好奇心の行方

生徒が教えてくれることはごまんとある。
私の塾で、英語の授業をしている
小学6年生の男の子がいる。
勉強が得意とは言えない彼は、
学校の授業では頭を抱えて突っ伏してしまう
と相談を受けたこともある。

先日、(中学校で入りたい部活とその理由)を
英語で練習した。まず日本語で言ってみようかという問いかけに、「サッカー部と科学部」と答えた。スポ少でサッカーをしている彼から、サッカー部が出てくるのは想像できていたが、科学部は意外だった。「頭がよくなりそうだから」という理由だった。勉強が苦手な彼からこの言葉が飛び出したことに、私は驚いた。
その後、授業の中で「ブラスバンド」という言葉が出てきた。ブラスバンドや吹奏楽って聞いたことある?と尋ねると、「ない」と答えた。
「知らないことがたくさんでワクワクします」
と覚えたての敬語で続けてくれた。

また、別の日に塾で勉強をしていた高校2年生の男の子は、英語の長文を読み終えると
「先生、見てください。なんだか面白いです。」と通りかかった私にテキストを見せてくれた。
その文章は、この世を去った女性へ捧げる「Hopefully She will be remembered~」という末文だった。直訳は「彼女が名を残すといいな」となる。彼曰く、面白がりポイントは「彼女が主語の文章なのに訳すと私が主語になっている気がする」という矛盾だった。実際は「Hopefully」が「I hope」を言い換えたものなので、実は主語となるIが潜んでいるという文章である。彼の素晴らしいところは、未曾有のことを面白いと受け止められるところである。

学びの早さや効率に差はあるが、何かを知る楽しさや知らないことがある楽しさに気がつけていることはこの2人の共通点だろうかと考えた。

あるいは私がただ忘れただけなのかもしれない。
私は大人になり、新しいものへの興味を持つこと自体への時間的、経済的なコストを計算してから行動してしまっている。その結果、むしろ今本当に必要なもの以外は排斥してしまうことがある。小学生の頃は帰宅と同時に電源をつけていたテレビゲームは、今ではハマることを恐れて放置され、埃をかぶっている始末である。

この子たちの目に映る世界が、好奇心に包まれた景色であり続けることを強く願うと同時に、私の塾は子どもたちにとって、知らないものに出会い、好奇心に応えられる場所でありたい。そして、新しい経験や知識を蓄えることを自分自身も見つめ直していきたい。



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