ。

などと、日に日にストレスを抱えているのが見え、癇癪がひどくなり、学校から帰るとリオナの訪問看護師さんに悪態をついたり、リオナに暴言をはいたり、泣き叫んだりと、out of control な状態になっていった。

そんな中、朝長女が玄関で行きたくないと泣き出すも、私は突き放すように学校に行くことを強要した。
「今日はリオナの外来もあるし、行ってもらわないと困る。」、と私は言い、集団登校の子どもたちには見せたくない涙を必死に拭きながら長女は学校へ行った。

リオナの外来という日常に、長女の事を考えながら私なりに出た答えが

もう学校に行かなくていい。
彼女が私にぶつけてきた思いを、私以外に誰も受け止めることはできないし、今彼女を全力で私が受け止めないと、きっと彼女は大人を信用できなくなる。そして、母親の私を否定することになるだろう。
と思った。

学校から帰ってきた長女は、マシンガントークと共に、撮り溜めしていたベイマックスを見ながらおやつを食べまくっていた。
そんな彼女に私は、学校へ行かなくてもいいことを伝えると、彼女は不安がり始めた。
学校に行かない自分は悪い人間だ、という意識があり、何度も「いいの?」と聞いてきた。

翌朝、集団登校へ向かう近所の子どもたちがインターフォンを鳴らし長女を誘いに来たが、休む事を伝え、学校に電話した。

電話するも、なぜ休むのかという理由がないことに焦った私でもあったけど、長女の前で嘘はつきたくなかったから

「本人が学校に行きたくないと言っているので休みます。理由?理由はわかりませんが、行きたくないと言っているので休みます。」
と伝えた。

そこから数日そんな朝の流れが続いたが、
ふと、気付いた。

集団登校の誘いも、学校へ連絡することも、それを見ている長女は息を潜めるように怯えていた。

だめだ。これはよくない、と思い
集団登校のお友達には集団登校で学校は行かないことを伝えた。
そして学校へは、
「学校は本人が行く気になったら連絡するので、基本休みでお願いします。このような朝の電話のやり取りすら彼女にはストレスになるので、放課後の担任からの電話もしてこないでください」
と伝えた。

大人たちの保身で子どもが傷ついたり怯えることは絶対にあってはならないと思い、長女にも学校のことはもう考えなくていいし、学校に行かないあなたはなにも悪くない。
と伝えた。

そして始まった学校に行かない生活。

2ヶ月ほどで彼女らしさが戻り始め、学校の話も一切しなくなった。

そんな彼女が8歳になり、私なりに母として出来ることは、彼女自身が肯定できるようになる環境と、彼女の探究心に付き合うことである。

リオナの体調管理の大変さから、余裕が無くなること多々あるが、出来る限り彼女のお喋りを聞いていたいと思う。

私と彼女は感性も違うし、好きなことも全く違う。
日々私が「何それ?」と、聞くことが多いが
人として交わることが難しい者同士が、親子という関係性で交わるのには、かなりの神経を使うが、面白いと思いながら彼女と過ごしている。

学校という枠にはまることができなかっただけで、それで全てが終わったわけではない。

彼女が彼女らしく生きていけるために、私は彼女と併走する。

重症心身障害児のリオナと不登校になった長女。違った特性はありながらも個々に必要な支援を私はするのみ。

長女が作り始めた世界とリオナが作り始めている世界。
どちらも当たり前に存在していい世界であると私は思う。





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