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小さな同志

もよ

「先生はどうして先生になったの?」

吸いこまれそうになるくらい大きくて深い、茶色の瞳のその女の子は、私に聞いた。


「先生になるのが夢だったの」

私がどうして先生になったのかを正直に話すよりも、「夢」という綺麗な言葉でまとめてしまった方が、中学生の女の子にとっては響くだろうなと一瞬のうちに判断して、私はそう答えた。

「じゃあ先生は夢が叶ったんだね。夢が叶ったら毎日楽しい?」

表情をひとつも変えずに、ただ私の目をまっすぐに見つめながらそう問う女の子。毎日1人でこのせまい部屋の中、まだまだ小さな頭をグルグル回転させて、何か「答え」を見つけようとしている。そんな目だった。


私はその目に向かってまっすぐに「楽しいよ」と答えることがどうしてもできなかったから、女の子の鼻のあたりをぼんやり眺めながらこう言った。

「もちろんしんどいこともたくさんあるけど、毎日充実してるよ。」


小さな声で「そう。」と相づちをうつ女の子の顔は曇っていた。どうやら私の言葉は、女の子にとっての何か「答え」になるようなことではなかったのだと察した。


その女の子の家に背を向けて、私は私の家に向かって歩き出した。

その女の子の名前は、北川あずさと言う。北川さんは夏休み前に学校に来なくなった。夏休みが明けても姿を見せず、もうすぐ冬休みがはじまろうとしていた。

私は担任として定期的に北川さんの家に足を運んだ。でも決して「学校に来てね」とは言わなかった。いや、言えなかった。

それは私自身が彼女くらいの頃、学校に行きたくなかったからだ。

同じ年に生まれたというだけの数十人が狭い部屋に集められて、全員同じ机と椅子を縦横キレイに並べて、全員が黒板に向かって座って、全員が毎日同じ勉強をする。その座る場所さえも決められている。

その大人が決めた枠組みの中で、うまくやっていける子は褒められ、うまくやっていけない子は「問題のある子」とみなされる。大人たちが1番大切にしていることは「どうやったらその子がその中でうまくやっていけるか」ということだけなのだ。


私にはいつもいっしょにいる数人の友達がいたし、勉強もそれなりに真面目にやった。その理由は「問題のある子」になりたくなかったからだ。

なんて窮屈なんだろう。教室から一歩外に出れば、数え切れない人が道を歩いていて、その一人一人が違う場所に向かい、違う人と時を過ごし、違うことを感じたり考えたりしているというのに。子供だけはその場所を自分で選ぶことができない。

早く大人になりたいな、といつも願った。

この広い世界を広いまま見つめれば
誰にだって居心地のいい場所は見つかるはず。もっともっと気の合う友達が必ずいるはずなんだと信じたかった。

たまたま「教室」という場所が
居心地のいい場所じゃなかった場合、

たまたま「教室」という場所に
気の合う友達がいなかった場合、

その子は「問題のある子」なんだろうか?
私はそうは思わない。


北川さんは中学2年生の1学期がはじまってすぐに、数人の友達といつも一緒にいたし、成績はトップクラスだった。クラスのみんなとも馴染んで見えていたから、彼女が学校に来なくなったときは正直驚いた。


北川さんもきっと、かつての私と同じように感じているのかもしれないと、その大きく澄んだ瞳を見るたびに感じた。


でも中学生の彼女には、「教室」という場所に何となく感じるその違和感や閉鎖感を言葉にすることができないのかもしれない。私もそうだったけれど、「何かが違うんだけど、それが何なのかわからない」というモヤモヤ感は想像以上に心を消耗させる。

毎日先生から言われる「やらなきゃいけないこと」をやることが当たり前なのだと疑問を持たず、その中でその日その日を面白がったり楽しめる子がいる一方で、その「何か」が気になって気になって仕方がなくて、やることだらけの日常を1度ストップして、その「何か」と向き合うことが必要な子が一定数いるということは、私には容易に想像できた。

かつて行きたくなかった「教室」で、私は今働いている。「何か」と向き合いたい一定数の子供たちの力になりたかったはずなのに、私には学校の仕組みそのものを変える力はない。教室に引き戻すだけの先生にはなりたくないのに、教室に引き戻す役割である担任という立場にいる自分に、それこそ違和感を感じていた。

