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世界をもっと彩れたら。

先日、幼稚園の学級懇談会に
行ったときのこと。

時間ぎりぎりに
教室の前に着いた私は

教室の前に群がるお母さんたちを
目の前に



「しまった・・・」



とっさに、そう思った。



白・黒・ベージュ・・・

いわゆる「ベーシックカラー」に
身を包むお母さんたち。



そんな中私は
グラニフの柄物ワンピースに
ユニクロのデニム
というコーディネート。



別にかしこまった場所ではないし

みんなラフな格好をしているし

私もドレスコードにひっかかっている
わけではない。



でもとっさに
「しまった!」と思ってしまったのだ。



私は生まれも育ちも日本人だから
心の奥深いところに

「溶け込みたい」
「目立ちたくない」
「みんな一緒が良し」

みたいな気持ちが
根付いているのかもしれない。



息子が生まれてから幼稚園入園までの
3年半ほど、

たくさん人が集まる場所に
あまり行く機会がなかったので

集団生活の中で生きていかなければならない
小学生から社会人までの間、
無意識に行っていた
「集団に溶け込む選択」をする私が

限りなくうすくうすくなっていたのかも
しれない。



この3年半、

「息子と、旦那さんと、実家の家族と、時々友達」

というような小さな人間関係の中で
生きるようになって


気づかないうちに
クローゼットの中が
「デザインティシャツ・グラニフ」の
服ばかりになっていた。


溶け込む必要のない生活になると

自分の本当に好きなものが
わかってきたりする。



私は「色」とか「柄」とかが大好きだ。

見ていて楽しくなるし
本当に好きなものは、飽きない。



もちろん
シンプルなベーシックカラーの服を
スッキリ着こなしている
お母さんは素敵に見えるし

実は私も
憧れてやってみたことがあるけれど

どうしても続かない。

クローゼットをあけたときに
自分の服が並んでいるのに
何を着たいかわからなくなってしまって
けっきょく1シーズンで
着なくなってしまうのだ。



ベーシックカラーの服を
心の底から好きな人は
こんなことを
考えたことがないのかもしれない。

自分が好きな服を選んで着ていれば
自分も好きな服を着てウキウキ。
集団にもしっくり馴染む。


たまたま私は
とっさに手にとる服、目につく服が
カラフルで柄物なだけなのだ。



というわけで

ベーシックカラーの集まりの端っこの方に
柄物の私は、そっと入った。


入ってしまったら
私もその集団の一部になって
なんてことなかったけれど

遠くからこの集団を見た人は
私がポツンと浮いているように
見えるんだろうなと思った。



この中の何人が
心の底から好きな服を着ているんだろう

ふとそう思った。


もし「溶け込むため」に
服を選んでいる人が数人でもいたら

ぜひ今この瞬間、
本当に好きな服に着替えてほしいと思った。

そしてその服が
カラフルで柄物なら
私はこの集団に
より溶け込みやすくなるのにな

そう思った。



そして

今ここにいるすべての人の服に
「色」や「柄」がついていたら

もっと楽しいのになって思った。





世界がもっと「色」で
いっぱいになればいいのにと
最近よく思う。

日本は特に「色」が
少なくて、薄いような気がする。


外国の街には
日本よりも色が多いのはなぜだろう。

外国の海の青色は、空の青色は
どうして日本の青色よりも濃いんだろう。

外国の森の緑色も
どうして日本の緑色よりも濃いんだろう。


「個」を大切にすること。
「和」を大切にすること。

そのことは
「色」の濃さや多さに
とても深く関係しているように思う。


もちろん「和」も大切だし
「和」は日本の良いところだと思うけれど

そこに「色」を、もう少しだけ足しても
日本の良さは失われないと思うのだ。



そんなことを考えながら

ふと向かいの大きなマンションの
1室に目が止まった。

その1室だけ
キレイな赤色のカーテンだったのだ。


「すべての部屋の人が
カラフルなカーテンを選んだら

このマンションは
もっと色とりどり、楽しくなるなぁ」


私はしつこく、
またそんなことを考えてしまった。

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