なのに、その違和感について考える時間がない。毎日数十人の生徒に目を配り、授業の準備をして授業をして、部活に顔を出して、事務仕事をこなす。それだけで1日はあっという間に過ぎていく。

でも、せっかく先生という安定した仕事に着けたんだ。安定したお金がもらえ、それなりにやりがいのある仕事をしている私はラッキーなんだ。そう唱えて、それなりに幸せな毎日を守るため、湧いてくる違和感をかき消していた。



そんな中、私のお腹に赤ちゃんがやってきたのだ。


私は1年前に結婚し、今は彼と二人暮らしをしている。お互い忙しかったので、子作りについてはなりゆきに任せるということで意見が一致していた。子供ができたと彼に伝えたら、まだ膨らんでいないお腹に手を当てて「いらっしゃい」と言った彼のことを、やっぱり好きだなと思った。


つわりはなかった。

体調も良かったので、産休ぎりぎりまで働くことにした。


私の中に、私以外の命が宿っている。
それは頭でわかっている。

でもその命は、へその緒を通して私の食べたもので育つ。そしてそのへその緒は、目に見える形で私とわが子をしっかりつないでいる。

どこからが「あなた」なのか、まだわからない。私にとって、まだまだわが子を「自分の一部」のように感じていた。


自分の一部であるお腹はどんどんどんどん大きくなり、ついに3日後に産休をひかえたある日、私は北川さんに会いに行った。


「先生ね、赤ちゃんを産むの。」

「お腹、触ってもいい?」

「いいよ。」


北川さんは、おそるおそる私のお腹に手を当てた。


「先生は、私を無理やり学校に連れて行こうとしなかった。ありがとう。」

いつもの透きとおった目で北川さんは言った。

「先生、おねがいがあるの。私、赤ちゃんを抱っこしたことがないから、産まれたら抱っこさせてほしい。」

「いいよ。産まれて落ち着いたら、ここに連れてくる。必ず。」

私はそう約束して、北川さんの家を後にした。家に帰ってカレンダーをめくり、出産予定日から2ヶ月後の日に「北川さんに会いに行く」と赤色のペンで書き込んだ。


その約1ヶ月後に、私は女の子を出産した。

へその緒が切られるのをこの目で見て
ぺたんと平らに戻ったお腹を触ったとき
もうこの子は自分の一部ではないんだとやっと実感した。

私は1人の人間を産み出した。

そして、その偉業をなしとげた私は
もう産む前の私には戻れないんだと
なぜか確信していた。

1日の半分以上寝ている赤ちゃんと、1日ほとんど家で過ごす生活がはじまると、私は産む前に1番やりたかったことを自然とやりはじめていた。

それは「何か」と向き合うことだ。


赤ちゃんを産むとき、お母さんの体に今まで蓄積されていた毒素とかいらないものが全部一緒に流れ出て、お母さんの体は新しく生まれ変わるんだよ、と何かの本で読んだことがあったけれど、それを自身の体で感じた。

「何か」と向き合うことを邪魔していた「何か」が、毒素と一緒に流れていって、「何か」と向き合いやすくなっているのは今なんだと、私の心が叫んでいた。


おっぱいをあげたり、抱っこしたり、家事をしたり、することはたくさんあるけれど、自分の1番居心地のいい場所で、自分のペースで、かわいい赤ちゃんと大好きな彼と過ごす日々は、私を私に戻していった。


新しい命は、
私にそんな時間を贈ってくれたのだ。



そして、娘が産まれてから2ヶ月が経った。

まだまだだと思っていたのに「北川さんに会いに行く」とカレンダーに書き込んだ日があっという間にやってきて、私はびっくりした。


ある平日の午前中、赤ちゃんを抱っこして散歩がてら歩いて北川さんの家に向かった。平日の朝に家にいるということは、あれからずっと学校に行っていないということだから、家にいてほしくないような、家にいてほしいような複雑な気持ちを胸に北川さんちのチャイムを鳴らした。

玄関のドアが開くと、北川さんがあらわれた。

赤ちゃんを見たとたん、北川さんの顔がゆるんだ。理由なく誰もが綺麗だと感じるその存在をまるで目に焼きつけるように、北川さんは赤ちゃんに見入っていた。

私が赤ちゃんを北川さんに差し出すと、彼女はおそるおそる赤ちゃんを抱っこした。

「かわいい。先生、赤ちゃんかわいいね。」

赤ちゃんを見つめたままそうつぶやいた彼女の周りの空気は、止まっていた。「何か」のことや、学校のことや、友達のことや、家族のことなど、答えのない問題をずっと1人で解こうとしていた北川さんの頭の中が、久しぶりに今目の前にいる赤ちゃんだけに注がれているような気がした。

誰もが赤ちゃんだったから、赤ちゃんを見ると誰もが自分の「原点」を感じるのかもしれない。そして、そこに戻ろうとするパワーが働くのかもしれない。


そのパワーは、私にもばっちり働いているようだった。


「北川さん、私もね、学校に行きたくなかったの。あんなせまい教室に、大人がくじ引きで決めた、同じ年齢ばかりの人たちが集まって、大人が決めたスケジュールの通りに同じ勉強をしなくちゃいけないことに違和感を感じていたの。窮屈で窮屈で仕方がなかったのに逃げ出せなくてつらかった。」

1度流れ出した言葉は、もう止まらなかった。

「だから、私と同じように感じている子の力になりたくて先生になった。なのに学校の仕組みはやっぱりそのままで、私はかつて嫌だった教室で、みんなに向かって一方的に毎日勉強を教えている。そうじゃない、そうじゃないと心が叫ぶ声にフタをして。」


北川さんがキョトンとした顔で私を見ている。


「だから私は、赤ちゃんからお年寄りまで、いろんな人が集って関わり合いながら、その中で自由に人間関係を築いたり、自分のペースで自分に必要な勉強をしたりできるような、1人1人がのびのび過ごせる温かい場所を作りたい。そんな場所があれば、北川さんも来てくれる?」

私ははじめて、「自分の本当にやりたい大きなこと」を頭の中から外に出してしまった。しかも北川さんに向かって。「しまった・・・」と一瞬思ったけれど、もう出してしまった言葉を戻すことはできない。


「もちろん。そんな場所があれば行きたい。そんな場所が今なければ、私もそんな場所を作りたい。」

いつも大人っぽい北川さんが、はじめてちょっとだけ子供っぽい顔でそう言ってくれたとき、北川さんが私に心を開いてくれたことがわかった。


「じゃあ・・・同志、だね。」


私がそう言うと、北川さんはニコッと笑った。


先生が生徒に、「私は学校に行きたくなかった」なんて言ってはダメだと思っていたけれど、うっかり言ってしまったら、「小さな同志」ができてしまった。

もちろん、今の学校の仕組みの「普通」を変えることはすごく難しいことだと思うけれ
ど、こうやって自分の感じていることを自分の周りからコツコツと伝え続けていけば、きっと同じように感じている人同士の輪がゆっくりゆっくり広がっていく。


心の底から湧いてくる違和感やモヤモヤは、きっと「夢の扉」だ。

その面倒でしんどくて暗い部分と向き合った人だけが、開くことのできる扉。

何も考えずただ言われた通りにやりなさいと、その扉から遠ざけることができるのも先生だし、その違和感やモヤモヤはあなたにとって大切なものなんだと伝え、扉を開く勇気を与えてあげられるのもまた先生なのかもしれない。そして私がなりたかったのは後者の先生なんだ。

もしかしたらさっき、私は北川さんの「先生」になれたのかもしれない。それならば、私のかつての夢は、本当に叶ったことになる。


先生だからって、いつも元気でいる必要はない。いつも笑っている必要もない。立派そうに見えなくていい。悩んだり考えたり弱ったり失敗したり休んだりしながらも、自分の内側から湧いてくるものだけには正直でいる、そんな生き方を、北川さんにも今腕の中にいるわが子にも、見せたいなと思った。


今までの人生が急に輝いて、意味のあるものに感じた。私が今まで感じてきたすべてのことがつながって、またここから新しい何かがはじまろうとしているように思えた。


1人の人間を自ら産み出したことで

私の心と体はきっと、「産んでもらった人」から「産み出す人」へ、そして「与えられる側」から「与える側」へ、カチッと切り替わったのだろう。


小さいけれど
「何か」がみなぎるその存在といっしょに、

私は今日から
自分に今できることを、焦らずコツコツとやっていく。


うそ偽りのない「志」につながる、小さな小さなことを積み重ねるその毎日を想像すると、せまくせまく感じていた世界が果てしなく広がっていくように感じた。


〜おわり〜


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